Arbogast, L.W., Brinson, R.G., and Marino, J.P. (2015) Mapping monoclonal antibody structure by 2D 13C NMR at natural abundance. Anal. Chem. 87, 3556–3561.
分子量はインタクトですので 150 kDa 程になります。確かに NMR にとっては難しい分子量です。1H-15N TROSY 効果を使っての測定ですと、これもまた別の製薬会社の方がされているように3次元スペクトルでもかなりきれいに見えます。ただし、mAb を完全重水素化する必要がありますので、抗体のように大腸菌での発現が難しい場合は、別の発現系にもっていく必要があり非常にコストが高くついてしまいます。また、大腸菌発現系では翻訳後修飾としての糖鎖は付きません。
著者らは 13C の natural-abundace でメチル基を観ています。15N は natural-abundace が 0.37% と低過ぎますし、また、1H-15N アミド基をしっかりと観るためには試料を完全重水素化してTROSY を使う必要がでてきます。一方、メチル基を観るのでしたら、13C の natural-abundace, 1.1% をなんとか活用できます。それにメチル基はその付け根の結合が軸周りに高速回転しますので、少し低分子-like となり、横緩和が遅くなります(したがって信号がシャープになる)。さらに 1H が3つ付いており3つとも同じ共鳴値ですので、単純計算で3倍の強度となります。
さて、当然のように感度は悪いですので、著者らは最近の NMR 手法をいろいろと活用しています。その一つめは「メチル TROSY」への挑戦でした。しかし、これは思った程の効果を出さなかったようです。その理由はこの試料が完全重水素化されていないためでしょう。普通は、メチル基だけを 13C-1H3 とし、それ以外の箇所は 12C-2H となるように標識します。このように標識するためには、大腸菌発現系の M9 最少培地に各種 2-ケト酸(α-ケト酸)を Leu, Val, Ile の前駆体として入れてやる必要があります。そして、M9 培地そのものは重水溶媒です。しかし、今回の試料は何も標識されていない mAb ですので、メチル基以外にも側鎖に大量の 1H が存在します。すると「メチル TROSY」があまり効かなくなってしまうのです。なぜ効かなくなるかの説明はまた別のところに書きますが、非常に簡単に書きますと次のようになります。
TROSY では(1H-15N TROSY でもそうですが)13C-1H の 1H のスピンがずっと α-状態(上向き)か β-状態(下向き)に維持されていることが前提となります。パルスプログラム HMQC の途中でこれがランダムに逆転してしまってはなりません(HMQC のど真ん中の 180 度パルスによって同時に逆転させるのはよい)。ところが近くに別の 1H があると、それと呼応し合ってアルファとベータがお互いに交換してしまうのです。これを spin-diffusion と呼びます。Spin-difusion は別の 1H が近くにあると起こりますので、メチル基以外を 2H にしないと TROSY 効果が減ってしまうのです。なお、この spin-diffusion を積極的に利用したのが NOE です。
また、methyl-trosy は普通の HMQC で達成されてしまいますが、この HMQC では、13C の化学シフトの展開時間の間も 1H が横磁化状態にあります。すると、周りの 1H との間に双極子双極子相互作用による横緩和が起こってしまいます。HSQC でも周りの 1H との間に双極子相互作用による緩和が起こりますが、この場合は anti-phase の 1H の縦緩和です。縦緩和は上記の横緩和と比べるとかなり遅いです。以上のような理由により、HMQC による methyl-TROSY 系列はあまりうまく行かなかったのでしょう。
二つめの工夫は non-uniform-sampling (NUS) です。t1 時間軸において 50% ぐらいの間引き率でサンプリングしますと、それほどアーティファクトも出ずに、まずまずのデータが再現できるようです。これを使うかどうかについては、どの程度の化学シフト値の正確さが必要かといった状況にもよるでしょう。
また、methyl-trosy は普通の HMQC で達成されてしまいますが、この HMQC では、13C の化学シフトの展開時間の間も 1H が横磁化状態にあります。すると、周りの 1H との間に双極子双極子相互作用による横緩和が起こってしまいます。HSQC でも周りの 1H との間に双極子相互作用による緩和が起こりますが、この場合は anti-phase の 1H の縦緩和です。縦緩和は上記の横緩和と比べるとかなり遅いです。以上のような理由により、HMQC による methyl-TROSY 系列はあまりうまく行かなかったのでしょう。
二つめの工夫は non-uniform-sampling (NUS) です。t1 時間軸において 50% ぐらいの間引き率でサンプリングしますと、それほどアーティファクトも出ずに、まずまずのデータが再現できるようです。これを使うかどうかについては、どの程度の化学シフト値の正確さが必要かといった状況にもよるでしょう。
試料調製については読んで頂く方が確実ですが、簡単に記しますと、まず NISTmAb を使っています。Fc を観る時にはレジンに固定化したパパインで酵素切断しています。精製はおそらく遠心限外濾過器(アミコンウルトラなど)(と protein A カラム)でしょうか?最終的な濃度は 0.25~0.30 mM で、25 mM 重水素化イミダゾール(あるいは d-bis-Tris)緩衝液などを使っています。ここで重水素化バッファ成分を使うことは重要です。なにしろ 13C の natural-abundace による HSQC を観ようとしていますので、普通のバッファ成分を使うとそのピークが縦に線を引いてしまい(t1-ridge)もう終わりです。また、論文には書かれておりませんが、アミコンウルトラなどの限外濾過器は必ず一晩 1L の水に漬けてください。仕様書には5回ほど水で濯げばよいなどと書かれていますが、フィルターの表面についているグリセロールは意外にも残っておりスペクトルが台無しになってしまいます。そして、アミコンウルトラなどで濃縮するのであれば、重水に溶かした重水素化バッファ成分で5回ほど溶媒を交換してください。これで軽水成分はほとんどなくなります(凍結乾燥までは不要です)。もちろん、軽水の水消しは NMR で簡単に実行できる場合もありますが(それに水を励起しない SOFAST を使えば)、簡単な努力で絶大な効果が得られるという時にそれをわざわざしないという理由はありません。まず二次元をとる前に普通のプロトン一次元スペクトルを測定してみてください。もちろん、水気しはなるべく無しです。もし、何か巨大な 1H のピークが出たとしたら、それを同定して試料調製の段階で除く努力をすれば、それはその後の苦労を嘘のように消してくれることでしょう(と Bax さんも力説されていました)。
さて、著者らは 600 と 900 MHz を使っています。プローブは TCI-プローブです。これは 13C のプリアンプも冷やされているタイプですが、実際には HSQC を測りますので、1H のプリアンプさえ冷やされていればよく、必ずしも TCI でなければならないということはありません。驚きはグラジエントが3軸も付いていることです。そのようなプローブが販売されているのでしょうか?3軸グラジエントは大好きなのですが、最近はお目にかからず残念です。昔は magic-angle-gradient などで遊んだものなのですが。
感度よくとるためには、データポイント数などにも気を配らないといけません。記載されているように 1H (t2, FID) で 65-80 ms, 13C (t1) で 8 ms, ちょうどよいですね。感度を上げるにはもう少し短めでもよいかもしれません。測定温度は 45~50 ℃でした。積算回数は 128 回で、測定時間は 12 hr ぐらいだそうです。なるほど抗体は蛋白 NMR 屋さんから見ると非常に安定な蛋白質ですので、このような高温での測定が可能なのでしょう。ここまで高温にすれば、実際の 150 kDa でも確かに見えてしまうかもしれません。アミド基を観る場合には、あまり高温にし過ぎるとアミド基 1HN が水の 1H と高速に交換してしまいかえって感度を落としてしまいますが、メチル基ですとその心配がありません。
SOFAST も使ってみたそうですが、普通の gradient-echo タイプの方がすこし良かったようです。SOFAST でメチル基だけを選択的に励起しようとしても、書かれているパラメータ(1.5 +- 2.5 ppm bandwidth)では aliphatic のかなり多くの 1H も同時に励起されてしまいます。これでは SOFAST の効果があまり出てきません。ここでは軽水系の溶媒を使って 1H の密度を少しでも上げたかもしれませんが、やはりアミド基の 1H は数が少なく効果が薄いのでしょう。ここで、普通の gradient-echo タイプがうまく行ったと書かれていますが、そこには receiver-gain というある重要なパラメータも関連しています。Natural-abundance で HSQC を測定する際には個々の FID の段階で 13C-selective な coherence のみを検出しておく必要があります。つまり、位相サイクルを通して初めて 12C-1H からの信号を打ち消していたのでは receiver-gain が間に合わないことを意味しています。最近の NMR は感度が良すぎて、それでも見えてしまうこともあるのですが、感度をもっとあげたい時にはそれはあまり得策ではありません。
ただ、SOFAST の方が本当に劣ってしまうのかどうかなどについては、分子量や溶液の粘性も含めさまざまな条件が関連してきますので、即断するのは難しいです。個々の条件で変わってきますので、いちど試してみるのがよいでしょう。例えば、SOFAST では水の信号に触れないようにパルスを設計しますので、水消しが意外にもうまく働き、receiver-gain を増やせるかもしれません。また、gradient-echo でも sensitivity-enhancement をここでは使っていますが、高分子の場合は rINEPT が一個しかない(よって、理論上は感度が 1/√2 倍に落ちてしまうはずの)gradient-echo を使った方が結果としてはよいでしょう。メチル基には 1H が3つも付いていますので、13C が横軸の時には 1J-coupling が3つとも効いてきます。ですので、INEPT, rINEPT の箇所の delay に気をつけないといけません。
なお、Fab, Fc の測定はもっと速く 4~5 hr ぐらいで十分だそうです。これらのスペクトルを重ね合わせるとインタクトのスペクトルとほとんど重なるそうですので、ヒンジ領域は非常にフレキシブルで、Fab と Fc はお互いに繋がれながらもかなり独立に泳いでいるのでしょう。それぞれの部分の回転相関時間を測れば、お互いがどのように運動しているかが分かりますが、このような研究がとうとう可能になってきました。