2023年1月1日日曜日

リン酸ナトリウムとリン酸カリウム

これは知らなかった。

生化学実験でよく使う「リン酸緩衝液 phosphate buffer」には大きく分けて二種類ある。リン酸ナトリウムとリン酸カリウムである。「どちらを使えばよいか?」と尋ねられたことがあったが、「どっちでも構わないよ」と答えてきた。実際、タンパク NMR の溶媒として使ってみて、差が見られたことは一度もなかった。もっとも血液にはナトリウムが多いので、血漿にもともとある蛋白質の場合にはリン酸ナトリウムバッファが良いのかな?ぐらいには思ったこともあったが、さして大きな理由があったわけでもなかった。

ところが下記の論文には(私にとって)驚くべきことが書かれていた。

K A Pikal-Cleland, N Rodríguez-Hornedo, G L Amidon, and J F Carpenter (2000) Protein denaturation during freezing and thawing in phosphate buffer systems: monomeric and tetrameric beta-galactosidase. Arch. Biochem. Biophys. 384(2), 398-406. doi: 10.1006/abbi.2000.2088

よく蛋白質溶液を冷凍保存し、使う直前に冷凍庫から取り出して解凍して使うが、その場合は、リン酸カリウムの方がよいとのことである。では、リン酸ナトリウム緩衝液を使った場合にはどうなるのか?これは 100 mM という比較的濃い緩衝液の場合であるが、もともとの pH 7.0 が、冷凍の際に 3.8 になることがあるというのである。pH 3.8 では、かなりの蛋白質が変性してしまい、解凍した時に沈殿を見るはめになる。10 mM であっても pH は 5.5 まで下がるらしいので、等電点沈殿を起こしてしまう蛋白質もあるだろう。ただし、液体窒素などを使って瞬間冷凍した場合には、そのような大きな pH 変化は起きない。

理由も書かれていて(ゆっくり)冷凍庫で凍らせると、不安定な Na2HPO4 が結晶化して沈殿してしまうためだそうだ。中性付近の pH は NaH2PO4 と Na2HPO4 との間のバランスで決まる。両者を等モルずつ混ぜると pH 6.8 付近になる。また、pH 7.5 にしたければ、それぞれを何対何で混ぜればよいかという表もネット上にある。凍らせる時に Na2HPO4 が優先的に無効になってしまうと、残る NaH2PO4 は(H が2個もあるので)溶液を酸性にもっていってしまう。ところが KH2PO4-K2HPO4 buffer の場合は、そのような事が起こらないのだそうだ(むしろ、ほんの少しだけ pH が上がる)。ただし、リン酸カリウムの場合でも、ゆっくり冷凍したり、ゆっくり解凍するとダメです。局所的に塩が集まってしまうので、蛋白質が沈殿になってしまいます。また、低温変性の影響も出てきます。

実際、溶液をエッペンドルフチューブに入れてゆっくり凍らせると、純水部分が周りから凍っていく。南極(北極?)の氷が海水ではなく純水であるのと同じである。すると、まだ凍っていない内部には、蛋白質や NaCl などの塩が濃縮されていき、さらに pH も下がって、蛋白質は沈殿してしまう。沈殿に気づくのは解凍してから後のことである。また、解凍の操作の時は上記とは逆に、蛋白質や塩の集まっているところから先に溶け出していく。そのような理由により、冷凍・解凍(freezing and thawing)をする際には、瞬間冷凍・瞬間解凍を目指さないといけない。前者には liquid-N2 を使えばよいが、後者はなかなか難しい。うっかり電子レンジでチンしてしまうと、逆に温度が上がり過ぎて卵焼きができてしまう。これも蛋白質の沈殿の一種ではあるが。

肉や魚の冷凍・解凍でも同じことが言え、できれば瞬間がよい。冷凍時間は電力を上げれば上げるほど短くできるが、解凍はそうもいかないので、なかなか難しい。電子レンジに解凍モードがあるが、もともと氷は電子レンジの電磁波を吸収しないので、氷を解かすのは苦手である。しかし、一旦少しでも溶けると、水は電磁波を吸収して一気に高温の水蒸気になってしまうため、今度は温め過ぎとなってしまう。

トリス(Tris-HCl)緩衝液の pH は温度に敏感である。冬に調製したバッファを春先に使うと、pH が 0.5 ぐらい下がっている。そのため、タンパク質が沈殿してしまったり、His-tag(Ni-NTA)カラムに蛋白質が吸着しなくなったりといった「怪事件」が起きてしまう。コロナの頃は、実験室のドアは開け放しだったので、冬はオーバーコートを着て、夏は汗だくで実験したが、すると上記のような事が起こり「はてな?」状態となった。等電点が 7.0 の蛋白質に対して、pH 7.5 の Tris-HCl buffer を使っていたためである。そこで pH 8.0 の Tris-HCl buffer に変えると、余裕ができて沈殿は一切でず、ゲル濾過でもきれいな溶出ピークが見られた。

今、除夜の鐘が鳴ってしまいました。それでは佳いお年を。