2013年9月14日土曜日

にぬきはできるだけ避けたい その1

このブログの来場者数を眺めてみると、どうも NMR のスピン系について書いたページは訪問者が悲しいまでに少なく、試料に関する事を書いたページは多いようです。なるほど確かにこれだけ図も少なく、しかもテキストモードの数式では読むのもしんどいことでしょう。まだ前々回のグラジエントの続きを書かないと駄目なのですが、ここで少し NMR の試料調製について幾つか連載したいと思います。

ただし、蛋白質試料を基にした試料調製であり、多くが単なる筆者達?の経験に基づいて頑なに?信じている内容ですので、「本当は違うことが証明されている!」なんて事も多々含まれてしまっているかもしれません。

まず最初は、「蛋白質にシステイン(Cys)が含まれていたら?」についてです。蛋白質が折り畳まれる(folding)時には、疎水性相互作用、静電的相互作用、水素結合、水和などが主な駆動力になっているわけですが、これらはきっちりとした化学結合ではありません(水素結合については、J-coupling が存在しますので、半ば結合とも言えますが)。ところが、システインどうしのジスルフィド結合(disulfild-bond)については、完全な化学結合と言えます。Cys の側鎖を Ca-Cb-Sg-Hg で表しますと、二つのシステインの頭どうしが結合して Ca-Cb-Sg-Sg-Cb-Ca となるのです。これが分子内の二つの Cys どうしで掛かっている場合にはさほどの問題ではありません。むしろ、実際にそのように結合があり、folding の大きな助けになっているのでしょう。

ところが、このジスルフィド結合が、ある分子と別の分子の間(つまり、分子内ではなく分子間)で意図せずに掛かると厄介です。単量体どうしの間に赤い糸ができて二量体となってしまいます。もし、分子の中にたくさんの Cys があると、別の Cys がまた別の分子の Cys と結ばれてといった状況で、まるで数珠繋ぎにほとんど無限に連結されてしまいます。これはまさに「にぬき」の状態です(おいしいですね。海の塩を振り掛けたにぬきは大好物です)。

このいわば非特異的な希望しないジスルフィド結合の形成を防ぐには、試料の中に還元剤を入れておきます。例えばジチオスレイトール(DTT)などです(th の発音をタ行で書けば、ディティオトゥレイトール)。しかし、たとえ 10 mM 程度入れておいても、これどのぐらい保つのでしょう?この DTT は酸素と触れると自らが酸化されてしまい、もう還元力は無くなってしまいます。したがって、NMR 試料管にできるだけ空気を入れないようにしないといけません。しかし、キャップを閉めようが、パラフィルムを巻こうが大して効果はありません。その証拠に NMR 試料管の中にクロロホルムを入れ、自分で納得の行くまでキャップやパラフィルムで閉管し、ドラフトの中に置いておいてください。翌朝どれだけ蒸発して減っていることか?密閉は火で封管しない限り無理ということです(注意:クロロホルム溶液は火で封管しようとすると、有毒ガスのホスゲンが出ますので駄目ですよ)。

おそらくですが、10 mM の効き目は数日以内かもしれません。もし、試料溶液をシゲミ製造のすばらしいガラス管の底に注ぎ入れ、ピストンを差し込むのに数分間もたついた場合には、もはや DTT の効果は0と考えてもよいでしょう。また、DTT の臭い匂いが残っていても、これは還元力とは関係ありません(安心しないで)。それに DTT には 1H が一杯付いていますので、10 mM も入れると蛋白質試料 0.1 mM の 100 倍以上の強度のピークが出てしまいます。その状態で NOE をとってもアーティファクトにただただ悩まされるだけです(このような場合、普通は高価な重水素化 DTT を入れます)。

DTT (dithiothreitol) = HS-CH2-CH(OH)-CH(OH)-CH2-SH

このアーティファクトのピークについては、また別の機会に触れることにしましょう。

また、蛋白質を凍結乾燥すると、このような小さな分子は飛んで行ってしまっているかもしれません。ですので、それに水を加えて再生させる場合には、DTT を新たに加えてあげましょう。よくこの追加を忘れて(あるいは、第三者に凍結乾燥品を渡した際に「DTT 入りの水で溶かすのだよ!」という注意点を伝え忘れて)金粉より高価な白粉をエッペンドルフの底に見る羽目になってしまうのです。

このような Cys を一個でも含む蛋白質は、精製の初期段階から 1 mM DTT を精製用 buffer 全てに入れておくのが良いでしょう。しかし、最近は His-tag Ni キレートカラムがよく使われ、これに DTT 溶液を注ぐと、おいしいメロンソーダが、これもまた美味しそうなチョコレートパフェに一瞬で変身してしまいます。これは新人(新入生)に体験してもらうのが良いですので、あまり教えないでおきましょう(ただし、捨てる寸前のカラムを渡しておく)。

あれ?書きたい本命に行く前にすでに1頁を超えてしまいました。以上は前置きです。いずれにしても、例えば 2H, 15N, 13C で標識した、たった 300 uL で数十万円もかかったような試料では、たとえちゃんと DTT を入れていても何ヶ月も同じ再現性あるスペクトルを期待するのは難しいといえるでしょう。NMR のプローブ内の温度調整は窒素ガスでなされている場合が多いので、あとは窒素ガスで満たした冷蔵庫があると良いのかも。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

DTTが酸化されるにつれて、280nmの吸光度の値が上昇しますから、それでDTTの酸化の進行を把握することができますね。

経験的にはですが、DTTの酸化は、温度が高いと進行が早い気がします。
低温で置いておくと、DTTの酸化の進行はかなり抑えられますよ。

なので、DTT入りのバッファーに溶けたタンパク溶液を、NMR測定温度より数度高めの温度で手早く脱気して、その後低温に保ってある程度冷えたらDTTを追加する、という事を個人的にやっておりました。

ooki さんのコメント...

最近では、蛋白質配列に保存性の低いシステイン残基がある場合、前もって全てセリンに変異させて還元剤の使用を最小限に抑える(菌体破砕時のみ使用)ようにしています。Genscript社等のcDNA全合成サービスを使えば、システインが複数個あっても一度に変えられます。100アミノ酸の蛋白質であれば、cDNAの合成は¥25,000、2週間、300アミノ酸でも¥50,000程度です。ついでに大腸菌発現用にコドン最適化も出来、発現量が増えます。

もちろん、システインが亜鉛を配位している、あるいは細胞外ドメインでジスルフィド結合を組んでいる場合は変異させてはいけませんが、その場合は還元剤は使わないのであまり問題は起こりません。

フリーのSH基(還元剤も含めて)は反応性が高くいろいろな事が起こります。NMRを使っている限りは、NMRチューブ内で起きた蛋白質の変化は大体判断でき、シグナルの区別もつきますが、出来ればそのような変化を起こさないよう系を工夫する方が良い気がします。スペクトルの再現性などNMR以外のところで頭を悩ませるタネは減らしておくに限ります。

また、最初から蛋白質内のシステインを無くしておけば、のちのちDOTAやらCPPやらを導入しては楽しむ、のが簡単になります。

>しかし、最近は His-tag Ni キレートカラムがよく使われ、これに DTT
>溶液を注ぐと、おいしいメロンソーダが、これもまた美味しそうなチョコ
>レートパフェに一瞬で変身...

Ni-NTAはダメですが、最近のGEのHistrapなどはNiへの配位数が増えており、5mM DTTで茶色になっても問題なく使えるようです...

>あとは窒素ガスで満たした冷蔵庫があると良いのかも。

窒素ガスで満たしたビニール袋にNMRチューブを入れておくという手もあります。楽です。