2017年7月24日月曜日

重水素デカップリング

重水素デカップリング?「何を今さら」という感じでしょうが、つい数週間まで重水素デカップリング deuterate-decoupling がうまく行かずに悩んでいました。重水素デカップリングは、2H, 13C, 15N などで標識した蛋白質で、HNCACB などの3次元4次元スペクトルを測定する時に使います。この重水素デカップリングをしないと、13Ca, 13Cb などの横磁化が「第二種のスカラー緩和 scalar relaxation of the 2nd kind」という変な名前の機構で速く緩和してしまうのです。非常に簡単に書きますと、13C に結合している 2H の縦緩和がそこそこ速く、この T1 緩和によって 2H のスピン状態が変化してしまいます(スピン量子数 1/2 のスピンならば、スピンの上向き(α)と下向き(β)が速く入れ替わると表現できるのですが)。一方 13C は 2H と 1J(CD)-coupling しているものですから、その(J-coupling で split した)3重線が速く入れ替わってしまいブロード化してしまうのです。解決法は、そのなまじっか速めの交換をもっと速くしてやることです。つまり、2H に 180° パルスを連続的に当てて(Waltz なでも OK)、2H のスピン状態をもっと高速に入れ替えてやります。すると、13C の三重線も高速に入れ替わるので、真ん中の共鳴位置にうまく平均化されシャープになります。ちょうど多重線の間の intermediate-exchange を fast-exchange にあえて変えてやるのに似ています。

もう 25 年も前にごく普通に毎日のように測定していたのに、何故いま頃?と思われるかもしれません。実は、この問題に気付いたのは、もうかれこれ8年ほど前です。磁石が 800, 950 MHz と大きくなってくると、1日に蒸発するヘリウムの量も多くなってきます。すると、その中にある超電導コイルの位置もほんの少し(ミクロン単位?)ずれてきてしまうそうです。液体ヘリウムや液体窒素が蒸発することによって、磁石そのものがほんの少し傾くのか、それとも浮力の大きさなどが変わってきて超電導コイルが傾くのかはよく知りません(小さめの磁石では超電導コイルが(水面ではなく)He 面より上に出てしまうことはよくあります。しかし、pumping-magnet では常に浸っているはずなのですが)。とにかく、そのような何かしらの理由により、z1 あたりのシム値が1日でかなりずれてしまいます。500, 600 MHz 級ですと、この問題はほとんど起きません。さらに、地球の自転によってもシム値が少しずれるのです。12 時間後にちょっとシムが落ちているなあと思っていても、24 時間経つと回復していたりもします。そこで、このような測定中のシムの悪化を防ぐために、3日間ぐらいの測定の最中ずっと自動シム autoshim をかけっ放しにしています。これがうまく働くと、シム値はほとんど下がらずに3日後に無事に測定が終わります。今どきクライオプローブで三次元に3日間も時間をかけていては笑われてしまいそうですが、実際 10 μM ぐらいで分子量が 100k を超え、さらに構造交換が起こっていたりすると、3日間かけても期待の半分ぐらいの数のピークしか観えず、HNCOCACB-TROSY at 293K なんてどんなに頑張っても(頑張るのは機械の方ですが)何も観えないのです(厳密にはこれは嘘。Asn, Gln の側鎖だけ 13Ca と13Cb が逆さになって観えます)。

その autoshim 機能なのですが、しばしば初日はちゃんと機能しているのに、2日目のある時点でシムを良くさせるどころか、逆にこれほど悪いシムは見たことがないだろうという程にまで逆に機能してしまうことがあるのです。「もう本当にどうしてしまったの?とうとう壊れたの?」と首をかしげ、直後にうなだれてしまいます。ロック画面には常に重水信号のピークトップが示されているのですが、それが画面の底辺をうにょうにょと這っている状態にしばしば遭遇します。もうそうなると測定は最初からやり直しです。ただし、これまでただ指をくわえて眺めていたわけではなく、いろいろと対策を試みてきました。たとえば、autoshim を何秒に一回作動させるかの interval をいろいろ(1-8 sec)と変えてみる、標準パルスプログラムの重水素デカップリングの on/off 切り替え時間 4usを 30us に延ばしてみる、lock-hold on/off の時間を変えてみる、あるいはその命令の場所を変えてみる、元旦であろうが年中無休で監視に行き、測定の最中に数時間かけて手でシムを少しずつ上げる etc. 結果はというと、少しだけ良くなったりしました。しかし、依然、測定が最後までちゃんと行くかどうかは画面の前で両掌を合わせて拝むしか無かったのです。ただし、8年もこのような事と戦っていると、そのうち先方の癖に気づき始めました。まったく同じ測定をやり直すと、およそ同じ個所まで進んだ時点で落ちるのです。これは何を意味しているのかといいますと、パルスプログラムの中の重水素デカップリングの長さと、autoshim の on/off とが、あるタイミングで変な干渉をし、それがある一定時間継続した時に autoshim は豹変して裏切りを始めるということです。確かに、もし autoshim がいつも 2H-decoupling の真最中に作動してしまうようなタイミングにぶつかれば、シムを良い方向に動かすことは不可能になってしまうでしょう。もし、autoshim の on/off がパルスプログラムの中の命令で制御できれば、この問題はすぐに解決です。しかし、両者は別々の系統で制御されているのでしょう。パルスプログラムでは、t1, t2 などが increment されていきますので、2H-decoupling の長さについてもある周期性をもっています。一方 autoshim の方もこれは一定の周期性をもっています。これがあるタイミングで変なぶつかり合いをした時に暴走が始まるようなのです。

そこで思ったのは、パルスプログラムの周期性をめちゃめちゃにしてしまえば?ということでした。これは実は nonuniform-sampling, NUS を使えば簡単にできてしまいます。今まで NUS をあまり使わなかったのですが、最近 NMRPipe-IST や Smile(両者は別物です)があまりにうまく働くので重宝しています。そして、2H-decoupling の測定に NUS を使うと、これが何とこけないのです。今のところ成功率 100%!(autoshim の interval 7 sec, z1 +-2)。おそらく変なタイミングで干渉が起こっても、それが規則的に継続するわけではないので、すぐに autoshim が良い方向に向けられるのでしょう。このような理由で NUS を使うというのも変な話なのですが。まあ、なんとも長い闘いでした。2H-decoupling で悩まれている方は是非お試しください。