2017年12月3日日曜日

金より鉄が重要

いつもドーキンスさんの本は難しいなあと思いながら読みますが、この「盲目の時計職人(早川書房)」は他の著書に比べると読み易いのではないかと思います。ただし、理論を展開していくのに、やはりさまざまな仮定や検証などが入り混じってきますので「これまでの数十ページは、結局はこの一つの結論を引き出すための前提に過ぎなかったのか」といった状況があちこちに出てきます。

1986 年に出版された本ですので、もしかすると今では間違えている箇所もあるかもしれません。現代生物学をもっとしっかりと勉強していたら「この箇所は今は否定されている」などと分かるのですが。一応、ちゃんとした教科書である Molecular Biology of the Cell やニック・レーンの最新本などとも読み比べてみました。ざっと読んでみた限りでは大丈夫そうに見えました。

ダーウィン主義とは

目のような精巧な器官は、一瞬に完成品として出来上がらないと何の意味もないと大昔から主張されてきました。例えば、レンズはあるけれども網膜のないような目では何の働きもしないので、そもそも自然淘汰が起こらないとする説です。しかし、このような物が偶然に急に出来上がることは不可能で、その確率はまるで、猿がでたらめにタイプライターを打っていたらたまたまシェークスピアの文章が出来上がってしまった、あるいは、ガラクタ部品を無造作に投げていたら、たまたま空飛ぶジェット機になってしまったようなものです。したがって、眼を含めて生物は神様が作ったと。

しかし、それは間違いで、目のような精巧な器官でも、太古の昔から遺伝子がランダムに少しずつ突然変異し、たまたま親よりもほんの少しだけ生存に有利な子ができ、それが繁殖に有利になるといった淘汰を何世代も非常に長い間くり返した結果、徐々に出来上がったとしています。今の目のような精巧な器官ではなく、単に光をちょっとでも感知できる程度の光受容細胞から出発したのかもしれません。突然変異で親よりもほんの少しだけ光を感知できる子が生まれれば(ちゃんとした像は結んでいなくても)、その子が敵にほんの少しだけ襲われにくくなり、その変異遺伝子が進化遺伝子として更なる子孫に伝わっていきます。伊庭斉志先生著の「進化計算と深層学習―創発する知能」という本に、この目の進化をシミュレーションした話が載っていましたが、たったの 50 万年で今の目にまで進化してしまうという結果になったそうです。50 万年は生物の数十億年という歴史を1年に例えれば、たったの 1, 2 時間程度の短さでしょう。昆虫のナナフシでも、少しでも周りの木の模様や形に似た個体が鳥に食べられないで生き残り(その有利になる確率が1億分の1程度であったとしても)、子孫にその変異が進化として伝わっていったとしています。つまり「累積的淘汰」であって「一段階淘汰」ではない。

ただし、最初からこのような精巧な物を作ろうという目的があって、進化を進めている「時計職人」がいたわけではない。進化はどの方向に進んでいるのかは、進化を生み出している時計職人にすら分からない。むしろ目指す目標が見えていない状態(つまり、盲目の状態)で進化が進んだとしています。

コウモリは(超)音波を使って周りの物体を視ていますが、それも急に出来上がったわけではありません。また、コウモリ以外でも鳥類、鯨などにもエコーロケーション(ヤマビコを使って位置を認識する)が見られ、これらが独立に進化した結果、お互い似た状態に収斂進化しました。同じような収斂進化の例として、エイのように平べったく海底にへばりつくサメ系魚類とカレイのように横になって海底に寝る魚類が挙げられます。よって、時計職人は盲目ではあるが、後で蓋を開いて見てみると、お互いによく似た精巧な時計を幾つか仕上げてしまっていました。これは弱肉強食という自然の厳しい淘汰を考えると、当然のような気もします。やはり「一段階淘汰」ではなくて「累積的淘汰」が正しい。

とはいえ、ニック・レーンの本を読むと、ナトリウムポンプ、フェレドキシンなどの蛋白質が突如として出てきます。それまでの「アルカリ熱水排出孔にプロトン勾配ができて」云々の箇所はかなり納得できるのですが、その後、これらの蛋白質を作るには当然のようにあの巨大で複雑なリボソームも必要であったに違いありません。これらも全て累積的淘汰を通して出来上がってきたはずなのですが、さらに DNA/RNA 複製に関する酵素も必要でしょう。一体どのようにして、アミノ酸レベルから始まり徐々にではあるが、あのような複雑で精密な立体構造をもつ蛋白質に辿り着いたのか、それもアルカリ熱水噴出孔の細胞の原型ができるかできないかの時期に。これらの途中経過も含め想像するのが難しいです。もし最初にリボソームが既に存在していれば、そこからどんどん蛋白質が生まれていくのでまだ理解しやすいのですが、あのリボソームはどのようにして最初に出来上がったのだろう?と思っていたら、6章にその問題が載っていました。

Molecular Biology of the Cell によると、まだ自分自身を複製することができる RNA 配列は見つかっていないようです。しかし、RNA はリボソームにもたくさん含まれており、それらが触媒反応の中心を司るなど、遺伝子としての働きと酵素としての働きの両方を持っています。それゆえに何種類かのリボザイムも実際に見つかっています。したがって、もし、RNA が生命の起源であっても不思議ではありません。しかし、ドーキンスの6章には、最初に自己複製子として働いたのは粘土のような無機結晶ではないかと書かれています(原始スープは、この本でも起源としては否定されています。しかし、原始スープもその後の材料となる有機物を作るために寄与したように思います)。その後に、無機結晶による自己複製が RNA による自己複製に乗っ取られたとしています。

無機結晶が果たして自己複製するのか、また、少しずつ変異して、それが有利に働く場合には複製先にもコピーされるのか(つまり進化するのか)と思ってしまいますが、6章ではそれがあり得ると説明されています。まあ、RNA のような有機物質は OK で、無機物質は駄目と決めつけてしまうのも変なのですが、どうもこの辺りはなかなか理解しがたいところでした。有機物質と無機物質の違いは、前者が炭素を含んでいるが、後者は含んでいない点です。ところが、周期律表では珪素 Si は炭素 C のすぐ下にあり、炭素の代わりに珪素が中心の生物がいても良かったのではと言われています。珪素といえばすぐに思いつくのが岩石などの結晶であり、またコンピュータのチップでもあります。とすると、コンピュータには遺伝子的要素があることから、無機結晶にも遺伝子的性質があってもよいのでしょう。有機物質だけが遺伝子的要素をもっていると決めつけてしまうのもまた先入観なのかもしれません。

実はその後ニック・レーンの「生命、エネルギー、進化」を読んでいくと、ここでもアルカリ熱水排出孔の岩の壁に、鉄硫黄(Fe-S)の今で言うところの半導体ができ、それが酵素反応を司ったのではないかと書かれている箇所に来ました。Ni も含め Fe-S のクラスターは、光合成や呼吸系の蛋白質(フェレドキシンなど)に今でも見られ、かなり太古の昔に作られたことが分かります。ニック・レーン本では、この Fe-S そのものが遺伝子的な役割を果たしたとは書かれてはいませんが、生命のスタートとして無機物質が大きな役割を果たしたことは確かなようです(また別の所でご紹介します)。

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