蛋白質を早く調製するために、よく蛋白質の N-末端か C-末端に { His-His-His-His-His-His } のタグをつなげます。すると、精製がすごく楽になるのです。一般的には Immobilized metal ion affinity chromatography (IMAC) と呼ばれています。Ni-NTA カラムと呼ばれる Ni2+ イオンがキレートされたレジン(Ni2+ charged chelating resin)が売られており、これに蛋白質を流し込むと (His)6 の部分が Ni2+ にくっつくのです。「Ni-NTA」で画像検索すると、その仕組みが描かれたサイトがたくさん出てきます。後でイミダゾールを流すと、蛋白質が Ni2+ から外れて溶出してきます。イミダゾールはヒスチジンの側鎖部分のような物質ですので、Ni2+ が蛋白質の (His)6 との相互作用をやめて、大量に流し込まれたイミダゾールに鞍替えすると考えればよいでしょうか?あるいは、大量のイミダゾールが Ni2+ に付くので、(His)6 は競合的に負けて流れ落ちてしまうと考えてもよいでしょう。
しかし、先週この「His-タグ」が信じられないような悪さをしてしまったのです。まずは、それ程たいしたことのない経験から。
ある蛋白質を Ni-NTA カラムクロマトグラフィーにかけ、それを溶出した後に His-tag を切ろうと thrombin を加えましたが、何日たっても一向にタグが切れませんでした。溶液は透明なままで沈殿が起こっていたわけではありません。しかし、もしやと思い、そこに EDTA を入れてみると途端に 30 分以内にタグがきれいに切れてしまいました。おそらく、複数の蛋白質の His-tag が少しの金属イオン(おそらく Ni-NTA から漏れ出たニッケルイオン)を奪い合って凝集していたのでしょう。ちょうど繁華街に百万円の札束を何十束とばらまいたような状況になりました。一束に何人もが群がり集まるような有様です(例え悪すぎ?)。それが沈殿になればすぐに分かったのでしょうが、たまたま親水面を外側表面に向けてニッケルイオンを覆い包み、まるでミセルのような凝集体構造をとっていたため、溶液が透明のままだったのではないかと思います。
似たような話が次の論文にも載っていました。
Hom, L.G. et al. (1998) Nickel-induced oligomerization of proteins containing 10-histidine tags. BioTechniques 25, 20-22.
His-tag がどうも可逆的な凝集を引き起こしているらしいことは、上記の論文にも載っています。著者らは普通の (His)6-tag の親和性があまり高くないので、(His)10-tag に換えました。すると、溶出した溶液に EDTA を入れた場合には蛋白質が単量体になり、10 mM の Ni2+ を入れた場合には凝集したのだそうです。1% SDS, 6 M urea, 10 mM DTT などをそれぞれ入れても、また1分ほど熱しても凝集をほどくことができなかったようです(目的蛋白質は unfold した状態なので、その蛋白質の配列そのものが凝集を引き起こしているわけではない)。著者らは、Ni-NTA カラムを使うと、少しはニッケルイオンが外れて試料といっしょに漏れ出てきてしまい、それがクロスリンク的な凝集を引き起こす可能性があると書いています。
したがって、Ni-NTA カラムから溶出してきた試料にはすぐに EDTA を入れることが重要です。その EDTA-金属錯体は、その後にゲル濾過、限外濾過、透析などで取り除くことができるでしょう。
蛋白質分解酵素(protease)の中には Ca2+, Zn2+ のような金属イオンが必須のものがあります。EDTA は金属イオンを奪い取りますので、しばしば不純物のプロテアーゼを失活させる目的で EDTA を常に入れておく場合があります。また、Ni2+ などの金属イオンはある条件下でペプチド結合を切ってしまいますので、それを防ぐためにも EDTA は入れておいた方がよいでしょう。しかし、His-tag を切るためのプロテアーゼにそのような金属プロテアーゼを選ばないようにしないといけません。少なくとも thrombin や PreScission pretease (HRV3C) は EDTA 存在下でも大丈夫です。
ここまではよくある話なのですが、先日 His-tag なしの遺伝子構成で発現させると凝集がなくなるということが起こりました。この蛋白質は His-tag ありなしに関わらずよく溶けました。沈殿も起こりません。ところが、His-tag ありの方ではゲル濾過で理想よりも高分子量側に広い範囲で溶出し、NMR で測定するといかにも凝集していそうなスペクトルなのです。また、いくら EDTA を入れても回復しませんでした。当然、His-tag を切断するためのプロテアーゼも換えました。そして、ちゃんと His-tag は切断除去されますので、His-tag 部分が蛋白質の fold に巻き込まれていたわけでもなさそうです。しかし、それでも凝集は防げませんでした。1年以上あれやこれやとさまざまな方法を試したのですが(それでもう万策尽きて、最後にまさかと思いながら遺伝子上で His-tag 除去に踏み切ったという次第)、それらの結果をまとめると、どうも大腸菌での翻訳過程で N-末端につけた His-tag がその folding に悪さをしており、出来損なえの(しかし、一応はちゃんと溶ける)蛋白質を作り出したとしか思えないような状況なのです。そういえば、C-末端側に His-tag を付け替えることをしませんでした。これを試せばもっとよく分かったかもしれません。
実はこの蛋白質は同種多量体(homo-multimer)なのです。すると、個々のサブユニットがちゃんと fold してから多量体として集まるのか、それとも、unfold した状態のサブユニットが集まって来て、個々のサブユニットの3次構造と多量体としての4次構造が同時に作られていくのかがよく分かりません。もしかすると、人工的な His-tag が金属を奪い合った結果、個々のサブユニットがちゃんと fold する前に複数のサブユニットが集まってしまったのかもしれません。すると、ドメインスワップのような状況が起こり得ます。つまり、隣どうしのサブユニットで自と他の区別がつかなくなり、間違えて他のサブユニットを自の方に巻き込んで fold してしまうのです。
そういえば数年前にすでに痛い目にあっていたことを思い出しました。それはカルシウム結合蛋白質だったのです。ヒスタグを切断するのが面倒で、そのまま NMR で測定しました。すると、すごく変なスペクトルなのです。溶液の中に EDTA を入れると、もちろん Ca2+ が蛋白質から外れてしまいますので、入れるわけにはいきません。これも、His-tag を通して凝集が起こっていたのでしょう。そして、His-tag をちゃんとプロテアーゼで切断してやると、きれいなスペクトルに大変身しました。
ヒスチジンタグ法は、あまり精製度はよくありませんが、簡単でたんへん効率も高く、また小さいのでいざとなれば切り取らずに付けたままでいろいろな生化学的実験もできる場合があります。さらに、塩酸グアニジンや尿素で変性させた状態でもカラムにつけることができます。しかし、少なくとも金属の混入には気をつけて、EDTA を 0.5~1.0 mM ほど入れておくようにしましょう(もちろん、カラムからの溶出の後です)。また、N-末端と C-末端のそれぞれに付けてみて、同じ挙動を示すかどうかを見ておくとよいかもしれません。これらは昔から言われ続けてきたことなのですが、最近の便利さについ甘えてしまい怠ってしまいました。現代科学をもってしても、これらを前もって正しくシミュレーション計算することは難しいのでしょう。
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