2024年4月3日水曜日

四次元の大海原で迷子

四次元の大海原に迷い込んだのか?と思うぐらい、何もピークのないスペクトルが広がっていました。先日、四次元 13C-HMQC-NOESY-13C-HMQC を 800 MHz で 5 日間もかけて測定しました。サンプルは4量体で約 150 kDa。I, L, V, M のメチル基のみを 1H/13C で、それ以外を 2H/12C で標識してあります。重水も [2H]-glucose も、それから [メチル基標識]-2-ケト酸も超高くなってしまった今、このサンプルを作るのにかなりの投資をしてしまいました。にもかかわらずピークが出ない。これは冷や汗ものです。

何故か Bruker の標準パルスプログラムの中にメチル TROSY でエディットした 4D NOESY がないので、自分で作るしか方法がありませんでした。ですので、そのパルスプログラムにもミスがあったのかもしれません。メチル TROSY のパルス系列には大きく二つあり、一つはオリジナルの水選択的パルスを用いて水の磁化を flip-back する方法、もう一つはアミド基の SOFAST 法をメチル基用に転用する方法です。一応両方を作りました。先日は後者の3次元版がうまく行ったので、今度は思い切って前者で4次元にしました。普通は3次元がちゃんと成功するのを見届けてから4次元に拡張すべきなのです。

もちろん non-uniform sampling (NUS) で測定し、そしていつも通り、SMILE でプロセスです。SMILE は高速でピークの歪みもほとんどなく、3次元の NOESY でもうまく行っていたので重宝していました。しかし、今回の4次元はなぜか上手くいかないのです。正常に終わるのですが、出来上がったスペクトルにはピークがない。。。

先日、NMRBox の中に NUS プロセス用のソフトウェアが何種類かあることに気づき、ちょっと比べてみました。NMRPipe-IST, SMILE, MDD, hmsIST, CambridgeCS, Camera, Nesta などがあります。大差はないだろうと思っていたら大間違いで、同じ生データでもどれでプロセスするかによって、結果のスペクトルはかなり異なっていました。ただし、どれがいつも普遍的によいのかを決めるのは難しいです。あるスペクトルには SMILE が、また別のスペクトルには MDD がよいという風にスペクトルによって良し悪しが異なるので、とにかく試してみるしか方法がないようでした。この結果についてはまた書きます。

そこで、まずは Nesta というプログラムを試してみました。ちょっとだけ試そうにも半日ぐらいプロセス時間がかかるので大変です。なんとかピークが出てきました。しかし、1H/1H プロジェクションと 13C/13C プロジェクションをそれぞれ表示すると何かが大いに変です。まず、全ピークが3つの間接測定軸でスペクトル幅(SW)/2 だけずれているような感じです。実は、パルス系列では NOESY の両側はいずれも 1H/13C-HMQC と対称的な配置になります。そこで、二つの 13C 次元を混同してしまわないように、両者の SW を少しだけ変えていました。そのこともあって、どうも 13C/13C 対角ピークがちょっとずれているのです。こんな状況は初めてです。

さらに、ピークの位相が 90 度ずれています。かなり悩んだ末、あることに気づきました。私は癖で t1, t2 などの間接測定軸のサンプリング時間は Δt1/2, Δt2/2 というように、インクリメント時間の半分からスタートするようにしています。すると、折り返ったピークは負になるので、すぐに判別できるのです。その代わり、位相補正は (ph0, ph1)=(-90, 180) のように設定しないといけません。ところが、ソフトウェアによって、内部でさまざまなパラメータを使うため、あるソフトウェアでは(0, 180)であったり、また(-90, -180)であったりなど、何通りかのパターンがあるのです。そこで、(-90, 180) を(0, 180)に変えてみました。すると、位相は全て吸収波形になりました。これでハードルを一つ突破です。しかし、SW/2 だけローリングしていることには変わりはありません。ここで Topspin を使えれば原因が早く分かったのですが、なぜか NMRBox の Topspin4 は、インストールはできるのに立ち上げようとするとライセンスが引っかかって立ち上がらないのです。仕方がないので週末は自宅からあれやこれやとリモートで触りながら(月)の朝を待ちました。

週明け、職場で Topspin を見て原因がやっと分かりました。EDA の FnMODE で States-TPPI を間違えて States にしてしまっていたのです。今まではパルスプログラムの中に TPPI-States のための位相回しやインクリメントを直に書き込んでいたのですが、それを NUS が使えるようにと MC に替えました。しかし、EDA まで変更するのをすっかり忘れていました。というわけで、装置は (x, y) (x, y) と取り込んでいたのに、プロセスで FT -alt としてしまっていたのです。一方、ちゃんと States-TPPI を指定すれば、 (x, y) (-x, -y) のように取り込まれます。この様子が TPPI に似ているので、States-TPPI という名が付きました。 (-x, -y) の部分は、Ft -alt の alt により、(x, y) に符号逆転されます。

* 上記の記載は実は誤りです。正確には States-TPPI では (-x, -y) と位相回しされた時に receiver の位相も逆転させます。よって、見たい信号にとっては (x, y) (x, y) と、あたかも States のように位相回しされたのと同じになります。しかし、アーティファクト成分は、receiver 位相の逆転により SW/2 だけローリングします。ところが、Bruker マシンはここで余計なことに信号全体を負に逆転させて H/D に保存してしまうのです。なぜそのような奇妙な設計になっているのか私には分かりませんが、これを元の正しい符号に直すのが FT -alt の役割です。

↓ FnMODE が States になってしまっています。これが間違いの原因。




さて、そのような事をして何の得があるのか?ですが、化学シフトが展開しないようなアーティファクト成分は普通は(0周波数ですので)スペクトルの真ん中(キャリアの位置)に走ります。しかし、むりやり (x, y) (-x, -y) のように正負に捻じ曲げてあげることにより、スペクトルの真ん中から両端に移動するのです。つまり、SW/2 だけローリングするのです。したがって、States でとったスペクトルに -alt を施してしまうと、この0周波数のアーティファクトと同じように、ちゃんとしたピークまでもが SW/2 だけローリングしてしまうのです。さらに、スペクトルの位相は (ph0, ph1)=(-90, 180) という傾斜を持っているため、SW/2 だけずらすと、ちょうど 90度だけ位相がずれてしまいます。これが全ピークが分散波形になってしまった理由でした。

原因さえ分かってしまえば後の解決方法は簡単です。NESTA で -alt を外すとちゃんと行けました。しかし、それでも SMILE ではうまく行きませんでした。この理由は今も分かりません。

↓ 左右ともに 1H/13C のプロジェクション。左は横軸が 1H 直接測定軸ですので高分解能になっています。



↓ 左は 1H/1H のプロジェクション、右は 13C/13C のプロジェクションです。4D では、これらがちゃんと対角を通っていることを確認した方がよいです。もちろん 3D でもそうですが。右のプロジェクションでは、真ん中に十字のアーティファクトが走っています。これは、もしちゃんと States-TPPI でとっていたら、このように汚くはなっていなかったでしょう。




メチル基は緩和時間が長いので、もう少し分解能を上げてもよかったのかもしれません。しかし、その分、データサイズが大きくなります。今回、3つの間接測定軸の zero-fill を 128 にしました。すると、最終的なデータサイズが 4GB になってしまい、nmrDraw が途中で固まってしまいました。仕方がないので、zero-fill を 64 に下げたところ、ファイルサイズは 1/8 に減り、スムーズに動くようになりました。NUS で分解能を上げると、このファイルサイズという問題に悩まされます。

一点、興味深いことがあります。この NESTA というプログラム、NUS プロセスの最中は (ph0, ph1) などの位相情報が不要なのです。なぜなのでしょう?SMILE などはこれが必要なのですが。中で仮の FT などをしていないのでしょうか?あまり NUS プロセルの中身を知らないので疑問のまま残っています。