2017年6月28日水曜日

T1 noise の消し方

二次元 NOESY などのスペクトルをとると、どんなに注意していても縦方向に筋が走り、スペクトルが汚くなってしまいます。これを t1 ノイズと呼びますが、それが起こる原因にはいろいろあります。下に紹介する論文は、これも一因だろうなと長らく思っていたことをずばりと証明してくれています。

Mo, H., Harwood, J.S., Yang, D., and Post, C.B. (2017) A simple method for NMR t1 noise suppression. J. Magn. Reson. 276, 43-250. doi: 10.1016/j.jmr.2016.12.014.

t1 ノイズはメチル基などもともと大きな対角 diagonal ピークに対して縦 w1 方向に(縦筋のように)出ます。ということは、何かしらの原因によって長い測定の間にメチル基などのピーク強度が変動し、それを t1 方向に沿ってフーリエ変換すると t1 noise になったことが分かります。そして、対角ピークを中心として上下に対称的にでる傾向があります。そのため、対角ピークに対して平行に(斜めに)筋が走っているように見えることもしばしばです。これは t1 increment が進む際に、強度がちょっと周期的に揺れたことを示しています。

積算回数を 64 にする代わりに 8 に減らして、同じスペクトルを 8 回とります。そして、それらを後で足し合わせます。合計時間は同じです。すると、面白いことに t1 ノイズが激減するそうです。なお、当然のように random-noise の大きさは両者で同じです。位相回しが許すのであれば、これは良い方法でしょう。この結果から t1 noise は完全にランダムに起こるとは言い切れなくなります。8個のスペクトルの間になんらかの相関があり、足し合わせた時にお互いにキャンセルし合うような効果があるのでしょう(もし完全にランダムであれば、ns=64 も ns=8 で 8 枚を足し合わせるのも同じ S/N 比になるはずです)。また、一つのスペクトルをとるのに必要な時間が短い方が t1 noise が小さくなります。w1 軸に沿って見た時に、対角ピークや交差ピークの分解能は同じであるが、t1 ノイズの分解能は(測定時間が短い分)劣化しているということです(w1 軸に沿って t1 noise にのみ broadening が起きている)。したがって、ns=8 の個々のスペクトルはすでに t1 noise が小さいのでしょう。

t1 noise の主な原因として測定中の温度が微かにずれることが挙げられています。ただし、分光器の温度表示を見る限りでは、これを見破ることは簡単ではありません。実際にサンプルの中の 0.02 度程度の温度の変化が、対角ピークに対して 1% もの大きさの t1 noise を引き起こすのです。この温度の変化によって、t1 noise も8個のスペクトルで異なった出方をします(足し合わせても累積しない)。また、一つのスペクトルを測定するのに要する時間が短いと、例えば昼夜の温度変化といった周期性が出にくくなり、それゆえに t1 noise も小さくなるのかと思われます。ns=64 の測定では 20 hr かかっていますので、温度変化にもそれなりの周期性が出てきてしまいますが、ns=8 の場合はたったの 2.5 hr ですので、そのような短い時間でみれば測定温度は一定で安定していると考えてよいのでしょう(途中で誰かがドアを開けて木枯らしを入れたりしなければですが)。

論文によると、ずっと軽水のピークを監視し続けても、その共鳴位置はあまり動かなかったが、DSS のピークはランダムに動いたそうです。これは監視している最中に温度が変化したためです。何故それでも軽水のピークが動かなかったかというと、重水にロックがかけられていたためでしょう。温度が変わると軽水の共鳴値は激変するのですが、重水もまったく同じ ppm 値で変わります。したがって、重水と軽水の共鳴値は平行して(同期して)変動するため、D2O ロックによって常に補正されているスペクトルでは軽水のピークはまるで止まっているかのように観えるのです。逆に動いていないはずの DSS のピークは動いてみえます。ガタガタ揺れる自動車に乗っていると、外の景色がたががた揺れているように見えますが、車内のハンドルは止まって見えるのと似ています。

この原因解明の論文はこれが初めてというわけでもなく、確か Wuethrich さんの論文にも載っていました。そこには昼と夜とで周期的に温度が上がったり下がったりすると、いわゆる 24hr 周期の変動(cos(w*t1) において w = 1/24 /hr)が載ると書かれています。これを t1 方向でフーリエ変換すると、w1 軸に沿って上下対称に(計算通りの位置に)ノイズが出ます(cos をフーリエ変換すると、同符号のピークが両脇に出ます)。実際にやってみると、きれいな筋が2本対角ピークに沿って斜めに走ります。Wuethrich さんが「ほら、俺の言った通りになったろう。NMR を入れるときには、部屋の設計からちゃんとしないといけないんだ!」と叱られたことが昨日のことのようです。しかし、空調を厳密に調整すると、冷暖房費が恐ろしく上がるんですよねえ。何しろ、冷房と暖房を同時に入れて温度を微調整するものですから。磁石の下に扇風機を置くと、かなり緩和されます。でも、くれぐれも吸いつかれないように。

短いスペクトルをたくさん取ると効率が良いことは確かですが、位相回しを完結できなくなることは残念です。三次元測定などの場合は、それでなくてもすでに必要な位相回しの数が実現できる ns をはるかに上回っている状態です。グラジエントを入れることによって、かなりの位相回しを省くことはできますが、それでも三次元スペクトルには、訳の分からないアーティファクトが出てきます。しかし、ns=128, 256 などを入れるのであれば、複数回おなじスペクトルを測って、足し算する方がよいでしょう。ロックを掛けなおしたり、チューニングを触らなければ、FID の位相もきっと同じですので、時間データで足し合わせることができるでしょう。運悪く位相がずれてしまった場合でも、それは0次だけだと思いますので、時間軸データの上で位相を0次補正してから足し合わせるとよいでしょう(sin データと cos データの分配比率を変えることを意味します)。なお、S/N 比の極端に異なる二つのスペクトルをそのまま足し合わせてはいけません。試してみると気づきますが(ということは、すでに苦い経験あり)、足し合わされたスペクトルは逆に劣化します。この場合は、ノイズの大きさが同じになるように規格化してから足すとよいかもしれません。