この「大腸菌培養の最少培地 M9」シリーズですが、ついつい公開が遅れ気味になってしまい、また年を越えてしまいました。過去ブログを検索しやすいように、表にしてみました。
その5 2020/01/05
その4 2018/08/28
その3 2017/09/16
その2 2017/01/02
その1 2016/08/12
早く大腸菌の重水培養について書かないといけませんでした。重水 M9 最少培地はいつもの軽水 M9 最少培地とはかなり様子が違うため、いろいろと苦労が多いものです。下記はあくまで私見ですが、うまく行かない場合には参考にしてみてください。
(1)培地はオートクレーブしない。
オートクレーブは蒸し器ですので、これにかけてしまうと水蒸気(つまり軽水)が大量に培地の中に入ってしまいます。したがいまして、0.45 μm フィルターを使って滅菌します(大腸菌は 1 μm ぐらい?)。ところが、うちでは最近はこのフィルター処理をしないことも多いです。
重水培養では、ちょっとぐらい軽水が混入してもよい場合と数 % でも入ると NMR 実験が台無しになってしまう場合があります。前者は例えば、TROSY で高分子量蛋白質を測りたいなどの時です。確かに TROSY の感度がちょっと下がりますが、軽水の混入は致命的ではありません。ところが、transferred cross-saturation (TCS, 転移交差飽和法)を使って、相互作用部位を観たい時には、数
% の軽水のコンタミが結果を崩壊させてしまいます。特に saturation の donor 側である非標識蛋白質が 1 MDa などの大きさになる時です。複合体としての分子量が大きいですので、saturation の伝播(spin-diffusion)が非常に速く、acceptor 側(2H, 15N 標識)蛋白質のメチル基にちょっとでも 1H が入ってしまうと、それが saturation-pulse を直接うけてしまい、そこから saturation が自分自身内で伝播してしまうのです。かつて論文を投稿した際、reviewer
がここを攻めてきて、もし 100% 重水素化を達成できなければ認めないと主張してきました。しかし、もともとの培地の組成である D2O や [2H]-glucose も 100% 2H 化では決してありませんので、それは不可能なのです(そして、予言通り
reject されました)。
話をもとに戻しますと、フィルター処理をしないことによってちょっとでも空気(水蒸気)に触れる機会を少なくすることができます。アンピシリンは入れていますので、周りにいる雑菌が生えてきたことは今のところありません。もし、隣で実験している人の(アンピシリン耐性の)菌が生えてきてしまったら、その人に重水素化蛋白質をプレゼントしてあげましょう。滅菌操作が未熟であることを暴露することになってしまいますが、一方で喜んでもらえるでしょう。
(2)植え継ぎはガバっと
哺乳類に重水を毎日与え続けると死んでしまうそうです。そもそも重水の pD は
pH とは異なりますし、何より重水には粘性があります。4℃ で凍りますので、冷蔵庫から出してきた時にはまるで油のようです(しばしば凍っている)。これは哺乳類ならずとも大腸菌にとっても負担なのです。よって、大腸菌を少しだけしか植え継がないと、広くなった培地の中で絶滅してしまうことがよくあります。
まずグリセロールストックをそのまま使ってはいけません。必ず寒天プレートに蒔きましょう。開け締めの激しい冷凍庫ではグリセロールストックの菌は冷凍と解凍を繰り返され、ほとんどが死滅しているはずです。もし、100% 生きているのであれば、おそらく 0.0000...1μL を寒天プレートに蒔くだけで、数え切れない程のコロニーが出現するはずです。もし、10〜100 μL ほども蒔いて翌朝
100 個ぐらいしかコロニーが出ていなかったとすると、グリセロールストックの中の生存率は驚くほど僅かということになります。寒天プレートで中位の大きさに育ったコロニーだけを使いましょう。
ここで、コロニーを何個拾えばよいかです。ここでは 10-20 個ぐらいを拾っています。蛋白質科学会アーカイブの上垣先生のプロトコールによりますと、寒天プレート上のコロニーを全部いれても問題なしと書かれています。なんだか不健康なコロニーまで入れてしまいそうでちょっと不安なのですが、これまで数千回やったが一度も失敗したことがないとのことです。ではコロニー1個だけ入れるというのはどうでしょうか?確かにコロニーはクローンですので、遺伝的に同一な菌だけを集めたいという気持ちは分かります。しかし、ここでは出来るだけ培養時間を短くすることが重要です。そのため、次の LB 培地 2-3 mL には
10-20 個ぐらいコロニーを入れてみましょう。すでに培地が白くなっていてもお構い無しです。その状態で数時間激しく振ってやると、大腸菌たちは大変元気になります。30 分で一回は分裂しますので、数時間も振れば OD-600nm が1近くにまでなってしまうはずです。のんびりコーヒーを飲んでいたら、大腸菌たちはそろそろ共食いを始めます。
さて次ですが、これを遠心します。エッペンドルフに 1 mL を入れ軽く遠心します。毎秒数千回転を 1分間でよいです。15,000 rpm などで回すと、せっかくの元気な大腸菌も遠心力でぺちゃんこになってしまいます。また遠心機の冷蔵機能は off です。直前まで温泉につかっていた菌を氷に晒してはいけません。そして上清は捨てます。エッペンドルフの底の沈殿が菌体ですが、ここにまた先程の培地 1 mL を注ぎます。そして、また遠心し上清を捨てます。これを数回繰り返すと3mL 分の菌体だけがエッペンの底に集まります。遠心するのは LB 培地を次の最少培地になるべく持ち込まないようにするためです。
さて、次の D2O M9 培地についてですが、もし軽水がちょっとでも入ると困るような場合には、まず D2O M9 培地 10 mL ぐらいを用意しましょう。容器は 100 mL ぐらいの余裕のあるものを使います(エアレーションを増やすため)。そこに先程の沈殿を入れます(帰宅前)。ここで overnight で培養します。大腸菌にとっては急に重水になり、さらに栄養も少なくなるので、冬眠?を始めます。しかし、夜中頃に目覚め始め、何とか重水に慣れ、少ない [2H]- or [2H, 13C]-glucose を仲間で分け合い増え始めます。そして、翌朝には何とか D2O M9 最少培地に慣れた(adapted)大腸菌に成長するのです。
そして再び上記のようなエッペンでの遠心 → 沈殿をとる操作を繰り返してください。ここで 10mL の重水培地を捨てるのを惜しんではいけません。1H が混入してしまったら、再び高価な重水が 1L も必要になってしまうのです。とにかく、これで LB 培地からの持ち込みをかなり減らすことができます。もし念を入れたい場合は、D2O M9 培地 10 mL をもう一度夜まで繰り返してもよいでしょう。そして、夜に遠心 → 沈殿をとり、今度は沈殿を D2O M9 培地 100 mL に移します。 ここでまた overnight です。非常に調子よく行くと、翌朝には overgrowth してしまいますので、経験にもとづいて温度を 27〜30 ℃ぐらいに下げてもよいかもしれません。37℃ で振っても翌朝真っ白になっていないのであれば、おそらく失敗です。培地の組成や植え継ぎ量が少なくなかったかをチェックしてみてください。ここで思い切って中止することが重要です。重水の被害はせいぜい
10-20 mL で収まります。行けるかもと天に祈りながら突き進んでしまうと、数十万円の請求書だけが増えることになります。
OK であれば、残りの D2O M9 培地 900 mL も忘れずに 37℃ で振り始めます。30 分後、ちゃんと 900 mL が温まったら、100 mL を 900 mL にそのままドバっと注ぎましょう。バーナーによる滅菌操作やバイオベンチなどは不要です。そのような余計な操作をしている間に培地は冷えてしまい、せっかくの元気な大腸菌が再び弱ってしまいます。ここで別の菌がコンタミしたとすれば、滅菌操作そのものよりも実験室の掃除を考えましょう。とにかく余計な操作を減らし、水蒸気を含む軽水が混じってしまうことを防ぐのが一番です。朝に合計 1L の培養を始めれば、お昼ご飯の時に IPTG による誘導を行うぐらいのスケジュールになります。そして、夕方から夜にかけて集菌となります。場合によっては誘導を
overnight でかけた方がよい場合もありますので、その場合は温度を 25-30
度ぐらいに落として翌朝に集菌しましょう。上記のように、植え継ぎはガバっと行い(ただし、非標識成分が入らないように遠心はする)、重水適応(D2O adaptation)で使った D2O 培地 10 mL(× 2)は、もったいないけれども捨てることが大切です。
(3)上記の(ちょっと教科書には載せられないような)工夫により、1H コンタミをなるべく減らした重水培養はほぼ成功するのですが、どうしても発現量ががた落ちすることがあります。私は形質転換が面倒ですので、いつもグリセロールストックを寒天プレートに蒔いてから培養を始めます。しかし、BL21(DE3) 株では不意に変異が入ったり、プラスミドを落っことしたりするのもいるらしく、新たに虎褒めしないといけないようです(虎褒め:Google 翻訳では駄目でした ... transformation を意味する俗語です)。それでも虎褒めしたくない場合、最近はやってはいないのですが、スタブ法という方法で菌体を保存するとよいと先輩に聞いたことがあります。小指ぐらいの大きさの瓶に寒天培地を作り、そこに菌体を棒で底の方まで突き刺して植える方法です(なので
stab と言います。殺人事件のニュースでよく出てきます)。寒天プレートと何が違うのかよく分からないのですが、このスタブ法では室温で何年でももつとのことです。きっと、蓋を完全に締めるので、寒天プレートとは違い湿気や酸素濃度が抑えられるのでしょうか?寒天プレートを冷蔵庫から取り出すと、よく菌がプールの中で泳いでいる光景を目にします。
「その6」はまた思いついた時に。。。