2016年9月19日月曜日

1Ha と 1HN とのカップリング

Ad. Bax さんが Aβ や α-synuclein などの蛋白質も解析していたと知って驚きました。先日とある所で聴いた講演では、線幅のすごく細い二次元 1H-15N HSQC がでてきました。もちろん、あまり構造のとっていないフレキシブルな蛋白質で、さらに TROSY だったですが、直接測定軸にそって doublet になっており、その間隔として 3J(HNHa)-coupling を測っていました。非常にきれいに Karplus の曲線にのっており、これも驚きでした。その内容が下記の論文に書かれています。

Roche J, Ying J, and Bax A (2016) Accurate measurement of 3J(HNHα) couplings in small or disordered proteins from WATERGATE-optimized TROSY spectra. J. Biomol. NMR 64 (1), 1-7.

TROSY を使わないと FID 検出の時間 400ms の間に 15N のデカップリングパルスによってサンプルが熱をもってしまうのでしょう。この論文に紹介されている TROSY 法は重水素化していない Intrisically Disordered Proteins (IDP) などを対象としているようですが、そうでなくても 10 kDa ぐらいの蛋白質で重水素化していない時につかってもよいのではと思います。

さっそく今つかっているパルスプログラムを書き換えてみようと思いますが、しかし、測るたびに 1H の選択的パルスのパワーも精密に測らないといけなくなりますので、ちょっと面倒かもしれません。それぞれのマシンで、1H のハードパルスの長さがこれこれになった時には、shaped-pulse のパワーはこれになると表にしてまとめておけば速いのかもしれません。ちなみに自動でパワーを決めるツールがありますが(prosol などと呼ばれています)これはパルス幅とパワーとの関係がきっちりと補正されている場合にのみ有効です。しかし、使っているうちにアンプがへたってきてどんどん数年前に作った表の値からずれてきてしまいますので、定量的な実験の場合には面倒でも個々のパルスはキャリブレーションしてやるべきでしょう(あるいは、cortab をもう一度おこなう)。実際に L. E. Kay さんのグループの人が測りにきた時、すべてのパルス(グラジエントも含めて)を自分で決め直していました。後でこの機械はグラジエントのプラスとマイナスの値(オフセット)が 0.5% もずれているといって叱られましたが、このように世界的な NMR のプロはあまり自動には頼らないのかもしれません。そのため、2次元 HSQC を測るだけでパラメータ設定に3時間ぐらいを要していました。その代わり、彼らの論文に見られるように、みごとに理論式のカーブにのった測定点が得られています。今回の Bax さんの論文もそのような一つであると言えるでしょう。

この論文の Introduction には、過去にわたって種々の方法で 3J(HNHa)-coupling が測られてきたが、Karplus の式に当てはめると RMSD が 0.8 Hz を下回ることがなかったという事実が書かれています。当時は 3J(HNHa)-coupling を正確に測ることがむつかしく、これは NMR 測定の精度が悪いためであろうと信じられていました。ところが、NMR の RDC で 1HN の位置を決めてやると、0.5 Hz を下回ったそうです。ということは、これまで使っていた結晶構造における 1HN の位置があまり正しくなかったことになります。たしかに結晶構造解析では電子密度の小さい水素はあまりよく観えないため、アミド基の水素については、これが理想的にはペプチド平面上にあるものと仮定して座標を置きます。ところが実際にはこの理想的な位置から少しずれた箇所に 1HN があるのでしょう。ついつい「結晶構造解析を上回る精度を NMR で目指してもなあ。」と思ってしまい勝ちですが、そう思ってしまった時点ですでに負けてしまっているわけで、それを達成してしまう Bax さんは本当にすごいです。

当方の 1H-15N TROSY の測定でも、この論文のように Pervushin さんの ST2-PT 方式を使っています。そこには Watergate が入っているのですが、水の信号があまりうまく消えていない時があります。ここに 15N:1H の gradient-echo も追加できればよいのですが、その gradient パルスを入れる隙間がなく困ってしまいます。しかし、この論文では gradient パルスを入れるために、Watergate の中の 1H, 15N πパルスの位置関係を少しずらして工夫しています。たしかに Watergate と gradient-echo の両方を使うと、水がよく消えることでしょう。さらに water-flip-back になるように設計されていますので、高い pH でも感度はそれほど落ちません。

この Watergate では 1HN に対して 90x---180-x---90x を選択的に打っています。ここで 90° パルスは 0.6 ms@800 MHz の sine-bell shaped-pulse です。いつもより少し長めの shaped-pulse にすることによって、水だけでなく 1Ha 全体に影響が及ぶようにしています。これにより 3J(HNHa) を refocus することができます(これら3つの複合パルスの結果、1Ha は反転しないが 1HN は反転するから)。もちろん、このような面倒なことなどせずに、1HN に Reburp 選択的パルスをひとつ打てばよいと思うところですが、どうも水消しの効率が悪かったそうです。何故なのでしょう?

この測定では FID の間におこる 3J(HNHa)-coupling によって信号を doublet に分け、そしてその間隔を測っています。このような場合、FID の検出(t2)が始まる時に cos(pi*J*t2) もスタートさせる必要があります。FID スタートのさらなる以前から、つまり Watergate の時からすでに 3J(HNHa)-coupling が始まっていると、sin(+-pi*J*d)(ただし d は Watergate の全期間)が混じってきてしまいます。この位相変調は doublet の左右でそれぞれ逆符号になりますので、二つのピークが実際より狭まってか、あるいは広がって観えてしまいます(この 3J(HNHa) では、広がって見えるそうです)。したがって、カップリング係数の見積もりを過大評価してしまうことになります。よって、Watergate の 1H のパルスでは、1Ha を 90x---180-x---90x の結果として反転させないように注意することが必要です。

また、15N の化学シフトの展開の時には、1H に対して Iburp2 と 90x-210y-90x パルスを打っています。前者は 1HN に選択的に、後者は 1H 全体に広く影響を与えますので、結果として 1HN はそのまま(TROSY ですので反転させてはいけません)、aliphatic 1H は反転することになります。今回の 3J(HNHa)-coupling を決めるという目的だけでしたら BEST 法でもよいのですが、この BEST 法では aliphatic 1H はそのままにしておきます(SOFAST とほとんど同じです)。つまり、15N と aliphatic 1H はカップルしたまま 15N の化学シフトが展開することになります。しかし、アミロイド系の蛋白質をふくめ IDP の測定など、15N に対してもできるだけ細い線幅を得たいときには、今回のように aliphatic 1H もデカップルした方がよいだろうと思います。ふつうの TROSY 法を重水素化していない試料につかうと、2J(HaN), 3J(HaN), 3J(HbN) などにより、15N 次元の線幅が少し太くなってしまいます。これを IDP に使ってしまうと、スペクトルの真ん中あたりにピークが重なってしまうわけですが、今回のパルスを使うと非常に高い分解能が得られます。

大きい(重水素化していない)蛋白質で、このパルス系列により 3J(HNHa)-coupling を測ることは難しいでしょう。そもそも直接測定軸で doublet に分かれるほどに線幅は細くならないでしょうし、FID の検出の最中に 1Ha が spin-diffusion により反転してしまい、3J(HNHa)-coupling が self-decoupling したような状態になってしまいます。しかし、10-20 kDa ぐらいまででしたら、ふつうの HSQC よりもきれいなスペクトルが得られることでしょう。

なお、3J(HNHa)-coupling を測るのでなければ、FID の最中にも 3J(HNHa)-coupling を refocus できればよいのですが、それも同著者から発表されています(BASH 法)。Ying, J. et al. (2014) J. Magn. Reson. 241, 97. このようなホモ核デカップリングの手法はいろいろと出ていますが、FID の最中にπパルスもどきを打つという直接的な方法は、もう 20 年ぐらい前になされていたのを覚えています。しかし、検出した FID にノイズが走ってしまい、これは使えないなあと思ってしまいました。今のマシンですと、大丈夫なのでしょうか?

2016年8月12日金曜日

大腸菌培養の最少培地 M9 その1

前の更新からあまりに長く経ってしまいましたので、以前のが広告で隠されてしまいました。すこし更新しなければ。

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NMR で蛋白質を解析したい時には大抵の場合 15N, (13C, 2H) などの安定同位体 stable isotope で標識 label します。このように標識するには、蛋白質を大腸菌か酵母で発現 express させる必要が出てきます。もちろん、昆虫細胞や哺乳類細胞での発現でも標識はできるのですが、標識された培地の価格が高いのでなかなか手を出せません(一説によると、それほど高価でもないとも言われるのですが .... )。

ただし、大腸菌培養でも最少培地では発現量はがくんと減りますので、できるだけ高発現の培地組成を工夫したいものです。いろいろと改良を重ねてはあちこちにメモっておくのですが、今そのようなメモファイルが一杯できてしまい、いったいどれが最新版なのかが分からなくなってしまいました(別に M9 仕様に限ったことではないのですが)。そこで、更新した都度、ここに書いていくことにします。

M9 の作り方にはちょっとしたコツが要るのですが、そのほとんどは「蛋白質科学会アーカイブ」に書かれています。ここではこの内容とあまり重複しないようにしたいと思いますので、ここの文章と「蛋白質科学会アーカイブ」の文章を合わせて1つと考えてください(どちらか片方だけでは足りない?)。本当は「蛋白質科学会アーカイブ」が簡単に更新できるようになっていればよいのですが、あれは査読を経て掲載される仕組みになっていますので、更新がかなり面倒なのです。もし M9 のコツだけをしゃべったとしても、それだけで数日間は要するかもしれませんので、ここにちょっとずつ書いていこうと思います。それではお料理番組の開始です。

以下の「塩溶液 A」と「ビタミン・ミネラル溶液 B」を別々にオートクレーブにかけて滅菌します。ついつい一緒にして作りたいと思われるかもしれませんが駄目です。

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10☓ 塩溶液 A

Na2HPO4・12H2O 17.66 g
KH2PO4  3g
塩  0.5g
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ここで Na2HPO4 を探してみたけれど見つからず、ふと試薬棚の横にあった K2HPO4 を使いましたが宜しいでしょうか?駄目です。そのようなことをするとナトリウムの量が減ってカリウムの量が増えてしまいます。

それでは、KH2PO4 が見つからず、ふと上にあった K2HPO4 を使いましたが宜しいでしょうか?これも駄目です。そのようなことをすると溶液の pH がずれてしまいます。

では、Na2HPO4・12H2O が無かったので、ふと下にあった Na2HPO4 を使いましたが宜しいでしょうか?これは OK です。しかし、その時の秤量値は 17.66 g ではありません。Na2HPO4 の分子量は 141.96 g/mol、それに対して Na2HPO4・12H2O の分子量は 358.14 g/mol です。したがって、Na2HPO4 を使う時には 17.66*141.96/358.14 = 7 g 測りとらないといけないことになります。たいへん大きな違いですね。

同じように KH2PO4(136.086 g/mol)が見つからず代わりに水和水型があったとしましょう。何 g 測り取ればよいかは良い練習問題となりますので、間違えないように頑張りましょう。当然 3g よりかは多くなります。要は同じモル数になるように比例の計算をすることになります。

水和水型を使う方がよいかどうかについてです。これらの塩は吸湿性がありますので、試薬瓶の蓋を開けるとどんどん外気中の水分を吸い取って重くなってきます。そのため、もともとの水和水型を使う方がモル数はむしろ正しくなるでしょう。しかし、できるだけ培地に軽水(1H2O)を入れたくない時(perdeuteration)、この水和水の軽水も気になるところです。そこで、Na2HPO4・12H2O を 17.66 g/L 入れると、いったいどの程度の 1H2O が 1L 培地に混じってしまうのか計算してみましょう。12*17.66/358.14 = 0.59 ですので、水分子は約 0.6 M に相当します。一方、水の濃度は 1,000/18 = 55.6 M です。したがって、約 1% の軽水のコンタミになります。TROSY を使うのが目的であれば、あまり問題にはなりませんが、Transfer-cross-saturation(TCS)を使う場合にはこれは大きな障害となります。その試料で何を測定するかによって、水和水型の塩を使うかどうかに気を付けましょう。

2*17.66/358.14 + 3/136.086 + 0.5/58.44 = 129 mM これは何を計算したかといいますと、Na+, K+, Cl- などの合計濃度です。生理的食塩水が 140 mM ですので、これに近い浸透圧になるようになっています。そうでないと、大腸菌が破裂してしまいます。

また第一リン酸と第二リン酸の比率から、pH が 7.15 ぐらいになるのでしょうか?(pH の調整は不要です。)大腸菌は育てていると乳酸などを外に出しますので、培地が少し酸性に傾きます。しかし、M9 培地にはこのリン酸緩衝液が入っていますので、かなり pH が保たれます。それに少しだけアルカリ性からスタートしますので、落ちたとしても7を極端に下回ることはないでしょう。一方、普通の LB 培地ですと、酸性雨の影響などにより pH 5 ぐらいになることがあります。この場合、菌の成長はすごく悪いです。

ここまで来るのに非常に長かったですね。最後にこれを水道水 100mL に溶かしてオートクレーブします。溶けにくいかもしれませんが、オートクレーブすると溶けますので気にしないでください。なお重水素化する場合、重水で溶かした溶液をオートクレーブしてしまうと大量の軽水が蒸し器の中で混じってしまいます。したがって、フィルターで濾すことになります。その場合はしっかりと溶かしておかないといけません。コツは軽水(重水)をスタラーで回しながら少しずつ塩を加えていくことです。大量の塩の上に水をドサッと入れると塩が底で固まってしまい、溶かすのに一苦労です(重水を温めて溶かしたこともある)。

なお、軽水に限った話ですが「水道水」でなければなりません。ここでわざわざイオン交換水などを使うと、後ほど述べる微量金属 trace metal をあえて入れた場合を除いて、非常に大腸菌の成長が遅くなります。特に古〜い建物の錆びた水道管の水が良いです(笑)。もし、ミリ Q 水などを入れて菌の生えが悪かった場合には、皮肉にもそのイオン交換水製造装置が健全だということ示しています。RO 水などが飲料水としても売られていますが、本当の RO 水は無味のため美味しくないのだそうです。そこで、あえてそこに何らかの添加物(イオン?)を加えて売るのだそうです。大腸菌にとってもイオン交換水はまずくて飲めないのでしょう。

しかし、重水で溶かす場合には水道管の錆などが入りませんので、問題が生じてきます。よく重水で培養すると菌の生えが悪いと聞きます。もちろん、pH (pD), 粘性などさまざまな違いが原因なのですが、ひとつ見落としやすいミスがこの trace metal を入れ忘れることなのです。これはまた次回に述べることにしましょう。

ところで、最終的には 1L の培地にこれらの塩が入ることになりますので、100mL に溶かした時点では 10 倍濃い(10×塩溶液)ということになります。かなりしょっぱいです。

次回は「ビタミン・ミネラル溶液 B」の作成法です。

2016年6月19日日曜日

ヒスチジンタグの怪

蛋白質を早く調製するために、よく蛋白質の N-末端か C-末端に { His-His-His-His-His-His } のタグをつなげます。すると、精製がすごく楽になるのです。一般的には Immobilized metal ion affinity chromatography (IMAC) と呼ばれています。Ni-NTA カラムと呼ばれる Ni2+ イオンがキレートされたレジン(Ni2+ charged chelating resin)が売られており、これに蛋白質を流し込むと (His)6 の部分が Ni2+ にくっつくのです。「Ni-NTA」で画像検索すると、その仕組みが描かれたサイトがたくさん出てきます。後でイミダゾールを流すと、蛋白質が Ni2+ から外れて溶出してきます。イミダゾールはヒスチジンの側鎖部分のような物質ですので、Ni2+ が蛋白質の (His)6 との相互作用をやめて、大量に流し込まれたイミダゾールに鞍替えすると考えればよいでしょうか?あるいは、大量のイミダゾールが Ni2+ に付くので、(His)6 は競合的に負けて流れ落ちてしまうと考えてもよいでしょう。

しかし、先週この「His-タグ」が信じられないような悪さをしてしまったのです。まずは、それ程たいしたことのない経験から。

ある蛋白質を Ni-NTA カラムクロマトグラフィーにかけ、それを溶出した後に His-tag を切ろうと thrombin を加えましたが、何日たっても一向にタグが切れませんでした。溶液は透明なままで沈殿が起こっていたわけではありません。しかし、もしやと思い、そこに EDTA を入れてみると途端に 30 分以内にタグがきれいに切れてしまいました。おそらく、複数の蛋白質の His-tag が少しの金属イオン(おそらく Ni-NTA から漏れ出たニッケルイオン)を奪い合って凝集していたのでしょう。ちょうど繁華街に百万円の札束を何十束とばらまいたような状況になりました。一束に何人もが群がり集まるような有様です(例え悪すぎ?)。それが沈殿になればすぐに分かったのでしょうが、たまたま親水面を外側表面に向けてニッケルイオンを覆い包み、まるでミセルのような凝集体構造をとっていたため、溶液が透明のままだったのではないかと思います。

似たような話が次の論文にも載っていました。

Hom, L.G. et al. (1998) Nickel-induced oligomerization of proteins containing 10-histidine tags. BioTechniques 25, 20-22.

His-tag がどうも可逆的な凝集を引き起こしているらしいことは、上記の論文にも載っています。著者らは普通の (His)6-tag の親和性があまり高くないので、(His)10-tag に換えました。すると、溶出した溶液に EDTA を入れた場合には蛋白質が単量体になり、10 mM の Ni2+ を入れた場合には凝集したのだそうです。1% SDS, 6 M urea, 10 mM DTT などをそれぞれ入れても、また1分ほど熱しても凝集をほどくことができなかったようです(目的蛋白質は unfold した状態なので、その蛋白質の配列そのものが凝集を引き起こしているわけではない)。著者らは、Ni-NTA カラムを使うと、少しはニッケルイオンが外れて試料といっしょに漏れ出てきてしまい、それがクロスリンク的な凝集を引き起こす可能性があると書いています。

したがって、Ni-NTA カラムから溶出してきた試料にはすぐに EDTA を入れることが重要です。その EDTA-金属錯体は、その後にゲル濾過、限外濾過、透析などで取り除くことができるでしょう。

蛋白質分解酵素(protease)の中には Ca2+, Zn2+ のような金属イオンが必須のものがあります。EDTA は金属イオンを奪い取りますので、しばしば不純物のプロテアーゼを失活させる目的で EDTA を常に入れておく場合があります。また、Ni2+ などの金属イオンはある条件下でペプチド結合を切ってしまいますので、それを防ぐためにも EDTA は入れておいた方がよいでしょう。しかし、His-tag を切るためのプロテアーゼにそのような金属プロテアーゼを選ばないようにしないといけません。少なくとも thrombin や PreScission pretease (HRV3C) は EDTA 存在下でも大丈夫です。

ここまではよくある話なのですが、先日 His-tag なしの遺伝子構成で発現させると凝集がなくなるということが起こりました。この蛋白質は His-tag ありなしに関わらずよく溶けました。沈殿も起こりません。ところが、His-tag ありの方ではゲル濾過で理想よりも高分子量側に広い範囲で溶出し、NMR で測定するといかにも凝集していそうなスペクトルなのです。また、いくら EDTA を入れても回復しませんでした。当然、His-tag を切断するためのプロテアーゼも換えました。そして、ちゃんと His-tag は切断除去されますので、His-tag 部分が蛋白質の fold に巻き込まれていたわけでもなさそうです。しかし、それでも凝集は防げませんでした。1年以上あれやこれやとさまざまな方法を試したのですが(それでもう万策尽きて、最後にまさかと思いながら遺伝子上で His-tag 除去に踏み切ったという次第)、それらの結果をまとめると、どうも大腸菌での翻訳過程で N-末端につけた His-tag がその folding に悪さをしており、出来損なえの(しかし、一応はちゃんと溶ける)蛋白質を作り出したとしか思えないような状況なのです。そういえば、C-末端側に His-tag を付け替えることをしませんでした。これを試せばもっとよく分かったかもしれません。

実はこの蛋白質は同種多量体(homo-multimer)なのです。すると、個々のサブユニットがちゃんと fold してから多量体として集まるのか、それとも、unfold した状態のサブユニットが集まって来て、個々のサブユニットの3次構造と多量体としての4次構造が同時に作られていくのかがよく分かりません。もしかすると、人工的な His-tag が金属を奪い合った結果、個々のサブユニットがちゃんと fold する前に複数のサブユニットが集まってしまったのかもしれません。すると、ドメインスワップのような状況が起こり得ます。つまり、隣どうしのサブユニットで自と他の区別がつかなくなり、間違えて他のサブユニットを自の方に巻き込んで fold してしまうのです。

そういえば数年前にすでに痛い目にあっていたことを思い出しました。それはカルシウム結合蛋白質だったのです。ヒスタグを切断するのが面倒で、そのまま NMR で測定しました。すると、すごく変なスペクトルなのです。溶液の中に EDTA を入れると、もちろん Ca2+ が蛋白質から外れてしまいますので、入れるわけにはいきません。これも、His-tag を通して凝集が起こっていたのでしょう。そして、His-tag をちゃんとプロテアーゼで切断してやると、きれいなスペクトルに大変身しました。

ヒスチジンタグ法は、あまり精製度はよくありませんが、簡単でたんへん効率も高く、また小さいのでいざとなれば切り取らずに付けたままでいろいろな生化学的実験もできる場合があります。さらに、塩酸グアニジンや尿素で変性させた状態でもカラムにつけることができます。しかし、少なくとも金属の混入には気をつけて、EDTA を 0.5~1.0 mM ほど入れておくようにしましょう(もちろん、カラムからの溶出の後です)。また、N-末端と C-末端のそれぞれに付けてみて、同じ挙動を示すかどうかを見ておくとよいかもしれません。これらは昔から言われ続けてきたことなのですが、最近の便利さについ甘えてしまい怠ってしまいました。現代科学をもってしても、これらを前もって正しくシミュレーション計算することは難しいのでしょう。

2016年6月1日水曜日

欲張らない方がかえって敏感に

同種多量体(homo-multimer)の蛋白質には同じ種類のリガンド(あるいは基質)が負の協同性(negative cooperativity)を示しながら相互作用していくことがあります。これについて、「いったいそれが生物にとって何の意味をもっているのか?」がよく議論され問われます。今のところ数説ほどがよく知られていますが、もう一つ発表されましたのでご紹介します。

Ha SH, Ferrell JE Jr. (2016) Thresholds and ultrasensitivity from negative cooperativity. Science 352 (6288), 990-993.

ここで同種2量体(dimer)を考えてみます。それぞれのサブユニットに同じリガンドが一つずつ付いていきます。もし、2個目のリガンドが1個目のリガンドよりも強くつくのであれば、その2量体は「正の協同性」をもっていることになります。逆の場合は「負の協同性」です。しかし、ここで触れた協同性とは「リガンドがどのぐらい強くサブユニットに引っ付くか(affinity)」についてであり、「そのリガンドがついたサブユニットが活性をもつかどうか(activity)」については一言も触れてはいません。リガンドが付いていても活性がないというパターンもありえます。そこで、次のように考えることもできます。

(モデル1)片方のサブユニットにリガンドがつけば、そのサブユニットは活性をもつが、もう一方の空のサブユニットは不活性のままでいる。

(モデル2)片方のサブユニットにリガンドがついた状態では両方ともまだ不活性のままである。2個目のサブユニットにもリガンドがついて初めて両方が活性をもつ。

MWC モデルや KNF モデルは、T 構造(リガンドがつきにくい構造)と R 構造(リガンドがつきやすい構造)との間の交換について仮定されています。しかし、この R 構造にも2種類あって活性型 R 構造(R*a)と不活性型 R 構造(Ri, R*i)(* はリガンド)を想定すればよいのでしょうか?モデル2では R*i の存在を認め、かつ R*a は必ず全てのサブユニットで対称形でなければならないと規定してしまえばよいことになるのでしょうか?

ここで Hill 係数を求めてみましょう。ここでの Hill 係数はリガンドの親和性ではなく、あくまで活性がリガンドの濃度に対してどのように変わるかにもとづいて計算されていますので、モデル2では「R*a は対称形でなければならない」という制限が効いてきます。これは構造交換でいうところの MWC モデルの制限(R, T 構造は分子内で対称性をもたないといけない)とそっくりです。そのため、モデル2の Hill 係数はたとえ負の協同性であっても1を下回りません。

よく解離定数 Kd を計算する際に Kd = [protein]f * [ligand]f / [complex] のような比をとりますが、この添え字の f は free の f でして、この点によく注意しないといけません。この場合、[ligand]total = [ligand]f + [complex] となります。大抵の場合、リガンドの数は蛋白質の数を大きく上回っているので、[ligand]f のところに間違えて [ligand]total を使ってしまったとしてもあまり問題はありません。実際の実験では蛋白質に対して大過剰のリガンド(基質)を加えることにより、[ligand]total を使って解析したりもします。しかし、リガンドの数が非常に少なく、蛋白質の数と同じか、あるいはそれよりも少なめであればどうなるのでしょうか?

この [ligand]total を故意にもちい、さらに [ligand]total と [complex] を同じぐらいの数値に設定すれば、驚くべき事が見えてくることに全く気づきませんでした。目からウロコです(何度もプログラミングしているのに、なぜ一度でも計算してみようと思わなかったのか?)。もし、これが本当に起こっていることだとすると、生物の代謝や信号伝達の制御は(あの解糖系でさえ)思っている以上に精巧で複雑なのかもしれません。

もし、リガンドのモル数が(蛋白質 × サブユニット数)のモル数より少なく、親和性が非常に高い場合を考えてみます。ここにリガンドを少しずつ加えていきます。リガンドの親和性について正の協同性がある場合、片方のサブユニットだけにリガンドが付いていくよりも早く2個目のサブユニットにもリガンドが付き始めます。つまり、片方だけにリガンドが付いたような二量体が非常に少なく、2つともリガンドがついた2量体が滴定するにしたがって増えていきます。一方、負の協同性がある場合には、ほとんど全ての二量体で片方のサブユニットにリガンドが付き終わって初めて2個目のサブユニットにもリガンドが付き始めることでしょう。ここで(モデル1)のような2量体であれば、とにかくリガンドが付いたサブユニットは隣のサブユニットにリガンドが付いているか(R*a-R*a)あるいは、いないか(R*a-Ri, R*a-T)に関わらず活性をもちますので、協同性が正であっても負であっても活性は同じように上がっていくのです。リガンドが少ない時には正負の協同性の区別が消えてしまうとも言えます。

一方(モデル2)においては同じような状況でも結果はかなり違ってきます。まず、負の協同性です。ほとんど全ての2量体で片方のサブユニットにリガンドが付き終わるまでは活性がありません(R*i-Ri, R*i-T)。この時のリガンドの総モル数は、結合サイトの総モル数の半分です。この量がしきい値となり、この閾値にリガンドの濃度が達するまでは活性が出てこないといった緩衝効果が出てきます。ところが、さらにリガンドが入り始めると急に2つのサブユニットがともに満たされた2量体(R*a-R*a)が生まれ活性が出てくるのです。逆に正の協同性では二つともリガンドで満たされた2量体(R*a-R*a)が滴定のはじめの段階ですでに生じはじめます。親和性が高い場合には、片方だけリガンドが付いたような蛋白質(R*i-Ri, R*i-T)はほとんど存在せず、あるのは二つともリガンドがついた活性体(R*a-R*a)ということになります。よって、急に活性が上がるというよりかは最初からじわじわと、加えたリガンドの量に比例して活性が上がり続けることになります。活性のスィッチイングの on/off が急に切り替わるのは正の協同性の方だと思い込んでいましたが、それはリガンドがあり余るほど多量にある時の話でした。リガンドの総モル数が結合サイトの総モル数よりも少ない場合には、逆に負の協同性の方がスィッチイングの切り替えが急激になるのです。以上は親和性が極めて高い場合を考えましたが、親和性が低くなると結果はリガンドが多量にある状況と似てきます。

また、逆にリガンドではなくて、蛋白質の方を滴定していっても興味深い結果となります。モデル2で正の協同性の場合、蛋白質を増やすにつれてそれに比例するように2つのリガンドで満たされた二量体が生じてきます。そして、蛋白質が過剰になり始めても依然としてそれら二量体が存在し続けます。あまりに蛋白質があり過ぎると、リガンドが一つしか付いていない二量体も生まれ始めますので、活性は少しずつ下がってきます。一方、モデル2で負の協同性の場合、すべての二量体がリガンド2つずつで満たされるまでは、先ほどの正の協同性の場合と同じです。ところが蛋白質が過剰になり始めると、2個目の相互作用は弱いのですからどんどんリガンドが1個しか付いていない2量体が生じてきます。ちょうどリガンドがまったく付いていないような2量体を無くそうとします。この1リガンドの2量体には活性がありませんので、結果として2量体のモル数がリガンドのモル数と同じになる頃には(R*i-Ri, R*i-T)ばかりになってしまい、早くも活性がほとんど無くなってしまうのです。

このようにリガンドの総モル数が多量体上の結合サイトの総数に比べて少ない時には、負の協同性の方がスィッチングの役割を果たすという結果になりました。実際に DNA をつかって結果がこの通りになることが示されています。

まとめます。次のような条件の時、蛋白質(たとえば受容体)はリガンド(または基質など)の濃度の変化に対して極端に応答し、まるでスィッチを on/off したかのように振る舞います。リガンドがある濃度に達するまではほとんど活性がないような off の状態にあり、リガンドがその閾値の濃度を超えた途端に活性がいきなり on になります。

1)蛋白質は homo-multimer であり、各サブユニットに一つずつの同じ種類のリガンドがつく。

2)その同種多量体の蛋白質は、リガンドの親和性に対して負の協同性をもっている。

3)最初のリガンドに対してはかなり強い親和性をもっている。

4)多量体の中のサブユニットすべてがリガンドで満たされて初めて活性がでる(厳密には全てである必要はないが、少なくとも2つのサブユニットにリガンドが付いている必要はあるでしょう)。

5)リガンドの総モル数が(多量体分子 × サブユニット数)の総モル数(つまり、リガンド結合サイトの総モル数)に比べて少ない。

(Supplement の p.4, Eq. 10 の最後の項はおそらくミスで、正しくは +2 R2 tot でしょう。)

2016年3月11日金曜日

コーヒーに大腸菌ヨーグルトを入れずに済む方法

来たる夏にこの県が主催するあるサイエンスフェアに科学的な出し物(ブース)を披露しないといけなくなってしまいました。対象は小・中・高校生となんとも幅広い層です。さらにご父兄も。そこで、いろいろと考えていたのですが、その一つとして NMR 機械を展示・実演することを計画しました。といくら何でもそれは冗談でして、実際には NMR を究極にまで小さくした装置を某企業からお借りすることになりそうなのです。

それは「mq-Profiler」と呼ばれる装置ですが、磁石をつかって 1H の核スピンを静磁場の方向に揃え、それに電磁波パルスを当てて核スピンを励起させ、その核スピンの集まりが回転運動する時に検出コイルに誘導された電圧を測定するというものです。この説明、NMR や病院の MRI とまったく同じですよね。

科学的な詳細は下記に載っております。

Todt, H., et al. (2006) Water/moisture and fat analysis by time-domain NMR. Food Chemistry 96, 436.

別のメーカーから「卓上 NMR」なるものも出ているのですが、それとはちょっと異なります。「mq-Profiler」は検出された信号をフーリエ変換せずに、時間軸のままで観るのです。そう、まるで NMR の FID をそのまま観るような感じなのです。実際には FID そのものではなくて(業界用語でいうところの)「スッピン猫法」によってエコーされた信号を次々に観ていきます。ちょうど、蛋白質の 15N-T2 緩和を CPMG で測定するのと同じです。長年 NMR を触っているとフーリエ変換などせずとも FID を観るだけでおよその信号の特徴は分かるものです。FID の減衰の度合いから分子量や粘度などが分かり、FID の振動の細かさからおよその化学シフトが分かります。

「mq-Profiler」の永久磁石は小さいですので、さすがに化学シフトで個々のピークを分離することはできません。ちょっと計算してみますと、1H の共鳴周波数が 17 MHz 程度でした。しかし、測定対象物の中の水や油(脂質分)はしっかりと観ることができます。欲しい情報はこれらの含有量や運動状態です。たとえば、水か油脂がたっぷりと含まれていて、それらがさらさらとしているのか、それとも、かなりドロドロしているのか、あるいは、しっかりとどこか支持層に固定されているのかなどの情報が数秒で得られるのです。しかも、表面から 5mm ほど中に入った箇所の情報だけを取り出すこともできますので、たとえば次のような測定ができるのです。

・この「虹マス」は丸々と太っているけれど、値札に書かれているように本当に卵を抱えているの?切らずに調べろと言われた。

・この古い牛乳をコーヒーに入れたいのだけれど、先日はヨーグルトの塊 500cc 分がどさりとコーヒーに落ちてしまって、せっかくたてたコーヒーが全部コップからこぼれてしまった。乳酸菌ではなく大腸菌による発酵ヨーグルトができてしまっていたので、あまり飲むのはお勧めできないし。

・このチョコは「口の中で溶けるまろやかさ」などと謳っているけれど、実はサラダ油をじゃぶじゃぶと加えてあるだけじゃないの?

・このマーガリンは冷やしても固まらないけれど、実はそれは健康にまずいんじゃないの?本当のバターはちゃんと固まるけど、両者の油脂はどのような流動性の違いがあるのか?

・この袋の中には硬いビスケットが入っているの?それとも「カン◯リーマ◯ム」のような湿ったビスケットが入っているの?

・レオナルド・ダ・ビンチの壁画を修復するように言われたけど、この色素の含水度はどうなっているのかな?表面を削るなと言われてしまったし。

・生卵とニヌキを、手を触れずに殻も割らずに判別しろと言われた。

・この車のタイヤは新品そうに見えるけれど、本当は乗り古した中古タイヤじゃないの?

・ビールを飲ませて健康な牛に育ったけれど、果たしてお肉には霜降りがちゃんと含まれているのかな?でも、屠殺しないで霜降り度合いを数値できっちりと出したい(これについては、牛を測るためのもっと大きな検出器が必要だそうで、下記に詳細が載っております。しかし、原理は同じです)。

http://www.aist.go.jp/aist_j/new_research/nr20150518/nr20150518.html

上記のサイトにも載っていますが、データの質がよい場合には2種類が混じっていても別々に分けることもできます。3種類以上が混じっていると、分けるのはちょっと難しいかもしれません。

また、横 T2 緩和だけをこのブログで紹介しましたが、もちろん、inversion-recovery 法をつかって縦 T1 緩和も測ることができます。両者を組み合わせれば、もっと物理的な事も言えるのですが、そこの原理は複雑になってきます。

上記のサイトにマグロの質も識別できると書かれていました。そういえば、近大マグロで今まさに研究に携わっている(テレビや科学雑誌にも出演されている)先生のお一人は、実は核磁気共鳴の専門家でもありますので、これを採り入れるとよいのではと思ってしまいました。

2016年2月18日木曜日

なぜわざわざ鈍らせるのか_その2

長らく、その2を上げるのを忘れてしまっていました。

生物内で代謝過程を制御することは非常に重要です。これを工場の流れ作業ラインに例えますと、どこかで部品や最終製品が余り過ぎたり、逆に足りなさ過ぎたりするのを防ぐことに相当します。代謝過程がどのように制御されているのかという問題点を数十年前に論じると、それは一連の代謝経路のうち、律速段階にある酵素について個々に論じることであり、代謝に関連する「酵素群」という系全体で制御を考えるということはまだあまりありませんでした。

つい最近になってようやく代謝過程の系全体で調節方法を考えるという傾向が出てくるようになりました。その調節で重要な働きを担う「正の協同性 positive cooperativity」については生理学的にどのような意義をもつかはよく理解されています。それに対して、「負の協同性 negative cooperativity」の生理学的意義はまだよく分かっていません。

前回「その1」で紹介しましたが、もう一つの考え方が次の文献に書かれています(大家ですね)。

Cornish-Bowden A. (2013) The physiological significance of negative cooperativity revisited. J Theor Biol. 319, 144-147.

この正の協同性を見てみると、そのほとんどは基質の酵素への結合ではなく、阻害剤か活性剤の酵素との相互作用(あるいはその結合の後の酵素活性の応答について)です。それは何故でしょうか?

ほとんどの代謝過程で重要なことは最終生産物の量を望みの量に調整することです。そのため、たとえ途中ではたらく酵素への基質の結合が正の協同性を帯びていたとしても、それは最終生産物の量の調整には必ずしも結びつかないのです(基質は酵素への入力要素ですが、最終生産物はかなり遠方の出力要素です)。一方、負の協同性に目を移すと、これは正の場合とは異なり、基質の酵素への相互作用の例が多いです。これもまた何故でしょう?

さて、Hill の式は次のように表されます。

v = V*Y = V*a^h / (a50^h + a^h)

Y: 基質が酵素についている飽和度
a: 基質の濃度
v: 酵素の反応速度
V: 酵素の最大反応速度
a50: 反応速度が V/2 となる時の基質の濃度
h: ヒル係数

この式を二次元のグラフ(横軸が基質の濃度 a、縦軸が酵素の反応速度 v)にプロットした図が、よく教科書に載っています。Hill 係数 h が1を超えると、曲線がシグモイドとなり勾配が急になります。このとき、ほんの少し a が変わるだけで v が何倍にも変わるのです。一方、Hill 係数が1未満の負の協同性では、この曲線が横に寝たようになります。この状況では a を少しぐらい変えても v はあまり変化しません。なにしろ、同種多量体(homomultimer)の蛋白質では、1個目の基質があるサブユニットにつくと、2個目の基質は他のサブユニットにつきにくくなり、3個目はもっとつきにくくなるのですから、基質濃度 a を増やしても反応速度 v が容易に上がらないことは想像できます。このような負の協同性はいったい何の役に立つのでしょう?

ここで発想をがらりと転換させてみます。先ほどのグラフの横軸と縦軸をひっくり返してしまうのです。するとどうでしょう?負の協同性では、少しでも反応速度 v が変わると、入ってくる基質濃度 a が激変してしまうのです(ただし、速度が V/2 ぐらいの時)。確かに、先ほどの「いつもの」グラフでは傾きはなだらかでした。それの横軸と縦軸を交換すると、当然のように今度は傾きが急になってしまいます。しかし、ここでまた疑問点が出てきます。それで何の役に立つのかと?

これの利点を見るには、この酵素ひとつだけを考えていてはだめなのです。最初の段落で書いたように、この酵素は代謝経路の中のひとつであり、この系全体のネットワークを考えないといけないのです。

もし、この酵素の直前で A が出来上がってくる速度が上がった場合を想定してみましょう。もし、問題となるこの酵素が正の協同性を持っていたとすると、どんどんこの酵素に吸着していき、そして A は直前で出来上がってくるのと同じ速度で処理されていきます。よって、余っている基質 A の濃度 a はかなり一定のままそれほど変化しません。ところが問題の酵素が負の協同性を持っているとどうなるでしょう?直前の反応で A がどんどん出来上がってきても、問題の酵素には A はそれほど吸着しません。すると、この酵素の反応速度はもちろん上がろうとはしますが、その前にむしろ余っている A が急に増えていってしまうのです。

そして、この基質 A が前の方の他の反応を触媒する酵素に対してはフィードバック阻害剤として働き、かつ、この阻害剤 A が正の協同性をもってその酵素に相互作用していく場合を考えると非常に面白いのです。先ほどの A が出来上がってくる速度が少しでも上がると a が急上昇し、それらが勢いよく前の別の反応をフィードバック阻害するという結果になります。このように A が負の協同性をもったある酵素の基質として働き、同時に正の協同性をもった別の酵素の阻害剤として働くとき、この系は非常に効率の高い制御を見せるのです。実際、負の協同性は基質との結合において、正の協同性は阻害剤との結合においてよく見られます。

流れ作業の途中にある人 E がいて、その人は仕事 A がどんどん入ってくるとますます元気になってその仕事を処理していくとします。処理のスピード v が増していくのです。これが正の「共同性」。逆に仕事を与えるほど「ますます」嫌気がさして、処理スピード v が落ちてしまう人 E を負の「共同性」としましょう。このような人 E の前でベルトコンベアーの速度 v が急に増してしまうと、この人の前には部品 A がいっきに山積みされてしまうことになります。この部品 A がどんどん溜まっていく状況を、流れ作業の前の方の人がみると「ますます」ヤル気をなくして、その仕事が阻害されてしまうことでしょう。しかし、このおかげで、流れ作業全体が落ち着く?のかもしれません。逆にもし、E が正の「共同性」をもった人であったならば、その人 E の前には部品 A は溜まることなく、流れ作業の前の方の人はつい仕事が順調に進んでいるものと思い込んで 、結果的には最終製品を作り過ぎて在庫過多に、そして赤字になることでしょう。書いていて、はたしてこの例えが良いのかどうかが分からなくなってしまいました。。。

2016年1月27日水曜日

水とアミド基水素の交換4

前回はあまりに文章ばかりで自分でも何を書いているのか分からなくなってしまいましたので、今回は図をたくさん載せてみました。

下の表は二次元の 15N-edited NOESY (ROESY) のような測定法でのピークの符号を想定しています。これは、もし、t1 次元(1H 間接測定軸)で化学シフトを展開させ、w1 次元の 4.7ppm に沿った交差ピークを解析するならば、三次元 15N-edited NOESY (ROESY) スペクトルとなります。別名 NOESY (ROESY)-15N-HSQC などといってもよいでしょうか?ただし、[15N]-蛋白質の 1H と水和水や溶媒の 1H との交換現象を観ようとしていますので、mixing-time の前は(前回に書きましたように)水の磁化 ~4.7ppm 付近を選択的に saturate させるか、あるいは 180 度パルスの有無により水の磁化を +-z の向きに揃えます。そして、その水の 1H 磁化から例えば 1H-15N アミド基の水素に磁化が移動してくることを想定しています。交換のしくみは、双極子間相互作用による(NOE, ROE, saturation-transfer)か、あるいは直接的な化学交換です。しかし、ここに後述の exchange-relayed NOE が混じってきて結果に混乱を招きます。なお、このとき蛋白質は十分に高分子量であるとします。

Mixing-time の間をただ待つだけの NOE にするか、あるいは ROE パルス系列にするかで結果がすこし違ってきます。下の表はその時の交差ピークの観え方を示してみたのですが、その見方にはちょっと注意が必要です。

表で positive と書かれている場合、これは「正の NOE」を意味します。一般的に低分子で観られる NOE 現象でして、もし、対角ピークを正になるように位相補正したならば、交差ピークは負になります。逆に negative と書かれている場合、これは「負の NOE」を意味します。一般的に高分子で観られる NOE 現象でして、対角ピークと同じ符号の交差ピークとなります。このとき、水の磁化と同じ向きに蛋白質側の 1H 磁化が増減します。
TOCSY の箇所にも「negative」と書かれており、これは物理的には正しくなく変な説明になってはしまうのですが(TOCSY 現象は双極子間相互作用による交差緩和ではないので)対角ピークと交差ピークとが同じ符号になる(つまり、高分子での NOE と同じ観え方になる)のだと解釈することでご容赦ください。しかし、同種核間での ROE の測定では、どうしても少しの TOCSY 効果が混じってきてしまいますので、両者の符合が逆であることは知っておくと便利です。

こうして表を眺めてみますと、
 ・高分子での NOE
 ・化学交換
 ・TOCSY
の3つは negative です。つまり、対角ピークと交差ピークが同じ符号になると覚えておくと便利でしょう。

上記の図で 1Hα からの連続的な ROE(spin-diffusion)が記されていますが、これは ROE 現象が偶数回おこった場合を描いています(ROE が 1, 3, ... 回と奇数回連続で起こった場合は、対角ピークと交差ピークが逆の符号となる)。このような厄介な現象は、蛋白質を重水素化することによってかなり防ぐことができます。さらに、13C でも標識していると filter-out のパルス系列も使えます。

ROE 測定の場合、水和水との直接的な ROE は、その水分子の蛋白質表面における滞在時間によらず一定の符号をもちます。しかし、正の対角ピークに対して、負の交差ピークが得られたからといって喜んでばかりはいられません。Exchange-relayed ROE も同じ符号になるためです。下記の NOE でもそうですが、どうも exchange-relayed NOE (ROE) が、どこでも登場してきて邪魔をし誤った解析結果に引きずり込んでしまうようです。

Cleanex-PM は、蛋白質分子内における NOE と ROE を打ち消し合わせますので、かなり exchange-relayed NOE を防いでくれるかもしれません。ただし、spin-diffusion の対象となる 1H が、蛋白質にきっちりと固定されていることを前提としています。Cleanex-PM の後半は 1H-15N HSQC パルス系列ですので、結果として大勢を占める chemical (solvent) exchange が「比較的」信頼性たかく測定できます。

この NOE 測定で厄介なことは、高分子の蛋白質側を測定する限り、水和水との真の NOE も、exchange-relayed NOE も、水との直接的な化学交換もすべて同じ符号になってしまうことです。唯一、交差ピークと対角ピークが逆符号になってくれるのは、水和水の滞在時間がだいたい 0.3 ns @600MHz より短時間である場合のみです。ですので、この場合には、かなりの確率で水和水との NOE を観ている可能性があります。しかし、これは長いあいだ滞在している(機能と関連していそうな)水和水ではありませんので、ちょっと面白味が欠けてしまいますね。

ROE は交差緩和をおこす二つの双極子の運動性によらず同じ符号のままですが、NOE は双極子が実験室座標系に対して止まってくると(大きな蛋白質上の二つの 1H など)符号が ROE とは逆になります。Transferred-NOE などはその性質を利用しています。もし、低分子リガンドがフリーのままだと ROE と同じ符号になりますが、高分子量の蛋白質と相互作用していると、符合が逆転して対角ピークと同じ符号の交差ピークが現れます。

WaterLOGSY も同じです。低分子リガンドと高分子が相互作用していると、その間に挟まれた水と低分子リガンドとの間に、まるでともに高分子の中にある時のような NOE 現象が起きます。しかし、注意点はやはりこの場合も exchange-relayed NOE でしょうか?もし、低分子リガンドの中に交換性の 1H が含まれている場合は、水との直接的な NOE ピークを過小評価してしまいます。この場合は蛋白質なしでも同じ実験を行い(できれば、観測側の低分子リガンドの濃度を変えながら)、この reference の結果も考慮しないといけないでしょう。