交換現象は、水により多く露出した箇所ほど頻繁に起こります。そこで、交換頻度がどの程度であるのかをそれぞれの -15N-1H で調べることができれば、その箇所がどれほど溶媒に露出しているか、あるいは、蛋白質内部に埋もれて(さらに、水素結合を組んで水の攻撃から守られているか)などを推測することができるわけです。
この交換速度を調べるのによく用いられる方法が、水素/重水素交換(hydrogen-exchange, H/D-exchange, proton/deuteron exchange)実験です。一般的には、凍結乾燥した蛋白質(このアミド基には 1H が付いている)に重水をさっと加え、急いで NMR にセットして測定を始めます。しかし、数秒程度で交換してしまうようなアミド基では、いくら急いで実際の測定を始めようとしても、シム合わせやチューニング-マッチング合わせなどの操作の間に数分は経ってしまっていますので、いざ測定を始めた時には「時すでに遅し」になってしまうのです。
そのような場合に役立つ実験法が、Cleanex-PM です。なんだかティッシュペーパのような名前ですが、参考論文を二報挙げておきましょう。昔、Cleanex-AM という名前があったそうです。
Hwang, T.L., Mori, S., Shaka, A.J., and van Zijl, P.C.M. (1997) Application of phase-modulated clean chemical exchange spectroscopy (CLEANEX-PM) to detect intermolecular NOEs. J. Am. Chem. Soc. 119, 6203-6204.
これは一次元版です。下の論文が二次元 1H-15N HSQC 版です。
Hwang, T.L., van Zijl, P.C.M., and Mori, S. (1998) Accurate quantitation of water-amide proton exchange rates using the phase-modulated clean chemical exchange (CLEANEX-PM) approach with a fast-HSQC (FHSQC) detection scheme. J. Biomol. NMR 11, 221-226.
さて、この 2D 1H-15N HSQC 版のパルス系列を見ますと、これは何気なく TOCSY 1H-15N HSQC あるいは、ROESY 1H-15N HSQC のパルス系列に似ています。異なる点は、パルスが始まってすぐの 1H-180 度パルスが、ハードパルスではなくガウシアン 7.5ms (@500MHz) の水選択的パルスになっている点でしょうか?この選択的パルスの両側にグラジエントパルスがサンドイッチしていますので、結果として水は y 方向に残りますが、それ以外の(蛋白質などの)1H はグラジエントや化学シフトで xy 平面上でばらばらになって全磁化を足し合わせると事実上消えてしまうのです。ということは、これは生き残った水の 1H から、壊滅してしまったアミド基の 1H へと化学交換の形で磁化移動させるための仕組みということになります。そして、もしその磁化移動が実際に起これば、本来は消えてしまった -15N-1H の 1H 磁化が復活し、後半の 2D 1H-15N HSQC でピークが観れるというわけです。
では、化学交換によって水の 1H がアミド基 1HN に直接移動するわけですが、この時間(mixing-time)の間に良からぬことも起こってしまいます。例えば、水の 1H が Ser-OH, Tyr-OH, Glu-COOH などの 1H と交換してしまい、その後にそれら交換性の 1H と観たいアミド基 1HN との間で NOE 現象が起きるかもしれません。これを exchange-relayed-NOE と呼びます。あるいは、1Ha の化学シフト値は水の化学シフト値(〜4.7ppm)と似ているために、1Ha の磁化が水の磁化といっしょに生き残ってしまい、これと観たいアミド基 1HN との間で NOE 現象が起きるかもしれません。これを分子内 NOE と呼びます(これは、蛋白質を重水素化したり、あるいは、13C 標識してフィルター法を使えば除けるでしょう)。これら exchange-relayed-NOE と分子内 NOE があると、観たいはずの水からアミド基 1HN への交換現象が誤魔化されてしまいます。そこで、τm の間打たれる CLEANEX-PM パルスは、これらの現象をできるだけ排除し、exchange だけを残すように設計されています。
詳細は次回以降に譲ることにしまして、まずは、NOE と ROE を除く仕組みについて考えてみましょう。蛋白質などの高分子で NOESY を測定すると、対角ピークと交差ピークは同じ符号になります(下図左)。これを負の NOE と呼びます。フーリエ変換した後は普通はできるだけ正の対角ピークになるように位相を補正しますので、見かけとは逆の呼び名となってしまい、たいへん紛らわしいです。一方、ROESY を測定すると、対角ピークと交差ピークの符号は逆になります(下図右)。これを正の NOE と呼びます。もし、対角ピークが正になるように位相を補正すると、交差ピークは負になります。このように NOESY と ROESY では(対角ピークの符号を両者で合わせようとすると)交差ピークの符号がお互いに逆になりますので、これをうまく調整してお互いを打消し合うように組んだ mixing 方法が CLEANEX-PM です。
では、どのようにして NOESY と ROESY を同時に起こさせるかについてです。NOESY は磁化が z 方向にある時に双極子双極子相互作用(dipole/dipole interaction)によって起こります。一方、ROESY は磁化が x, y 方向にある時に dipole/dipole interaction によって起こります(ただし、スピンロックなどによって2つの磁化ベクトルが同じ向きに揃っていなければならない)。したがって、z と xy 方向に磁化が存在する時間をうまく調整できると、NOESY と ROESY の交差ピークがお互いにキャンセルできます。
CLEANEX-PM のパルス系列は、以下のようになります。{135x, -120x, 110x, -110x, 120x, -135x}N 単位の N 回繰り返し。最初に水の磁化が y にありますので、この水の磁化は上記の CLEANEX-PM パルス系列によって、yz 平面上を回ります。しかし、y 方向と z 方向のどちらに偏っているかという点でみると、z 方向の方が2倍多く滞在するように設計されています。これは、ROE 効果の方が NOE 効果よりも2倍強いためです(ただし、高分子の条件下)。このようにして、高分子内の NOE と ROE の dipole/dipole interaction は、うまく打消し合って消すことができました。
また、TOCSY 効果が消せているかどうかについてですが、完璧ではありませんが、かなり消せているようです。そもそもどのようにすると TOCSY になってしまうかと言いますと、二つの異なる化学シフト値をもつ磁化ベクトルがありまして、両者をできるだけ離さずにくるくると同時に回す(具体的には、その分離差が、両者の間の J-coupling 値より小さくする)と良いわけです。たとえば、90x-180y-90x などと打つと、化学シフト値が少しぐらい違っていても、二つの磁化ベクトルはかなり揃って +z から -z に移動します。これを連続的に打ったのが MLEV 形式ですが、もっと工夫された WALTZ や DIPSI なども知られています。CLEANEX-PM はそこまで化学シフト値の差を縮めるようには設計されていません(80% 程度に縮める)。したがって、TOCSY 効果は(化学シフト値が偶然にも水の 4.7ppm に近い場合を除いて)それほど無いわけです。