2025年9月8日月曜日

等電点凝集で慌てる

X 線結晶構造解析、クライオ EM、NMR に限らず、構造生物学の研究で最も重要な要素の一つは、いかに蛋白質を高純度に精製できるかという点でしょう。SDS-PAGE 電気泳動で不純物由来のバンドが見えるようでは、多くの場合、実験は失敗に終わります。たとえ目的の蛋白質のバンドだけが検出され(いわゆる、シングルバンドの状態)、一見純度が高いように見えても、もしプロテアーゼがわずかにでも混入していれば、測定の途中で徐々に本命の蛋白質が分解されてしまいます。また、SDS-PAGE では見えていない核酸成分も多量に混じっています。そのため、精製過程では複数種類のカラムクロマトグラフィーを組み合わせて高純度の蛋白質を得る必要があります。そして、その精製度を逐次 SDS-PAGE によって確認していきます。途中でシングルバンドになったとしても、せめてゲル濾過ぐらいは必ずかけましょう。プロテアーゼが 1/100,000,000 含まれていたとしても、たった1日であなたの蛋白質は全て切断されるからです。

実験を始めて 1 〜 2 年ほどの初心の頃には、しばしば「蛋白質が消えました!」という悲鳴を耳にします。電気泳動の結果を見ると、ある工程までははっきりとバンドが見えていたのに、次の工程を経た途端、そのバンドが影も形もなくなってしまう、という状況が起こるのです。さて、目的の蛋白質は一体どこへ消えてしまったのか?初心者にとっては、いくら考えても答にたどり着けないかもしれません。実際には、「限外濾過器のフィルターに吸着した」「分解されて分子量が小さくなった」「凝集して沈殿し、上清から消えた」「ガラス壁面に吸着した」など、思い付くだけでも複数の可能性が考えられるのですが。

ここで重要なことは、原因をどのように特定するかという点です。上清や沈殿を少しずつサンプリングして電気泳動にかけてみるのも有効ですし、280 nm での吸収度を測定する方法もあります。余裕があれば、MS で確認してみるのもよいでしょう。さらに今の時代であれば、状況を詳しく AI に説明し、考えられる原因を列挙してもらうのも一つの手です(複数種類の AI を同時に試すと、ヒット率が上がります)。では、最も悪いやり方は何でしょうか。それは「諦めて、もう一度やってみること」です。経験上、その場合は半分の確率で同じ失敗が再現され、残り半分の確率ではなぜかうまくいってしまうことがあります。しかし、理由が分からないまま成功してしまっても、その“隠れた原因”はしばしば引き継いだ後輩の実験の場面で再び現れるのです。したがって、原因の芽はできるだけ最初に摘み取っておかなくてはなりません。この“亡霊”は、放置すればほぼ必ず再来するものだからです。また、失敗というものは、その原因を解明して改めることによって進歩へとつながるものです。ただやみくもに繰り返すという行為は、たとえ一時的に成功をもたらしたとしても、長期的に見れば何の進歩ももたらしません。

と大きなことを豪語しましたが、かくいう当研究室も偉そうなことは言えず、「もう仕方がないので再実験しましょう」という形で、その後なぜかずっと成功し続ける、ということがあります。そこで私は、卒業(修了)式の日に「今から考えると、あの失敗の原因は何だったと思う?」と各自に尋ねるのですが、これに答えられた学生はほとんどいません。一方で、原因を突き止めて解決できた例もあります。精製用のある酵素を研究室で精製しているのですが、その最終工程としてゲル濾過クロマトグラフィーを行います。ある学生が操作するときれいな溶出ピークが得られるのに対し、別の学生が行うと最初から最後まで非常にブロードで乱れた溶出ピークしか得られない、という事態が繰り返し起きていました。この問題の解決には、実に 4 年を要しました。

今から振り返ると原因は二つあり、どちらにも pH が関わっていました。ゲル濾過の前には GST カラムを用いた精製があり(このプロテアーゼは GST 融合タンパク質として発現させています)、溶出には還元型グルタチオンを用います。その際、濃い Tris-HCl のストックバッファーを水で希釈したのちにグルタチオンを加えていたのですが、試薬として販売されているグルタチオンは強い酸性を示すため、薄められたバッファーの効果は打ち消され、溶出バッファーの pH が 3 へと傾いてしまっていました。その状態で目的のプロテアーゼを溶出させると、沈殿までは生じないものの、分子が不均一に凝集した状態になってしまいます。凝集体の大きさはばらばらなので、ゲル濾過では凝集体ごとに異なる時間で溶出し、その結果としてピークが大きくブロード化してしまったのです。あるいは、ゲル濾過のレジンと非特異的に相互作用していたのかもしれません。むしろ、ゲル濾過前の濃縮過程で沈殿してしまえば、すでに原因が分かったことでしょう。しかし、GST-fusion はなまじっか安定なために、沈殿せずに凝集でとどまってしまったことが、原因の直接目視を邪魔してしまったのでした。

そして「これで解決した」と思ったのですが、問題は再び起こってしまいました。今度は溶出(グルタチオン)バッファーの pH をきちんと確認していたにもかかわらずです。そのまま数年が経ちましたが、やがて一つの傾向に気づきました。夏に精製すると成功率が高く、冬になるにつれて失敗の確率が上がるのです。

このプロテアーゼ(実は Hrv3c)は比較的安定な蛋白質であるため、ゲル濾過は室温で行っていました。ここで使用していた running buffer が Tris-HCl だったことが問題でした。Tris-HCl は温度に非常に敏感で、温度が 1 ℃上がるごとに pH が約 0.02 〜 0.03 低下します。そのため、夏場に実験すると冬場に比べてバッファーの pH が 0.5 〜 0.6 程度低くなっていたのです。つまり、夏の実験で成功率が高かったのは、ゲル濾過のランニングバッファーを pH 7.5 に調製していたつもりでも、実際には pH 7.0 前後になっており、その条件下では Hrv3c は安定化していたと考えられます。そこで実際に pH を室温で正しく 7.0 に設定して実験を行ったところ、常にきれいなゲル濾過の溶出ピークが得られるようになったのです。

一方で、先ほどとは異なり「季節との関連がない」こともありました。このような事情により、原因を突き止めるのに何年もかかってしまいました。それは、先輩からゲル濾過用のランニングバッファーを譲り受けたときに起こる現象です。先輩が夏場に Tris-HCl バッファーを調製し、使い切れなかった分を後輩に譲り渡すのですが、夏に調製すると実際には必要以上に pH が高めになってしまうのです。

さらに注意すべき点があります。Hrv3c や GST の等電点 pI をアミノ酸配列から計算しても pI 7.5 にはならないのです。つまり、必ずしも「等電点沈殿」が原因とは言い切れません。おそらく、理論計算ではすべてのアミノ酸の pKa が考慮されるのに対し、実際の等電点沈殿には主に分子表面に露出したアミノ酸残基の pKa しか影響しないためでしょう。いずれにしても、蛋白質精製においては溶媒の pH を等電点から ± 1 〜 2 程度は離すことが重要です。また、バッファーストックを希釈すると H+ の解離度が変化するだけでなく、緩衝能そのものも弱まってしまうため、もう一度 pH を確認する必要があります。

このような知恵は、おそらく 100 年以上も前から研究者の間で言い伝えられてきたことでしょう。しかし、人間というのは、些細な過ちほど何度も繰り返し、結局は多くの時間と労力を浪費してしまうのかもしれません。

実は、最近似たような等電点沈殿の現象がまた起こったため、この文章を書くきっかけになりました。ある学生がホモ四量体の精製(His-tag, Ni-NTA カラム)では順調に進められていたのに、変異二量体では突然、蛋白質が“消えて”しまったのです。電気泳動を見ても、どこにもバンドが見えません。直前の工程までは確かに存在していたのにです。

この場合は明らかに等電点沈殿が原因と考えられました。つまり、カラム内で蛋白質が沈殿してしまったのです。使用していたイミダゾール入りの Tris-HCl バッファーは、調製時には pH 8.0 のはずだったのに、失敗した後に実際に測ると pH 8.5 を示していました。おそらく、バッファーを調製する時に、猛暑の中で pH メーターを使ったためでしょう。そして偶然にも、その変異二量体のアミノ酸配列から計算される等電点(pI)も 8.5 であり、値がぴったり一致してしまっていたのです。

興味深いのは、同じバッファーを四量体の精製に用いたときには全く問題がなかったことです。では、なぜ変異二量体では沈殿が起きたのでしょうか。おそらく、四量体と変異二量体とでは分子表面に露出する残基が異なり、その違いが沈殿の挙動に影響したためだと考えられます。しかし、四量体にとっても pH 8 は、あまり良い条件とは言えないことになりますね。

なお、リン酸バッファーは温度による pH 変動がほとんどありません。また、第一リン酸と第二リン酸のモル比を調整することで、ある程度 pH を変化させることができます。そのため、先に述べたような一見“怪現象”のような事態は起こりにくいといえます。ただし、pH 8 付近では緩衝能がほとんど働かないため、この領域では Tris-HCl の方が適しています。

さらに、等電点沈殿では多くの場合、蛋白質の立体構造自体は保たれています。したがって、白い沈殿が大量に出ても慌てることはありません。pH をわずかに変えたバッファーを加えれば、沈殿はすっと溶けて透明な溶液に戻ることが多いのです。ただし、塩酸や水酸化ナトリウムを直接加えてはいけません。その場合、透明になったとしても、それは“再び溶解した”のではなく、“変性して溶けてしまった”ことを意味するからです。

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