2013年10月21日月曜日

回すほど得をするらしい

固体 NMR でも、とうとう蛋白質の立体構造がきっちりと解けるようになってきたようです。固体 NMR と聞くと、すぐにあの超 broad なピークを連想してしまい勝ちですが、もし、蛋白質の微結晶を固体 NMR で測ると「これは溶液 NMR のスペクトルか?」と見まがう程の sharp なピークが出てきます。この微結晶は、X-線結晶構造解析で使うような大きな結晶である必要はなく、ちょっと出来損なえの結晶のミニかけらを集めても良いようです。しかし、いずれにしても、結晶はそう簡単に生えてくるものでもないですし、仮に結晶をある朝見つけてしまったら、思わずそのまま SPring-8 へ走って行ってしまう衝動を抑えることは難しいでしょう。

微結晶以外ですと、例えば、サルモネラ菌や赤痢菌のニードルも、きれいな固体 NMR のスペクトルを出します。このニードルの中では、蛋白質のプロトマーが規則正しく、まるで結晶の中のように並んでいます。最近の Nature にも出ていますので、またの機会にご紹介いたします。

先日、某 Br 社のミーティングに参加したところ、超遠心で沈殿(堆積?)させた蛋白質も固体 NMR できれいなスペクトルを出すということを聞きました。「まさか?」と思ったのですが、そう言えば、まだフィレンツェの Bertini 先生がお元気だった数年前に「超遠心 NMR」という論文を出されたような記憶があります。その時は固体 NMR の MAS (magic angle spinning) を利用して蛋白質の水溶液からロータの内壁周りに蛋白質を沈殿させる... といった内容だったように思います。

もちろんそのようにしても良いのですが、その場合、蛋白質はロータの内側の壁にへばり付いてしまい、中心付近はただの水になってしまいます。そこで、超遠心は NMR の外で別に行い、遠心管の底にピーナッツバターよろしく溜まった蛋白質の沈殿をスプーンですくい取ってロータに詰めれば良いよという論文がありました。それですとロータに中空の隙間ができません。

Fragai, M., Luchinat, C., Parigi, G., and Ravera, E. (2013) Practical considerations over spectral quality in solid state NMRspectroscopy of soluble proteins. J. Biomol. NMR 57(2):155-166.

固体 NMR はちょっと専門外ですので、正しく論文を読み取れたかどうか?あるいは、この論文の主張する内容が本当に正しいのかどうかが分かりませんが、とりあえず要約してみることにします。

単に蛋白質溶液を凍らせただけでは、線幅は広がってしまうようです。それは、蛋白質表面と直接相互作用している水和水も凍ってしまい、凍ったままいろいろな(ヘテロな)構造を採ってしまうためだそうです。

それではということで凍結乾燥品(powder)も使われるのですが、凍結蛋白質よりもさらに線幅が広がってしまいます。それは、表面水和相(層?)が完全に無くなってしまうためでしょう。この水和水は、側鎖をその中でほんの少し泳がせて、いわば averaging の役割をしているのかもしれません。

大きい蛋白質(例えば 32kDa)を MAS の超遠心で回している時は、凍らせても、あるいは溶液のままでもそれ程スペクトルの質は変わらないようです。それは、回転拡散がもう充分に遅いためです。しかし、ユビキチンのような小さな蛋白質の場合は、MAS 状態での(つまり、沈殿の中での)蛋白質分子の回転拡散相関時間はせいぜい 1.8 μs 程であり、これは 20 kHz の MAS で回しているロータの一回転に要する時間である 50 μs よりかはかなり短い(速い)ということになります。ですので、もっと蛋白質の回転拡散を抑える何らかの工夫が必要です。さらに、蛋白質の密度の点ではナノ結晶の密度(734 mg/mL)と同じ程度なのだそうですが、パッキング(充填度)の程度が弱く、Cross Polarization の効率が悪いようです。しかし、MAS 状態(14 kHz)で凍らせると(269 K)、CP 効率は上がったそうです。冷やした方が、小さな蛋白質の固定度合いが高くなるのでしょう。

微結晶では蓋をしないと乾燥してきて脱水和が起こるのに対して、凍らせた沈殿(frozen sediment)では、この脱水和が起こりにくいようです。さらに、パッキングがきついため、氷との直接接触が防がれているようです。それで、普通の水溶液を凍らせた場合とは逆の効果になるのでしょう。

蛋白質に電荷があると、その同電荷どうしの反発により超遠心状態でもあまり濃縮できないそうです(15% 程度?)。その場合は、微結晶(例えば、56.5%)の方が密度が高くなります。微結晶は詰める時に結晶と結晶の間に隙間ができてしまいますが、沈殿はそうはならないので、結果的に密度が高くなるようです。

この論文の Fig. 10 がよく描かれています。これを是非一目見てみてください。

2013年10月19日土曜日

重たい卵スープの作り方

長らく図を付けていませんでしたので、図のアップロードの仕方をすっかり忘れてしまいました。

下図は 13C, 15N で標識したある蛋白質の 1H-13C HSQC のスペクトルです。左側は普通の軽水溶媒(1H2O)に溶かした試料の、右側が重水溶媒(D2O=2H2O)に溶かした試料のスペクトルです。


この右側のスペクトル、実は閾値(しきいち)を底辺にまで下げても水のピークは全く見えません(すごい!)。もちろん、この測定法では gradient-echo を使って 1H-13C スピンのペア以外からの信号を積極的に消してはいるのですが、左側のスペクトルのように、軽水 90% の試料では、いくら頑張ってもこのように水ピークが依然残ってしまいます(presaturation はしていません)。13C 軸の幅が異なるので、両者を正確に比べることはできないのですが、どちらがきれいかと問われれば、圧倒的に重水溶媒試料の方でしょう。

もちろん、1H 1D スペクトルで見る限りでは、軽水は 1~2% は残っていたかもしれません。しかし、この程度でしたら、この図のように gradient-echo を使えば、ほぼ完全に水ピークを消し去ることができます。水のピークが思ったように消えない理由は、もちろん 55 mol/L(水1分子に2個の 1H があることを考慮すると 110 M に相当する)という異常に高い 1H 濃度にあるわけですが、必ずしもそれだけではありません。

別の大きな理由は radiation damping です。翻訳しても「放射減衰」となってしまい、何のことやら?この説明はまた別のところに書くとして、要は水の磁化ベクトルはひたすら +z に一人でに戻りたがるという現象の事です。たったの数ミリ秒程度で戻ることもありますので(感度の高い検出器ほどその傾向が強い)、product-operator での予想とは違った向きに水の磁化ベクトルが行ってしまうのです。したがって、 NMR の機種に応じて、水を消すためのパルス系列を変えてやらないといけないという困った事態にもなり得ます。

この軽水の残量が数パーセントにまで減ると、この radiation damping がほとんど * 無くなります。それでパルスの設計通りに水の磁化ベクトルを操ることができるようになり、この右側のスペクトルのようにすっかりとピークを無くすことができるようになるわけです(1H 1D では、蛋白質の何千倍も大きなピークでしたが)。(* 軽水が数パーセントにまで減ったとしても radiation damping は少しは残るのではないかと思っていますが、その現象についてはまた今度に。)

さて、どのようにして軽水溶媒に溶かした蛋白質を重水溶媒に換えるか?についてですが、よく使われる方法は凍結乾燥です。数百 μL の軽水溶液を凍結乾燥し、その後に同じ量の重水を加えます。塩や緩衝液成分のかなりは残っている(凍結乾燥の間に真空ポンプの中に吸い込まれていない)ことを祈りつつ、純粋な重水だけを加えます。しかし、先日それをしたのですが、DTT は完全に真空ポンプに飛んで行ってしまっていたのか、重水を加えて少し経つと(分子間での非特異的ジスルフィド結合の形成による)沈殿の嵐に見舞われてしまいました。

そこで、もっと安全な策として、限外濾過を使う方法があります。例えば、セントリコン(すみません、これ最高の製品でしたが、まことに残念なことに、アミコンになってしまいました。なぜアミコンだと蛋白 NMR にとって機能不足なのかもまた今度に)のフィルター部分を一晩 1L の水に浸けます。この時、時間を惜しんで、数時間だけ浸けたり、プロトコールに載っているように 4~5 回濯いだ程度では駄目です。フィルターに付いているグリセロールのピークが蛋白質の側鎖のピークを蹴散らしてしまいます。科学のデータはとれればそれで良いというものではなく、美しくないといけません。今、気付きましたが、右側のスペクトルは折り返しのピークが正のままでした。パルスプログラムを書き直すのをうっかり忘れてしまっていました。なんて見難い、かつ、醜いスペクトルでしょう。

このアミコンを使って、重水溶媒をどんどん加えていきます。仮に一回の濃縮で 1/5 まで容量を減らせたとします。これを4回繰り返すと、軽水の残量は 0.2% 以下になります。つまり、99.8% の重水溶媒に置き換わることになるのです。蛋白質分子がフィルターに吸い付いてしまうという難点を除けば、かなり安全な方法でしょう。今回の右側のスペクトルは、そのようにして調製した試料を測定したものでした。

さて、重水溶媒に溶かすと、少しですが、化学シフトがずれてしまいます。もちろん、pH (pD) も。したがいまして、構造計算に使う NOE の解析が厄介になりかねません。おそらく、これが軽水溶媒のままで全てのスペクトルをとってしまいたい大きな理由でしょう。

しかし、次のようにしてはどうでしょうか?側鎖については、軽水溶媒試料の H(CCO)NH, C(CO)NH であらましを帰属し、次いで、重水溶媒試料の HCCH-TOCSY, HCCH-COSY で詳細に帰属します。そして、15N-edited NOESY では前者の帰属を重視し、逆に 13C-edited NOESY では後者の帰属結果を重視します。帰属のエクセルのカラムが二重になってしまいますが、この方法は有効でしょう。

まだまだ書きたい事が一杯あり、このまま止まらないような気もしますので、今晩はこの辺りにて。

(数日後)やっと 13C-edited NOESY が取り終わりました。左が軽水溶媒の、右が重水溶媒の試料で取ったスペクトルです。重水溶媒試料はアミコンにかけた分、濃度が落ちているはずですが、クロスピークはそれほど劣化していません。おそらく NOE は重水溶媒の方がよく出るのかもしれません。また、ついでに 13C 軸で折り返ったピークが負になるように設定した 1H-13C HSQC も取りました。これだと帰属も楽です。それに美しい。