2020年2月7日金曜日

HMQC 複合パルス


もっともシンプルなパルス系列である HMQC でさえ、たとえグラジエントや位相回しをふんだんに入れてもアーティファクトが出ることがあります。この論文には、そのアーティファクトの起源や除去法について書かれています。

Kay, L.E. (2019) Artifacts can emerge in spectra recorded with even the simplest of pulse schemes: an HMQC case study. J. Biomol. NMR. 73, 423-427. doi: 10.1007/s10858-019-00227-7.

Kayさんの単著論文ですが、若きころの師匠であるDennis Torchia さんとパルスについてあれこれと研究した時の思い出に浸りながら、この論文を書いたようです。そして、Torchia さんの 80 歳記念として、この論文が捧げられています。下記は自動翻訳ですが、その一節を紹介します「ここでは、ジャーナルの「サイエンス」ではなく実践的な「サイエンス」に重きが置かれていた「古き良き時代」へ先祖返りしたいと思います。数々の解決すべき科学問題がありましたが、その一部については私達は単純に「楽しみ」だけで追求していました。そのような楽しい問題のうちの一つをここで紹介します。それは最初は不可解でしたが、数分間考えると些細なことであることが分かりました。この時期に2人の NIH の指導者(Torchia さんと Bax さん)と行った多くの素晴らしい議論を思い出しました。」

「数分考えただけで分かった」という辺りが、そもそもすごい。

HMQC パルス系列には真ん中に 1H の 180 度パルスがあります。これを普通の矩形波で打つと、スペクトルの 13C 次元に沿って、1JCH だけ離れた二重線(+- J/2 のダブレット)のアーティファクトが出ます(2*1JCH だけ離れた二重線のアーティファクトも小さいが計算上は出る)。その π パルスの両側にはグラジエントペアが置かれており、パルスも exorcycle で位相回しされています(πパルスを 0, 1, 2, 3, .. 受信機を 0, 2, 0, 2 で回す)。2D 1H-13C HMQC はメチル TROSY 効果を持つため、最近では高分子量の重水素化蛋白 NMR で大活躍しています。

HMQC では 13Cの化学シフトの展開時間 t1 の間、多量子コヒーレンスが存在しています(例えば 2IxCy)。ここでの Ix はメチル基の3つの 1H のうちの一つであり、残りの2つは α 状態か β 状態のいずれかにあります。よって、αα, αβ, βα, ββの4種類が存在します(αは上向きスピン、βは下向きスピン)。もし、t1 期間の真ん中にある 1H πパルスが完璧であれば、αα と ββ は完全に入れ替わり、そして、αβ と βα も完全に入れ替わります。すると、アーティファクトは出ません。理想的な HMQC です。しかし、この π パルスが off-resonance 効果やパワーのミス設定により完璧でなかった場合、バランスが崩れて t1 期間の終わりの時点でうまく J カップリングが再結像しないような事態となります。つまり、2IxCyαα の大半は一応ちゃんと 2IxCyββ になってくれるかもしれませんが、一部は 2IxCyαα で残ったり、2IxCyαβ や 2IxCyβα が新たに生み出されてしまいます。他の3つについても同様です。これがアーティファクトになります。

πパルスの両側にグラジエントパルスのペアを入れても、アーティファクトを防ぐことはできません。なぜなら、α 状態も β 状態もこれは z 磁化に関するものだからです(Iα-Iβ = 2Iz, Iα+Iβ = E)。この z 磁化はコヒーレンスが0であり、基本的にはグラジエントや exorcycle 位相回しからは何の影響も受けません。グラジエントも exorcycle 位相回しもコヒーレンスを +1 と -1 の間で交換させる際に有効です。したがって、2IxCyαα のうち active-spin である Ix が完璧に反転しないことで生じるアーティファクトを消す機能をもつことになります。それに対して passive-spin の α, β 状態が完全に反転しないことから生じるアーティファクトには効き目を示しません。どうすればこのようなアーティファクトを消せるのかについては、composite pulse を使うことが勧められています。つまり、90y-180x-90y や 90y-240x-90y などです。これらを HMQC の 1H 横磁化 2IxCy に適用してもよいことに驚いたのですが(てっきり Iz or -Iz に対してしか使えないと思い込んでいました)、とにかくアーティファクトが消えるようです。これら composite pulse は少しぐらい off-resonance であっても、また、パルスパワーをミス設定していても、スピンを反転させることができます。

1H のパワーは個々のサンプルごとにキャリブレーションする場合が多く、そんなにパルスの不完全性が出るものか?と思い勝ちです。しかし、私もこれが意外にもアーティファクトを生み出すことを HSQC で経験しました。原因の一つは off-resonance 効果です。どうしても carrier 周波数(例えば H2O の 4.7 ppm)から遠くで共鳴するスピンには起こってしまいます。また、論文にも書かれている通り、サンプル管での溶液部分が長過ぎると、その上下で B1-inhomogeneity が起こります。つまり、パルスの届きが不十分なのです。もしかすると、ちゃんと 90 度パルス幅をキャリブレートしたつもりでも、サンプルの中心部分では強めのパルスが、上下両側では逆に弱めのパルスとなっており、これらの平均として 90 度パルス幅があたかも正確であるかのように見えているだけなのかもしれません。

この B1-inhomogeneity を考えると、ピストン付きのシゲミ管は溶液を 300 μL 程度に抑えることができるため、なかなか良いです。蛋白 NMR の人はほとんどシゲミ管を使っているのですが、有機 NMR ではそれほど popular ではないようです。一本あたりの価格が高いので、多種類、多数の試料には使えないなどの理由もあるでしょう。また、シム合わせも少し難しい(実際にはグラジエントシムはまずまず上手く動いてくれる)。シゲミ管はストックがなくなってきたら、もちろん必至で洗います。

ちなみに、つい最近 Scientific Reports に CinBB という名の composite pulse の応用例が出ました。国産です。Bando, et al. (2020) Concatenated composite pulses applied to liquid-state nuclear magnetic resonance spectroscopy. Sci. Rep. 10, 2126.

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