2019年6月21日金曜日

無冷媒磁石

NMR ハードウェア、特に磁石のことが勉強不足なので、ちょっと下記の論文を読んでみました。

Silva Elipe M.V., Donovan N., Krull R., Pooke D., Colson K.L. (2018) Performance of new 400-MHz HTS power-driven magnet NMR technology on typical pharmaceutical API, cinacalcet HCl. Magn. Reson. Chem. 56(9), 817-825. doi: 10.1002/mrc.4740

下記に磁石の写真が載っていました。
https://www.bruker.com/fileadmin/user_upload/5-Events/2018/BBIO/PANIC/3._Performance_of_New_400_MHz_HTS_Power-driven_Magnet_NMR_Technology_on_Cinacalcet_HCL__Typical_API_in_Pharma_.pdf

1951 年に 30 MHz NMR でエタノールの 1H スペクトルがとられました。翌年の 1952 年にパーセルとブロッホがノーベル賞をとり、同年 30 MHz NMR が早くも発売されました。その時の磁石は永久磁石でした。そして、40, 60 MHz と続きましたが、永久磁石ではそれ以上は磁場強度を上げることができませんでした。そして 1960 年には、今度は電磁石の 100 MHz が登場しました。電磁石は永久磁石よりも磁場強度を上げることができます。しかし、安定性の面ではむしろ劣っていました。さらに重量も重く、電気代もかさみ、水でひたすら冷やさないといけませんでした。そのような事情から 200 MHz から上は超伝導の時代となります。そして、今や 1.1 - 1.3 GHz の時代となりつつあります。

このように磁場強度が大きくなるにつれて、冷媒である He が問題になってきました。数年前から He 不足がアメリカでも大きく採り上げられており、とうとう日本にも 2019 年現在、価格上昇、供給困難という形で襲ってきました。そこで、無冷媒の磁石の開発に期待が寄せられているところです。

2013 年には 200 MHz で試作機が作られました。これには He コンプレッサとコールドヘッドが使われており、温度が 18 K の高温超電導(HTS)が利用されています。「あれ?無冷媒といいながら、やはり「ヘリウム」を使っているではないか」と言われそうですが、ちょっと仕組みが異なります。これまでの磁石は「液体 He」を使っており、その温度は 4 K でした。800 ~ 900 MHz 以上では、これをさらに冷やして超流動の起こる 2 K 以下にまで持って行っています(妖怪人間の世界です。若い人はこのアニメを知らないかな?)。しかし、上記の試作機では「気体 He」が使われています。18 K 4 K から見るとずっと高温になります。コンプレッサを使うと He を少し圧縮して貯めることができ、これでコールドヘッドに常に He ガスを供給することができます。ちょうど自転車屋さんの自動空気入れと全く?同じです(もっと高級ですが)。コールドヘッドはピストンとシリンジから成り、これで He ガスをもっと圧縮します。そして、圧縮された He ガスを冷やしたい箇所でパッと開放します。すると、He 分子は喜んで四方八方に飛び散っていきます。その際に温度が下がります。

なぜ温度が下がる?これ難しいのです。ジュール・トムソン効果という物理現象を利用しているのですが、断熱膨張とはちょっと違うようです。断熱膨張とは、気体分子が周りに飛び散る時に周りの壁を押し広げてしまうので仕事を一杯してしまい、この疲れ(エネルギー消費)により温度が下がるというものです。ジュール・トムソン効果では、広がろうとする分子が周りの壁を押す代わりに、分子同士が引き合う力に抵抗します。これに逆らうように分子同士が離れて行きますので、やはりエネルギーを消費して疲れてしまい、温度が下がってしまうのです。分子同士が思いっきりぎゅっと引き合っている状態は液体や固体です。凍結乾燥(フリーズドライ)などで氷である固体が真空中で気体に昇華すると、そのひっつき合っている分子間力に逆らって仕事をすることになり、結果として温度が下がります(だから溶けない)。そういう意味では気化熱とも言えなくもありません。しばしばNMR の見学者には、注射の前にアルコールを皮膚に塗るとヒヤッとするとか、炭酸コカ・コーラの栓を思いっきり外すと、瓶の口から冷えた白いモヤモヤ煙が見えるなどと言って説明しているのですが、全くの間違い?ではないのでしょうか?専門ではなくすみません ... (ここでは EMAN の物理学 https://eman-physics.net/thermo/jt_effect.html を参考にさせて頂きました。すばらしいサイトです。たいへん勉強になりました)。

話がそれてしまいましたので、元に戻ります。要は、コールドヘッドで圧縮した He ガスをパッと膨張させて冷やしているということです。これはちょうど、そう cryoprobe, coldprobe の仕組みと同じです(Cryoprobe は静磁場の大きな超電導コイルではなく、プローブの中のミニ検出コイルを 20K ぐらいに冷やしている)。このコールドヘッドは注射器のお化けのようなものですが、ピストンとシリンジとの間の気密性がすごく高く(そうでないと、小さい He 分子が抜けてしまう)、1年ぐらい経つとスカスカになります。それの交換代やその他もろもろの諸経費が車一台分ぐらいかかりますので、決してベストなチョイスではありません。しかし、液体 He の単価が上がってくると、選択肢の中に入ってくるわけです。ちなみに、He ガスは循環させることができます。だんだん汚くなってきますので、フィルターを通して油やゴミを取り除きますが、定期的に高純度(99.9999 % どうやって精製するの?)の He ガスと入れ替えることも必要です。しかし、超電導磁石に注入する「液体 He」の量に比べると少ないといえます。

著者らは 400 MHz の無冷媒磁石を作ったそうです。ちなみに電源を繋げ放しの通電モードです。評価用のサンプルとして 19F も含んだシナカルセト塩酸塩(重水素化 d4 メタノール溶媒)を使っています。普通の低温超電導磁石(4 K)でのスペクトルと比べると、やはり一次元では HTS に若干の分解能の低下が見られます。著者らは HTS は励磁してまだ数日しか経っていないためで、ドリフトが大きいからと推察していますが。2次元 NOESY, COSY でも少し感度が悪いように見えます。サンプル管をシゲミ管に換え、サンプル高さを 24 mm から 18 mm に縮めると(それに応じてプローブとシムスタックも交換)、感度は低下したが分解能は通常の磁石に匹敵するようになったとのことです。ということは、ドリフトの問題ではないのでは?という気もします。むしろ z-方向のシムが悪い(B0-inhomogeneity)ためではないでしょうか?B1-inhomogeneity(パルスがサンプルの上下限に届きにくくなること)かもしれませんが、1H 1D ですでに分解能に差が出ているので、そうではないような気がします。

2019年6月19日水曜日

やはり ATCase

書きかけの文章が山積みになっていますので、少しずつチェックしていこうと思います。下記もそうですが、これは 2014 7 18 日「見掛けと本質の親和性は違う」と関連しています。

Aspartate transcarbamoylase は、教科書に必ずと言って良い程出てくる allosteric-蛋白質の代表格です。教科書によると、ATP はこの蛋白質の平衡を T から R 状態に移動させ、逆に、CTP R から T 状態に平衡を移動させます。T R 状態では構成しているサブユニットの配置が異なるだけで、それぞれのサブユニットの構造が大きく変化しているわけではないようです。そして、基質であるアスパラギン酸は R 状態により強い親和性を持つ為、結果として ATP は促進材として、逆に CTP は阻害剤として働きます。これを({ATP, CTP} Asp という異なるリガンドでの相関であるので heterotropic な)MWC 協奏的モデルと呼びます。

しかし、過去の論文はよく調べるべきで、何とこの MWC モデルに反するデータも多く出ているようです。それによると、ATP CTP は活性サブユニットの立体構造そのものを変化させて、アスパラギン酸がより強く相互作用するようにしているのではないかという考えで、実際に証拠を示す実験のデータも出ていたようです(direct effect model)。そして、平衡が T から R 状態に移ったように見えるのは、Asp を加えた二次的結果であるとしています。なるほど、その可能性もあり得ます。また、これは一種の induced-fit モデルとしての KNF 逐次モデルに繋がります(ただし heterotropic な条件の下で)。MWC モデルとこの KNF モデルは、本来は連続的なモデルであってもよい中で、お互いに両極端の位置にあります。よって、これらの混合モデルがあっても不思議ではありません。R-T 平衡状態がずれることに加えて、更に R -> R' T -> T' のような構造変化も起きているのかどうかです。

Velyvis A., Yang, Y.R., Schachman, H.K., Kay L.E. (2007) A solution NMR study showing that active site ligands and nucleotides directly perturb the allosteric equilibrium in aspartate transcarbamoylase. PNAS 104, 8815-8820. https://doi.org/10.1073/pnas.0703347104

Velyvis A., Schachman H.K., Kay L.E. (2009) Application of methyl-TROSY NMR to test allosteric models describing effects of nucleotide binding to aspartate transcarbamoylase. J Mol. Biol. 387, 540-547. doi: 10.1016/j.jmb.2009.01.066

さて、彼らは 2007 年度にこの蛋白質を NMR で調べ(基質ではない)ATP CTP の添加によって、確かに R T 状態の間の平衡が移動することを発表しました。しかし、「この結果は MWC 協奏的モデルに従う」とは言えるが、この時点のデータだけでは、上記の direct effect model での構造変化が実際に起こっていないのかどうかの証明にはなっていませんでした。例えば、R -> R', T -> T' R' が基質である Asp のくっつきやすい構造)のような構造変化も考えられます。そこで、彼らは、今度は活性サブユニットのメチル基だけを標識し、確かに R -> R' のような構造変化は起こっていないことを証明しました。つまり、完璧に MWC 協奏的モデルに合致することを最終確認しました。同時にこれまでの「ATP, CTP の結合によって TR 間の平衡は変化しない」とするいかなるモデルをも却下することになりました。

構造変化が起こっていないことを証明するために、さらに RDC を測定しました(配向剤は PEG)。ATCase はきれいな3回回転対称の構造をとりますので、その回転中心がそのまま配向テンソルの主軸となります。さらに、活性サブユニットと制御サブユニットは別々に精製できるため、上記の化学シフト摂動実験の場合でも、活性サブユニットのみを 13C-1H メチル基選択標識し、制御サブユニットは非標識のままです。煮ても焼いても潰れないほど頑丈な蛋白質のようです。

また、この ATCase 300 kDa と特大ですが、サブユニットは対称的に配置されているため、測定試料の濃度は単量体換算で 0.3-1.0 mM 程度に相当します。メチル基の帰属が必要な気がしますが、実はこの蛋白質は、活性サブユニットと制御サブユニットを別々に調製し、後から混ぜ合わせて再構成させることができます。そのため、各ピークがどちらのサブユニットにあるかというサブユニット帰属ができるのです。さらに ATP, CTP などが存在している時と存在していない時とを比較するだけなので、残基ごとの細かい帰属はなくてもよいのです。

2009 年の論文によると、ATP, CTP が調節サブユニットに付いても活性サブユニットの立体構造は変わらなかった(ピークが動かなかった)ので、協奏的 MWC モデル以外は不可であるという結論になっています。しかし、たとえ三次構造は動かなくても、四次構造が変わればピークは動くはずです。そこで著者らは、平衡がずっと R 状態に固定されるような変異体を用いました。これならば ATP, CTP を加えても R-T の平衡はずれない(ずっと R 状態のまま)なので、四次構造に変化は起こらないはずです。単純に活性サブユニットの三次構造が変化するかしないかに集中できます。そして、この R 状態にある制御サブユニットに ATP が付くことによって初めて、さらなる R' 状態への構造変化が起こるのかどうかを調べました。その結果、R' に変化しませんでした(KNF モデルではリガンドが付いて初めて構造変化が起こる induced-fit の概念がもとになっています)。変異があるために R' に変化しなかっただけでは?とも勘ぐってしまいますが、きっと WT ATP をつけた時と同じ化学シフトであることを確認しているのでしょう。

なお、この構造変化は KNF モデルのことを言っているように聞こえるのですが(isotropic な)KNF モデルとは、同じリガンド同士の親和性についての話であり、ここでは ATP, CTP が付いた時の「基質」の親和性を論じているので、KNF モデルではなく direct-effect モデルと表しているのかもしれません。