2014年5月25日日曜日

サブヘルツのジェー

固体 NMR での磁化移動は双極子双極子相互作用で、溶液 NMR の磁化移動は J-カップリングでというのが普通です。一般的には固体 NMR のパルス系列では前者を交差分極(CP, cross-polarization)にて、溶液 NMR のパルス系列では後者を INEPT にて実装します。溶液でも TOCSY と呼ばれるまるで CP そっくりな方法が使われますが、これでも実際の磁化移動の物理原理は J-カップリングに因っており、双極子相互作用ではありません。以上より、溶液 NMR では磁化移動というより、どちらかと言うとコヒーレンス移動と称する方が実情に合っているのでしょうか?

ところが、下記の論文

Schanda P, Huber M, Verel R, Ernst M, and Meier B.H. (2009) Direct detection of 3h-J(NC') hydrogen-bond scalar couplings in proteins by solid-state NMR spectroscopy. Angew. Chem. 121, 9486-9489.

溶液 NMR で普通に使う HNCO がそのまま固体 NMR に使われています。そう言われてみれば、先日の RRR-workshop でも Schanda さんは「溶液 NMR のパルスプログラムをそのまま使った」などと言っていましたっけ?Schanda さんは、もとは SOFAST-HMQC を発表した論文の第一著者でした。その後、固体 NMR に転向してしまったようです。しかし、上記のような論文を見ると、もはや「転向」などと言っている方が時代遅れなのかもしれません。溶液の技術を固体に「応用」した、否、そのまま「適用」したと言うべきなのでしょうか?

残余双極子相互作用(residual dipolar coupling, RDC)でもそうですが、溶液だ固体だとあまり区別をせずに、お互い使えるアイデアは積極的にマージさせるという考え方に頭を切り替えていかねばと痛感する日々です。そう言われてみれば、あの cross-correlated relaxation を蛋白質の主鎖の二面角を決めるのに使えるということを発表した Reif さんですが、彼は大学院生の時に固体 NMR のセッションに迷い込んでしまい、そこで聞いた講演がヒントになったそうです(Griesinger 研所属なので、溶液 NMR を研究していました)。

Reif B, Hennig M, and Griesinger C. (1997) Direct measurement of angles between bond vectors in high-resolution NMR. Science 276, 1230-1233.

さて、Schanda さんの論文の内容に戻ります。

[2H, 13C, 15N]-ユビキチンの微結晶(microcrystalline)を使います。ただし、1HN(溶媒と交換してしまう水素)については 20% だけ 1H を入れています。溶液 NMR ではもちろん結晶は使いませんが、大きな蛋白質はしばしば [2H, 13C, 15N] で標識されます。これは TROSY 効果を高めるためです。そして、1HN はできれば 100% 1H に近い形にしています。この固体 NMR ではアミド基の水素でさえ 100% 1HN だと双極子相互作用による(見かけの)緩和が響いてしまうのでしょう。そこで、結晶化の際に 80% D2O を使って、アミド水素をも 1/5 に減らしてしまいます。

15N から 13Co への INEPT の時間(1/(2J))は 66.6 ms です。帰りの磁化移動にも同じ時間が必要です。この 66.6 ms はちょうど 1/15 に相当します。この 15Hz は 1J(15N-13Co) ですので、普通の HNCO ピークはこの時間設定でかなり消えてしまいます(sin(pi * 15Hz * 66.6ms) = sin(pi) = 0)。溶液 NMR では少しでも水素結合由来の小さい J-coupling(-0.5 Hz 程度)からの寄与を高めるため、片道だけでこの 66.6 ms の倍にすることが多いです。2/15 sec ではなく、1/15 sec に設定するのは、やはり固体 NMR の方が(見かけの)横緩和が速いことを考慮しているためです。

1H のデカップリングは 3.1 kHz(90° パルス幅に換算して 81 us)(@850MHz)を WALTZ-16 でたたいています。これはぎりぎりの弱さですね。溶液の場合は TROSY を利用していますので、この 1H-decoupling はありません。

15N の FID 中のデカップリングは 3.5 kHz(90° パルス幅に換算して 71 us)(@850MHz)を WALTZ-16 でたたいています。これは 1J-coupling だけを消すことが目的の溶液の場合に比べてかなり強いですね。FID の長さはどのぐらいなのでしょう?と気になりましたが、この論文の数値からは割り出せませんでした。溶液の場合は TROSY を利用していますので、この 15N-decoupling もありません。

90°, 180° ハードパルスは両者ともに 100 kHz。溶液では見たこともないパワーです。計算すると 90° パルス幅に換算して 2.5 us!一方で 13C は選択的になってしまうので、80 us(90°)100 us(180°)の sinc パルスに。

測定時間は 112 hr .... えーとこれは5日弱に相当します。溶液でもちょっと大きめの蛋白質になってくると、水素結合を観るには一週間近く測定しないと駄目でした。ユビキチンの場合は「観えないピークは無い」と言われるぐらいですので(これは本当に蛋白質なのでしょうか?)、あまり他の蛋白質の測定パラメータの参考にはなりません。

リサイクル時間(D1)は 1.0~1.5 sec ... 溶液と同じぐらいです。試料の温度は 27℃で、これも溶液 NMR と同じです。

試料は結晶化させる時に 20% H2O / 80% D2O の溶媒を使っています。同時に沈殿剤兼抗凍結剤として [2H]-2-methyl-2,4-pentanediol (MPD) を使っているようです。ロータは 1.3 mm で、超遠心を使って詰めているようです。4 mg 分です。お楽しみの MAS ですが、57 kHz です。うーん速いです。

やはり、感度はあまり良くなかったようです。特に観えなかったのは、ループや二次構造の端など flexible な所でした。7個しか水素結合が観得なかったようでして、なぜ観えなかったのか、感度を上げるにはどうすればよいかなどが後半の文章を占めています。一案は、1.3 mm ロータではなく 3.2 mm を使って試料の量を5倍に増やす事ですが、そうすると MAS のスピードも落ちてしまいますので、現状では quite challenging だと著者は締めくくっています。また、隣の分子との水素結合も観えてしまったそうです。結晶ですねえ。

Supplement の1ページ目の T=... δ=... は間違えていますね。2T=..., 2δ=... にしないと。CPMG の π パルスの幅など、NMR パルスの論文ではこのような誤植がしょっちゅうです。信じてパルスプログラムを作ると、信号が見事に0になってくれます。

書いているうちにすごい砂嵐がやってきました。キーボードも論文も細かい砂でじゃりじゃりです。マウスをドラッグする度にじゃりじゃりと音が。。。まずい、明日の授業の準備が全く進んでいなかった。。。

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