2013年6月28日金曜日

実と虚がごちゃ混ぜに QF モード

二次元 NMR スペクトルなどで、縦軸(間接測定軸)は普通 States-TPPI と呼ばれる方法で検出されます。これは cos(ωs t1) と sin(ωs t1) が別々に検出できるように、Δt1 の前か後の 90° パルスを x その次は y という位相で打つ方法です(実際には、これだけですと States 法と呼ばれますが、States-TPPI 法では、アーティファクトをスペクトルの端に押し退けるために、FID の位相も回します)。

ところが、某 Br 社の標準パルスプログラムの中には、例えば hmqcqf のように、後に qf という文字が付くパルスプログラムがたくさん有り、これらはフーリエ変換の後に絶対値モードにして仕上げるのです。そのため「QF モード = magnitude モード」という図式が出来上がってしまっているのですが、さて、この QF とは何でしょう?また、何故わざわざ絶対値にしないと駄目なのでしょう?

どうも直接測定軸(FID)と間接測定軸とで定義が少し違うようですので、これからの話は後者だけに絞ることにしましょう。普通、間接測定軸は上記のように cos(ωs t1) と sin(ωs t1) の成分を「別々に」検出して「別々に」保存します。この「別々に」が重要なのです。一般的なプロセスでは、cos(ωs t1) の成分の方を実部(real), sin(ωs t1) の成分の方を虚部(imaginary)としてくっ付けます。すると、

cos(ωs t1) + i sin(ωs t1) = exp(i ωs t1)

となりますので、これをフーリエ変換すると、ωs の位置にピークがにょきっと出るわけです。このようにフーリエ変換の際に結局はくっ付けてしまうのであれば、最初から「別々に」分ける必要などないのではないか、と思われるかもしれません。

ところが話はそう簡単ではないのです。これは間接測定軸の話でして、同時に直接測定軸 FID にも real の成分として cos(ωi t2) が、imaginary の成分として sin(ωi t2) があります。したがって、間接測定軸の real と imaginary を区別なく混ぜこぜにしてしまうと、i * i = -1 の法則にしたがって、両軸の imaginary どうしが合わさって real に変身してしまうのです。すると、たいへん、t1 と t2 の成分が混ざり合ってしまい、フーリエ変換後、一応の周波数は得られるものの、位相がめちゃめちゃになってしまうのです。この位相が混乱したスペクトルは見れたものではありません。正や負、吸収波形や分散波形が入り交じります。そこで、線幅が広くなるのはぐっと我慢しながらも絶対値モードにせざるを得なくなるわけです。

さて、qf-mode に話を戻しますと、このモードでは、間接測定軸の cos(ωs t1) と sin(ωs t1) の成分を同時に検出します(注)。ですので、直接測定軸ではちゃんと cos(ωi t2) と sin(ωi t2) の成分に分かれていても、すでに両軸の情報は混ざり合ってしまっているわけです。次回は、hmqcqf を例に、この混ざり合い具合を見てみることにしましょう。その次は、ここにグラジエントをかけてみましょう。前の前の記事で、

Ix cos(ωt-G) + Iy sin(ωt-G)

という式を組み立てました。この式から推測できるように、グラジエントをかけると、cos と sin が両方が揃った式が出来上がってしまうのです。ちょうど qf モードの出番となります。このためのパルスプログラムが hmqcgpqf です(gp は gradient-program の略)。

さらに、いつまでも絶対値モードで甘えていてはいけない、この cos と sin の成分を分ける工夫をしなければということで登場したのが PEP 法で、これならばグラジエントをかけて cos と sin を共存させても(ちゃんと後で分けられるのだから)良かろうという事になり生まれたのが、echo/anti-echo 法です。題材が脇道に逸れてしまわないようにしなければいけませんが、おいおい書いていくことにしましょう。

(追伸)上記のように qf モードでは、cos と sin 成分に分けません。したがって、一次元を連続して 30 本とりたいなどという場合に、この 30 を入力するのにも使われます。もちろん、この 30 を入れた次元はフーリエ変換しません。もし、ここを States-TPPI などとしてしまうと、例えば 15 本しか一次元を取ってくれなかったりするのかも。

(注)Δt1 の前か後の 90° パルスを x その次は y という位相で打つわけではないので、グラジエントが無ければ cos(ωs t1) 成分だけが検出されます。そして、フーリエ変換後のスペクトルでは、間接測定軸に沿って鏡像が見られます。この鏡像を防ぐために、t1, t2 にグラジエントエコーをかけます。これで鏡像は消えますので、ちょうど cos(ωs t1) と sin(ωs t1) の両方を検出したのと同じ効果が得られます。直接測定軸では、I- 成分だけが検出コイルによって検出されますので、この I- と間接測定軸の I+ が結び付けられるわけです。間接測定軸の I+ はグラジエントのペアによってエコーにはならず消えてしまいます。これが QF モードで間接測定軸での鏡像化を防ぐ仕組みですが、もう最近は TPPI-States, PEP のように優れた位相検波法がありますので、そちらを使った方がよいでしょう。

2013年6月18日火曜日

怖い酵母

幼き頃は「酵母」と聞けば給食のパンを思い出したものですが、最近は日本酒が真っ先に浮かんできます。もちろん、ビール、あるいは、高級ワインの方がという方もおられることでしょう。少し前、どうして灘の酒が美味しいのかという事が書かれた本を読んでみました。もちろん、大正から昭和時代にかけて「山田錦 やまだにしき」と呼ばれる日本酒に向いた品質の米が作り出された事も大きな要因なのですが、もう一つ「水」に秘密があるらしいです。とにかく水に鉄分などのミネラルが極力含まれていないことが重要なのだそうです。さらに酵母の種類も重要です。このような本を読むと、まさにお酒が芸術品そのものだということにも納得します。

Saccharomyces cerevisiae は清酒酵母でもありますので、この単語をそのまま英辞郎で引くとちゃんと(出芽酵母)と出てきました。しかし、NMR の解析用の蛋白質を発現させるのに時々(希に?)使われる Pichia pastoris の方を英辞郎で引くと「そのような物はこの世に存在しません」「もしかして牧師?」などと返ってきます。

気を取り直して yahoo で引くと、何と蛋白質科学会アーカイブの櫻井先生の記事が飛び込んできました。ちゃんと NMR の試料調製用に書かれており、この学会のアーカイブは本当にすばらしいコレクションです。では、この櫻井先生の文章をちょっと(変えて)拝借することにいたしましょう。

メタノール資化酵母、よく「ピキア」と呼ばれる。目的の蛋白質に酵母特有のシグナル配列が付くように遺伝子を設計すると、翻訳された蛋白質が培地中に分泌される。そのため、遠心した後に上清を集めるだけで、かなり精製が進んだことになる。さまざまなシャペロン蛋白質の働きにより、大腸菌発現系よりも高い成功率で蛋白質が折り畳まれる。したがって、多数のジスルフィド結合を持った蛋白質をちゃんと fold させた状態で得るのに適している。

なるほど、お金と手間は大腸菌発現系よりかはかかるらしいですが、大腸菌でどうしても駄目(unfold した状態で発現してしまう)というような場合は、このように酵母を発現系として考えてみるのも良いでしょう。

そのような中(実はもう数年前だったのですが)もう一つ別の種類の酵母 Kluyveromyces lactis を使った発現系が下記に紹介されていました。

Sugiki, T., Shimada, I., and Takahashi, H. (2008) J. Biomol. NMR 42, 159-162.

このラテン学名、本当は斜字体で書かないといけないのですが、何と読むのでしょう?ウェブには「クルイヴェロマイセス・ラクティス」と仮名が振られていましたが、同時に「キラー酵母」とも書かれていました。何とも怖そうな名前の酵母です。

この論文によりますと、[13C]-メタノールで育てる(同時に、目的蛋白質を誘導させる)ピキアとは異なり、このラクティスには葡萄糖が使えるのだそうです。そして、もともとは 20g/(L 培地)程度の大量の葡萄糖が必要と考えられていたそうですが、新しい培地を酵母の成長とともにどんどん追加していくような方法により、最終的には 5g/L 程度まで [13C]-glucose を減らせるのだそうです。そこまで節約できるならば、不安定な蛋白質を大腸菌で何度も(従って合計すると何十リットルもの培地を使って)調製する場合よりも安価になるかもしれません。

2013年6月13日木曜日

直交演算子 or 昇降演算子

NMR を習い始めるとまず最初に先輩から「Product operator(直積演算子)を覚えろ」と言われます。この公式集を手洗いに貼って毎日呪文のように唱えて覚えると良いのだそうです。その貼り紙(カード?)を付録で付けた有名なジャーナル(Angewandte Chemie, アンゲヴァンテ ヒェミー、応用化学)もありました。その中で最初に出てくる式が

Ix cos(ωt) + Iy sin(ωt)

です。これは磁化ベクトル I が x 軸から y 軸に向けて、化学シフト値 ω で回転している途中の様子を表します。ここに J-coupling が入ってくると、2IxSz などの(文字通り)直積演算子が出始め、途端にややこしくなってきます。そこで、今日は J-coupling には触れずに、ここに傾斜磁場勾配(gradient)をかけた場合の式を考えてみましょう。余計ややこしい?

しかし、ある法則を使うと、意外にも簡単にグラジエントを含んだ式が扱えてしまうのです。その法則とは、

Ix cos(A) + Iy sin(A) = {Ip exp(-iA) + Im exp(+iA)}/2

です。ここで、Ip は I+ を、Im は I- の事を表します。図の方では添え字をちゃんと記していますので、そちらをご覧ください。では、この公式を最初の化学シフトの展開の式に当て嵌めると、次のようになります。


Ix cos(ωt) + Iy sin(ωt) = {Ip exp(-iωt) + Im exp(+iωt)}/2

この右辺は「+1 量子のコヒーレンスは -ω で回転し、-1 量子のコヒーレンスは +ω で回転する」と読みます。では「+2 量子のコヒーレンスはまさか -2ω で回転するのか?」と尋ねられそうですが、もし、その二つの核種が同じで同じ化学シフト値を持っていたならば yes です。何故、+1 量子コヒーレンスと -1 量子コヒーレンスとで回転の向きが異なるのかという問いには、こちらも勉強不足であまり上手く答えられません。一応、電磁波を吸収する場合と、逆に放射する場合とに対応しているのかな?という程度に覚えています。ここであまり回転を意識し過ぎると、左辺の x, y, z 座標での磁化ベクトルの回転とごっちゃになってしまいます。難しいです ..... 。

では、ここに gradient をかけてみましょう。教科書で gradient の頁をみると、よく「I+ にはグラジエントが正で働き Ip exp(iG)、I- にはグラジエントが負で働く Im exp(-iG)」などと書かれています。そのため、せっかく途中まで Ixyz を使って進めていた product operator を、グラジエントのかかった箇所でわざわざ I+, I- に変換しないといけないような事態になってしまいます。そして、グラジエントをかけ終わった後には再び Ixyz に戻すといった事に。。。このような相互変換は大変面倒です。

実は、グラジエントの場合でも「+2 量子のコヒーレンスはまさか +2G でとぐろを巻くのか?」と問われれば、同種核であれば yes となるのです。この法則は化学シフトの場合と同じであり、化学シフトの回転とグラジエントのとぐろ巻きを、同じ Ixyz どうしで表せることを意味します。

途中の式は図の方に譲りますが、結果として、

Ix cos(ωt-G) + Iy sin(ωt-G)

となります。図の方には G だけでなく γ, τ, z などの文字が付いていますが、覚える時に邪魔になってしまいますので、今はシンプルな上の形で覚えておくことにしましょう。

もちろん、Ip, Im の式にいちいち戻らなくても、上の式を得ることはできます。それは、化学シフトの回転とグラジエントのとぐろ巻きは数式的には似ているためです。

Ix cos(ωt) + Iy sin(ωt)
→ { Ix cos(ωt) + Iy sin(ωt) } cos(G) + { Iy cos(ωt) - Ix sin(ωt) } sin(G)
= Ix { cos(ωt)cos(G) - sin(ωt)sin(G) } + Iy { sin(ωt)cos(G) + cos(ωt)sin(G) }
= Ix cos(ωt+G) + Iy sin(ωt+G)

書いてしまってから思いましたが、こちらの方が簡単そうですね。

最後にプラスやマイナスの符号が本によって逆になっており、どれが本当か分からないという印象を持たれるかもしれません。この +- は定義によって逆転しますので、全く気にしないでください。ご自身の解釈の中で統一されていれば、それで充分です。実際、実機で実験してみると、配線の仕方によって、さらに逆転することも多々ありますし。

2013年6月12日水曜日

水とアミド基水素の交換 2

前回の投稿からあっという間に月日が経ち、ずいぶんと暑い日が続くようになってしまいました。この Cleanex-PM 実験もだんだんと有名になり、今では某 Br 社の標準パルスプログラムの中にもちゃんと含まれるようになりました。ただし、2D 1H-15N HSQC を多数枚順番に測定していくような形式になっています。したがって、もし途中で誰かが NMR 室のドアを開け放しにして、その時だけ室温が上がってしまったような場合、例えば、その時に測定していた τm=10ms のデータポイントだけがぽつんと外れてしまうような事が起こり得ます。これを防ぐには、15N 化学シフト値を検出するための Δt1 を増やすより前に、先に τm を振ってしまいます。すると、測定の途中で起こった「アクシデント」は、スペクトル全体にノイズとして散らばり薄まってしまうわけです(フーリエ変換 FT の前に起こった瞬間的な出来事(sec)は、変換後には周波数全体(Hz=1/sec)に散らばる)。もちろん被害が無いわけではありません。途中で地震などが起これば、もちろんノイズが多くなります。しかし、測定データのある箇所だけが全く使えなくなるのではなく、測定データ全体に被害が分散されるのです。このような変数の回し方を interleaved manner(交互測定法?)と呼んでおり、T1, T2 などの磁気緩和の測定でもよく使われています。もしかすると、Δt1 と τm の組み合わせをランダムにセットしても良いですね。広い意味での non-uniform-sampling となります。ただし、FT ではなく MEM(最大エントロピー法)を使うので強度が保証されなくなります。

ところで、Ceanex-PM の式が
I/I0 = kex / (R1A+kex−R1B)×[exp(−R1B tm)−exp{−(R1A+kex) tm}] 

と論文に記載されています。これの最適化(曲線のフィッティング)ツールをエクセル(また!)で作ってみました。ここで、R1A(1HN の横緩和と縦緩和の混合)、R1B(水の緩和)、kex(交換速度定数)などをちょこちょこを触ってみると、何がこの曲線の形を決めているのかの感覚が掴めます。その結果、R1B はもともと小さいので(0.5 /sec 程度)、大して重要ではないことが分かります。重要なのは、R1A と kex の値です。ところが非常に残念な事なのですが、両者の値を共に大きくしても、曲線の形はそれほど変わりません。お互いに変化を打ち消し合ってしまうのです。例えば、(R1A, kex)=(45, 25) と (56, 30) の二つの曲線は、よ〜く見ないと区別が付かないぐらいです。ということは、余程正確に測定点を得ないと、kex の値はあまり信用できないということになってしまいます。


これを防ぐにはどうすれば良いのでしょうか?一つの案として、pH を1だけ変えて同じ実験をしてみるという方法があります。もし、蛋白質に変性などが起こっていなければ、おそらく R1A の値は同じはずです。そして、R1B も。一方、kex の値は pH が1下がるにつれて 1/10 に小さくなります。そこで、例えば、pH 4, 5, 6, 7, 8(極端ですが)でとった5つの曲線を同時に最適化できれば、R1A, kex ともに非常に正しい値に近付くことでしょう。実は、重水素交換実験においても、pH6 と pH7 のように二つの1だけ異なる pH で実験を行い、交換速度がちょうど 10 倍異なる(pH が1高い方が kex が 10 倍大きい)ことを確かめておく必要があります(その理由については、またいつか)。

さて、この曲線の理論式ですが、これも過去にご紹介した McConnell の式から導くことができます。小豆本ならぬ空色本(Protein NMR Spectroscopy, 2nd ed.)で確かめようとしたのですが、どうもこの章の紙面を何処かに落っことしてしまったようです。ほとんど読んでもいないのに、背中の製本箇所からバラバラになってしまい、ページがあちこちへ風で飛んで行ってしまいました。どうして、paper-back にしても米国製の本はよくこうなるのでしょう?

交換の中でも NOE 現象を表した式が Cleanex-PM を表す式にもっとも近いと思います。この行列の中で速度定数 k (水→アミド基) を0に、k (アミド基→水) を kex と置くと、上記の式が出来上がります。何故、このような仮定が成り立つかですが、交換現象が平衡状態にあるということは、左から右へ行く速度と、右から左へ行く速度が釣り合っているということです。

N (1HN) * k (アミド基→水) = N (H2O) * k (水→アミド基)

が成り立ちます。ここで、アミド基の数 N (1HN)(せいぜい数 mM)に対して、水分子の数 N (H2O)(55,000*2 mM)は圧倒的に多いです。つまり、N (1HN) << N (H2O) です。そのため、k (アミド基→水) >> k (水→アミド基) となります。また、左辺と右辺を足すと kex になりますので、k (アミド基→水) ~ kex, k (水→アミド基) ~ 0 と置いてしまった訳です。