その第一号は、下記の論文です。
Matsumoto M, Ueda T, Shimada I. (2010) Theoretical analyses of the transferred cross-saturation method. J. Magn. Reson. 205 (1), 114-124.
この論文に入る前に、まずは、転移交差飽和法(transferred cross-saturation, TCS) について簡単に。
観測したい対象側の蛋白質を 2H, 15N で標識し、相手側の蛋白質を非標識にしておく。この相手側は、非常に大きな膜蛋白質などでも構わない。そして、aliphatic からメチル基領域の 1H 核スピン(-1〜2 ppm 領域)を連続照射パルスにより飽和させる。この時、観測したい対象の蛋白質にある 1H は、そのほとんど全てがアミド基(6〜10 ppm 領域)1HN であるため、この連続照射パルスの影響を直接受ける 1H は、相手側蛋白質の 1H のみとなる。そして、パルスを当てた状態で数秒待つと、1H 核スピンが飽和(saturation)し、その飽和が観測対象の蛋白質にも転移(transfer)する。この転移は、2つの 1H の間で、双極子双極子相互作用を通して、ちょうど NOE とよく似た物理現象(1H 間の交差緩和 cross-relaxation)により起こる。そのため、その2つの 1H が、それぞれ異なる分子に属していても、お互いの間の距離が短かければ飽和の転移が起こる。飽和状態では、α-スピンとβ-スピンの数が等しくなっているので、飽和を転移された 1HN スピンから磁化移動がスタートした 2D 1H-15N HSQC では、ピーク強度が減少する。
これが TCS 法の説明となります。実際に図などを使って説明できると分かり易いのですが。この saturation が転移するという現象についてですが、これを実際に数式で表すと意外にも難しい。さらに、水溶液中では、観測対象分子と相手側分子が付いたり離れたりしているために、これも同時に考えないといけない。つまり、飽和状態が転移する現象と、分子の脱着(交換と呼びます)を同時に考えないといけないわけです。
これを数式で表すには、行列の混じった微分方程式を用います(化学交換が入っているので、McConnell の式と呼びます)。このような数式を見ると、思わず論文を閉じて引き出しに直したくなるのですが、そこはじっと我慢。この行列の混じった微分方程式は NMR のいたる所に出てきます。すごく難しそうに見えるのですが、よくよく眺めてその数式を組み立てる要領を得てしまうと、非常に理にかなっていて簡単なのです。要は「ある磁化の量が増えたり減ったりする「速度」は、その時のその量や、時には別の量にも比例するよ」というものです。「速度」の部分が dM/dt のように微分になっているので、ややこしく見えるのですね。その微分方程式をどのように解くか?これは、行列の複雑さに依ってきますので、場合によってはすこぶる難しく、あまり手で解くのは得策ではないかもしれません。Mathematica や Maple などを使っても、解かれた式は非常に複雑で本当に合っているのやらどうやら?しかし、この数式に具体的な数値を入れてしまえば、これは簡単なのです。手で計算していると何年もかかりますが、数値計算ソフトを使えば、1秒たらずで極めて正確な値を出してくれます。エクセルでもそれ程誤差のない答を出してきます。
さて、このような数式を解き、いろいろな場面でシミュレートした論文が上記です。実は、この和文版が下記に出ています。
松本昌彦 et al. (2008) NMR によるソフトな分子間相互作用解析法の開発と光合成明反応電子移動タンパク質間相互作用への応用. 生化学 80 (10), 959-971.
やれやれ良かったと思い、早速読み始めたものの、律速はやはり数式であり、数式の箇所は日本語でも英語でも(当然のように)同じなので、邦文だからといって理解が簡単になるわけではありませんでした。甘かったです。
この数式についてですが、いつもよく教科書に載っているものと何気無く違うのです。気を付けないといけない点は、ベクトル M の要素が「単位濃度当たりの値」であるという点です。したがって、行列の要素も全て濃度で割り算されているということに注意しないといけません。そこが分かると数式全体の意味が理解できるようになると思います。
ブログというのは、いったいどの程度の長さにすべきなのでしょう?このまま書いていくと、これの何倍にもなりそうですので、一旦この辺りで休憩としましょう。続きはまた後日に。