2023年11月23日木曜日

つれづれ思うこと 外国語編 その1

Perl 編を 10 編ほど書いてきたが、だんだんと書くことがなくなってきてしまい、次はどうしようかと思った時、ふと同じく「言語」というジャンルで「外国語編」を書きたくなってしまった。

英語を勉強し始めてからもうかれこれ 40 年以上も経っていることに、年齢の引き算をして初めて気づいた。それほど力を抜いた訳でもなく、ちょっとずつながらも努力を続けてきた "つもり" ではあったが、「英語」は、いや「英語」もやはりダメだった。特にリスニング(昔はヒヤリングと言ったが)がダメ。年齢とともに、日本語でも細く高い声が聞き取りにくくなってきた。いつも視るテレビのデフォルト音量もこの 10 年間で確実にアップしている。ましてや、イギリス英語の1万ヘルツを超える音声ともなると、風のささやきのようにしか聞こえない。

それではスピーキングは大丈夫なのかというと、これまた怪しい。日本語でも会話の中で人の名前は7割以上は出てこない。年齢の近い友人どうしでは「あの A さん」で会話を通すことが多い。翌日になっても「A さん」の本名が出てこない。名前に限らず、頭の中にはその物体が浮かんでいるのに、それを表す名詞が出てこない。これが英単語になってくると、もっと酷くなる。

数年前に、通勤の途中で単語集でも暗記しようと奮起したことがある。しかし、前日どこのページまで進んだかすら忘れてしまう始末である。「歳をとっても暗記力は変わらない」という研究結果があるとどこかで読んだことがあるが、それは絶対に嘘である!というより、実験の仕方が悪いと固く信じている。

今、大学生ぐらいの人たちに言っておきたい。スマホを触っている時間があるなら、それを少しでも削って英語を勉強しなさい。若い時の暗記力は 30 年後の 10 倍以上はある。

とは言え、Google 翻訳、DeepL、そして ChatGPT の登場により、果たして英語を勉強する必要はあるのか?と私自身も時々ふと思うようになってしまった。英語にかける莫大な時間と労力を、もっと数学や理科(理系ならば)にかけた方が良いような気がしてきた。ほとんどの人にとって外国語はあくまでツールであり、何かを論理的に考えるための土台とはならない。

もしかすると、30-40 年後は母国語をきっちりと間違いなく書くことが最重要視され(今でもそうなのであるが)、それさえ出来れば、あとは AI を含めて情報科学が確実に正しい諸外国語に翻訳してくれるのかもしれない(逆翻訳もまた然り)。誤訳されたとしたら、それはそもそも母国語が間違えているためだと判断されるほど、自動翻訳技術が発達するかもしれない。いや、きっとそうなるだろう。

すると「英語」は何のために勉強するのか?このような思考が頭の中をぐるぐると回り、この1年間ほど自分の頭の中で結論を出せなかった。

ところで、非難轟々を覚悟でいうが、英語ができる人は恰好よく(かっこよく)見える。頭も良いように見えてしまう(実際、その場合もある)。特に学会などで、日本人がアメリカ発音でべらべらと外国人と質疑応答をしようものなら、「あれは誰だろう?」と振り返ってしまう。一方、これがカタカナ発音のしどろもどろ英語であったりすると、何の感情も起きない。これは何故だろう?同じスピードでしゃべったとしても、アメリカ発音とカタカナ発音とでは、日本人のそれに対する見方に雲泥の差があるように思う。

それでは、米語発音の中のどれが聞いている日本人に一種の羨望のような感情を引き起こさせるのだろうか?筆者は「R」と「T」の音にあるのではないかと思っている。米語では「R」は舌を上に反り返らせて発音する傾向がある。そして「T」はラ行のように発音する。例えば、water は「ワラー(& 舌反り返し)」letter は「レラー(& 舌反り返し)」という具合にである。この二つの音は日本語にはなく異質である。そこに欧米文化へのあこがれや西部劇俳優のかっこよさ等が加わり、結果として英語ペラペラの人がかっこよく見えるのではないだろうか?

かく言う私も大学生の時には、この発音にあこがれ、アクセントを徹底的に調べつつ「R」と「T」を米語式に、そして「TH, F, V, W」を native 発音に近くなるように、まるで何かにとり憑かれたかのように練習した。さらに母音では「A」を「ア」と「エ」の中間音にしたり、「O」を極端に「ア」と発音したり(top は「タップ」に)した。いずれもそれが正しいというか唯一であると思い込み、またそうすることでかっこよく見れらたかったからである。

しかし、この 10 年間ほど、今はこれらの発音を極力しないように、どちらかというとカタカナ発音に近くなるようにむしろ努力している。どちらかというと米語ではなくイギリス英語に近い発音とでも言おうか、しかし、これまたイギリス英語を発音の手本とするのではない。最終目標は、アメリカ英語、イギリス英語のどちらへにも偏らず、それでいて世界中の誰にでも間違いなく伝わるような発音である。

なぜそれを目指すようになったかは続きでおいおい語ることにするが、要は、英語はもはや世界共通語となってしまったので、どこかの国の訛に固執するのも変ではないかと思ったためである。例えば、日本国内でも大阪のテレビニュースで司会者が「ほな次行くで。さっき大阪市で火事あって電車止まってん」などと発話することはまずない。ちゃんとした標準発音でしゃべられる。これは極端な例であるが、英語でも同じように、イギリス、アメリカに特化せずに、しかし英語に共通した発音は守りつつ、しゃべることは出来ないだろうか?と思う。

しかし、もう 40 年間もアメリカ発音こそが英語と思い込んできただけに、今さら water を「ワラー」ではなく「ウォーター」と発音するのは結構しんどい。授業でも最初は標準日本語でしゃべっていても(多くの受講生はそうなっていないと主張するが、私本人はそのつもり)、授業が遅れてくるとつい「そいで電子が葉緑体の膜ん中渡ってく時に、水素イオンがどさくさ紛れで汲み出されるんや」といった調子になってしまう。その方が速くて疲れない。

発音は運動と同じで、毎日少しずつでも練習していないとすぐに口と舌の筋力が落ちてしまい、上手く発音できなくなる(若い人はまだそれほど実感はしないと思うが)。「R」と「L」をひっくり返して発音してしまうことなんてザラである。これからも練習を続けていきたい。

ちなみに、上記の「そいで電子が...」の関西弁、BARD は完全に正確に英訳してしまった。恐るべし。

アメリカ英語では I don't want to ... を「アイダナワナ」などと発音する。この音をローマ字で表記すると「aidanawana」となる。このようにアメリカ発音はローマ字でいうところの「a」音が多いような気がする。一方、関西弁もローマ字で表記すると「a」が多いような気がする。

関東弁「それでは、しないといけないですね。」
関西弁「ほな、やらなあかんやん。」

これをローマ字で表記すると
関東弁「soredewa sinaito ikenai desune」i が多い
関西弁「hona yarana akanyan」a が多い

これは偶然の一致というか、いかに口をパクパクしないで、流れるように話そうとすると、このように a 音が自然に多くなるためではないかという気がしている。よって、西部劇ではタバコを加えたクリントイーストウッドが口をあまり動かさないで「かっこよく」話す。一方、シャーロックホームズがドラマでこれをしようとすると、口からタバコが落ちてしまうだろう。