Cai, M., Huang, Y., Yang, R., Craigie, R., and Clore, G.M. (2016) A simple and robust protocol for high-yield expression of perdeuterated proteins in Escherichia coli grown in shaker flasks. J Biomol NMR 66(2), 85-91.
この論文では、培地の量を 1/10 に減らして、同じ量の蛋白質を得ることができることを示しています。これは嬉しいことです。なにしろ培地の溶媒である重水の量を 1/10 に減らすことができるわけですから。ただし、[2H, 13C]-glucose の量は 18 g/L、[15N]-NH4Cl が 5 g/L と濃度で見るとすこぶる多いです。しかし、1L の培地に今まで通り 2g/L の [2H, 13C]-glucose を入れるのと比べると、トータル量はあまり変わらない、否むしろ少ないぐらいですので驚きです。
このグルコース豊富な培地で菌体を OD600nm が 10 か、それ以上になるように育てます。個人的な経験では重水培地(1-2 g/L のグルコース入り)では OD600nm はせいぜい1ぐらいまでしか上がりません。グルコースの量を増やすほど大腸菌がよく育ち、また発現量も多いことから、この頭打ちはグルコース量の枯渇によるものなのでしょう。確かにこの論文通りに事が運ぶと、1/10 量の培地で同じ量の蛋白質がとれるはずです。
一般的に企業ではよくファーメンターを使います。すると(リン酸緩衝液いりの)LB 培地で OD600nm が 20~30 ぐらいまで上がると聞いたことがあります。これはファーメンターでは空気を金魚の水槽のようにぶくぶくと与え、さらに電極がいつも培地の pH を監視していて、もし pH が下がると上から水酸化ナトリウムが垂らされるようにできているためです。
しかし、フラスコを左右に振っている状況では、そう上手くはいきません。そこで、この論文ではバッフル付きのフラスコに培地をほんの少しだけ入れ(だいたいフラスコ容量の 1/10 ぐらい)、よく酸素を培地に溶け込ませて酸欠を防いでいます。確かにうちでは 3L のフラスコに 1L ぐらいの M9 培地を入れていました。これでは培地が深過ぎて十分な量の空気が培地に行き渡らないのでしょう。
さらに pH が下がらないように注意しています。確かに大腸菌が育つにつれて培地の pH が下がってきます。極端な例は乳酸菌で発酵させたヨーグルトで、ここには大腸菌は住めません。実は M9 培地には pH があまり下がらないようにリン酸緩衝液の成分が入っており、これは前回に記した通りです。しかし、この論文では「改良型 M9」と称して、このリン酸バッファの成分を少し工夫しているのです。そこで、うちの成分とちょっと比べてみました。
いつも我々が使っている M9 プロトコール
Na2HPO4 7 g(Na:2.27 g, PO4:4.68 g)
KH2PO4 3 g(K:0.86 g, PO4:2.10 g)
NaCl 0.5 g(Na:0.20 g, Cl:0.30 g)
Na2HPO4 7 g(Na:2.27 g, PO4:4.68 g)
KH2PO4 3 g(K:0.86 g, PO4:2.10 g)
NaCl 0.5 g(Na:0.20 g, Cl:0.30 g)
面倒だったのですが、元素ごとに量もそれぞれ計算してみました。
Na:2.47 g
K:0.86 g
PO4:6.78 g
SO4:M9 salt の中には含まれてはいないが MgSO4 から 0.19 g 補われる。
Cl:0.30 g
この論文に記載されている改良型 M9 プロトコール
この論文に記載されている改良型 M9 プロトコール
Na2HPO4 9 g(Na:2.92 g, PO4:6.02 g)
KH2PO4 5 g(K:1.43 g, PO4:3.49 g)
K2HPO4 19 g(K:8.52 g, PO4:10.37 g)
K2SO4 2.4 g(K:1.08 g, SO4:1.32 g)
これについても元素ごとに量を計算してみました。
Na:2.92 g
K:11.03 g
PO4:19.88 g
SO4:1.32 g
Cl:M9 salt の中には含まれてはいないが、NH4Cl, MgCl2 などから補われる。
Na, Cl の量はそれほど変わらないとしても、我々の方法では K, P, S の量が圧倒的に少ないです。pH や浸透圧を調整できれば、これらの量は多い方が良いのでしょうか?塩分控えめ、にがり多し?我々のレシピで Na, K の濃度を合算すると 129 mM と、生理的食塩水の 140 mM に近くなります。さらに Cl 濃度なども足すと、おそらく生理的食塩水濃度 140 mM となるでしょう。一方、論文のレシピでは 410 mM となり、これはかなり高い塩濃度のようです。これで浸透圧は問題にならないのでしょうか?
集めた大腸菌をソニケーション(超音波)で潰す時に、よく 400mM の塩の入ったバッファを入れます。これはその後の(遠心後の)上清を DEAE カラムにパスさせる時に、蛋白質と核酸を離しておいて後者だけをレジンにくっ付けさせて除去するためです(蛋白質はパスさせる)。その時、400mM の塩を大腸菌に注いでも大腸菌が浸透圧で破裂している様子はなさそうですので、おそらく大丈夫なのでしょう。まあ大腸菌に尋ねてみれば、喉が渇いたと言っているはずですが。
なお、硫黄の成分が多いのは効いているかもしれません。昔 MgSO4 の代わりに MgCl2 を入れたために OD600nm が 0.6 までしか上がらず、それがもとで半年近くを棒に振ったことは前述の通りです。
第一リン酸 Na(K)H2PO4 と第二リン酸 Na(K)2HPO4 の比率を考えてみましょう。(第二リン酸)/(第一リン酸)を比べてみると、我々の方法では 2.23 倍(pH 7.1~7.2)なのに対して、論文では 4.70 倍(pH 7.4~7.5)と、第二リン酸の割合が多いです。これは M9 を作った時点で pH がすでに高めに調整されていることを意味します。このように 410mM の濃い緩衝液を作るということと、初期 pH を >7.4 と高めに調整することにより、大腸菌が溢れて pH が少し下がってきても、それが大腸菌にとって致命傷にまでは至らないのでしょう。
以上がこの論文レシピのコツだと思うのですが、著者らはまだ工夫を凝らしているようです。
どうも成長期が終わる頃に IPTG を入れる方が、結果として蛋白質が多く発現されるらしいのです。当然のように、LB/H2O では急成長しますが、それだけ早く頂点に達してしまいます。逆に M9/D2O の低温培養では成長はゆっくりで、長い時間をかけて登っていきます。普通の M9/D2O に [2H]-glucose を 2g/L 入れた場合には、OD=2.0 で早くも成長曲線が鈍り、OD=2.4 までしか登りません(これだけ登れば良いと思いますが)。一方、改良した M9 では pH がより調整されており、OD がもっと上がります。そして、誘導は OD=10 ぐらいでかけた方がよいとのことです。また、温度を 25℃ ぐらいに下げて誘導した方が、大腸菌が順調に育ち最終的な蛋白質の量が多かったそうです。よく IPTG による誘導は、大腸菌の対数増殖期のど真ん中(だいたい OD=0.5 ぐらい)でかけるべきだと教わっていましたので、これはこれで驚きです。しかし、これらの内容は発現させる蛋白質によって変わる可能性も高いですので、各自の蛋白質で少し試してみた方がよいでしょう。
さらに、適応 adaptation が必要とも書かれています。個人的にはこれはあまり寄与していないような気もするのですが。ただし、うちでも大腸菌を植え継いでいく時には、あまり急激に大腸菌密度が薄まり過ぎないように注意しています。LB から M9 へ、また H2O から D2O への適応については、昔はこまめにやっていましたが、だんだん BL21(DE3) が思っていた以上に強いことに気づき、今ではほとんど止めてしまいました。しかし、一応、著者らのプロトコールを記しておきます。
寒天プレート
↓ コロニー
LB 軽水 1.0 mL 37 度、3 hr
↓ そのうち 200 μL を
LB 重水 2.5 mL 37 度、5 hr
↓ 全部を(OD が 0.5~1.0 に達しているはず)
90% M9/10% LB 重水 25 mL 37 度、overnight
↓ 全部を(OD が 10 に達しているはず)
M9 重水 250 mL 37 度、8~10 hr
↓ 温度を 25 度に下げる(OD が 10 に達しているはず)
0.5 mM IPTG を加えて 25 度、20 hr
↓(OD が 20 に達しているはず)
集菌
↓ コロニー
LB 軽水 1.0 mL 37 度、3 hr
↓ そのうち 200 μL を
LB 重水 2.5 mL 37 度、5 hr
↓ 全部を(OD が 0.5~1.0 に達しているはず)
90% M9/10% LB 重水 25 mL 37 度、overnight
↓ 全部を(OD が 10 に達しているはず)
M9 重水 250 mL 37 度、8~10 hr
↓ 温度を 25 度に下げる(OD が 10 に達しているはず)
0.5 mM IPTG を加えて 25 度、20 hr
↓(OD が 20 に達しているはず)
集菌
この植え継ぎ法を見てみますと、軽水のコンタミ率は 200uL/250mL=0.1% 程度、LB 培地成分のコンタミ率は (2.5mL*2)/250mL=2% 程度あることが分かります。おそらく高分子量を TROSY を使って測定していくのが目的であれば、この程度のコンタミは問題とはならないでしょう。しかし、transfer-cross-saturation(TCS)や filter-NOE などを測りたい場合にはできるだけ 1H のコンタミは抑えたいところですので、この植え継ぎ法は改良した方がよいように思います。
最後に心配なことは、大腸菌はよく育ったけれども、それに反比例して大腸菌一匹あたりの発現量は落ちるという現象です。もし、グルコースの量が限られているのであれば、大腸菌は自分の兄弟を複製するのにエネルギーを使うか、あるいは遺伝子組み換えに騙されてたくさんの蛋白質を転写・翻訳してあげるのにエネルギーを使うかのどちらかを選ばざるを得なくなり、このようになることも頷けます。しかし、彼らの結果によると、そうはならなかったそうです。これも培地に 18g/L という十分な量のグルコースが入っているためでしょう。
まあ、いちど試してみることにしましょう。うまく行くのであれば、メチル基特異的標識などにも応用できそうですし。
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