2015年12月30日水曜日

水とアミド基水素の交換3

最近の 2D 1H-15N HSQC には、water-flip-back 機能や watergate 機能などが付いていて、いわゆる pre-saturation などによる水消しはめっきり見かけなくなってしまいました。そのため、pre-saturation パルスを入れるとどのぐらいアミド基 1HN の感度が落ちてしまうのかの感覚が鈍ってしまっていましたが、先日「pH 3 の溶液であれば大したことはなかろう」と思いながら、ちょっと測定をかけてみたところ、意外にも信号のダウンが大きく驚いてしまいました。

水と蛋白質のアミド基水素との交換は(pH 3 ぐらいならば)それほど速くはないにしても、蛋白質の Ser や Thr などの側鎖の交換性 1H-O が水と高速に交換してしまっているとなかなか考えものです。この高速の交換を調べるには CEST 法が向いているようですので、これは後日また紹介することにしまして、まずは水とアミド基水素との交換から調べ始めました。すると、昔かいた Cleanex-PM が出てきて「こんな記事を書いていたんだ ... 。」と驚き!しかし、自分で書いていたという事実すらも忘れるなんて。

とりあえずは測定法を探ってみました。いろいろと出てきてしまい、頭が混乱しそうですが、基本はほぼ同じようです。

まずは、水 → アミド水素(1H-15N)の向きに交換の情報を伝える実験法だけを挙げてみます。この場合、水の磁化だけを選択的に +z か -z 向きにもっていくか、あるいは saturate させます。

Cleanex-PM の実験では、水に選択的 180 度パルスを、その両側に同じグラジエントをかけることによって、水以外の磁化をできるだけ消してしまいます(水だけが gradient-echo を受けて refocus する)。したがって、もし交換が起こらなければ、その後の 2D 1H-15N HSQC ではアミド基の信号は観えないことになります。さらに、位相回しの中で、水磁化が +y と -y になるように両方を測定し、その FID の差をとることによっても蛋白質側の磁化を打ち消しています。そして、mixing-time では高分子である蛋白質分子内の NOE と ROE をお互いに打ち消し合わせます(Hwang, T.L., et al. (1998) J. Biomol. NMR 11, 221)。ただし、mixing-time の間に蛋白質側の 1HN も横磁化を経ますので、高分子の場合は感度が悪いという問題がでてきます。

Grzesiek, S., et al. (1993) J. Biomol. NMR 3, 627 の方法では水の磁化だけを選択的に -z に反転(あるいは、+z そのままに)させ、それ以外の磁化はできるだけそのままにしています。しかし、水の磁化が +z の場合と -z の場合の両方を測定した後で両者の差をとるので、Cleanex-PM のように、もし交換が起こらなければ、かつ、水との NOE も起こらなければ、その後の 1H-15N HSQC でアミド基の信号は観えないことになります(ただし、位相回しの中で実現させないで、後で両者の和で差を規格化し、NOE の値を得ている)。Cleanex-PM とは異なり、mixing-time の間、蛋白質側の 1HN は縦磁化ですので、高分子の場合でも測定できそうです。ただし、蛋白質分子内での spin-diffusion による exchange-relayed NOE は防ぐことができません。せいぜい、重水素化によって小さくする?あるいは、pH を変えて測定してみることぐらいでしょうか?

もっとも親しみ深い測定法は、いわゆる water-pre-saturation になります。これも上記の水磁化を +z, -z にもっていく方法と本質的に同じ、つまり、ともに双極子双極子相互作用の交差緩和(NOE or ROE)あるいは、化学交換で水から観測対象である交換性の水素に磁化が伝わります(酸性 pH の溶液では、水から Ser, Thr などの側鎖の交換性 1H に化学交換で saturation が伝わり、そのまま spin-diffusion で近くのアミド基 1HN に伝わってしまう exchange-relayed NOE の寄与分が大きい )。

以上の例では、水に選択的な反転、あるいは選択的な saturation の後に mixing-time そして 2D 1H-15N HSQC が続きます。

一方、WaterLOGSY の検出は低分子側ですので、原則的に 1H 1次元となります。もし、この低分子リガンドが高分子の蛋白質と相互作用していると、その瞬間だけ複合体は高分子になりますので、接触面の間に挟まれ動きの止まった水分子から低分子リガンドへ高分子で観られるような NOE 現象が起きます(負の NOE)。もし、低分子リガンドが蛋白質と相互作用せずフリー状態のままですと、水からの NOE は低分子-like になります(正の NOE)。

PO-WaterLOGSY という方法では、Watergate の両端に正負逆向きのグラジエントを置きます。(Gossert, et al. (2009) J. Biomol. NMR 43, 211)。その結果、水以外の磁化は試料管の中で gradient によりランダムな方向に向き saturate された状態になります。さらに、水磁化が +z と -z の両方の向きにむけた場合を測定し、その結果の差をとることによって水以外のもともとの磁化(この場合は、観測対象の低分子リガンドの磁化)をお互いに打ち消し合わせます。

上記にいくつかの例を挙げましたが、磁化移動の向きが逆、つまり、何か交換性の水素 → 水の向きに交換の情報を伝える方法もあります。例えば CEST 法ですが、今のところプロトン1次元での応用に限られているようです。

文章ばかりで内容が複雑になり過ぎましたので、次回に図を載せたいと思います。

2015年12月8日火曜日

採取するなら南極より温泉がいい

大腸菌発現系において目的の蛋白質を in vivo でうまく fold させる方法としては、低温培養がよく知られています。しかし、低温では大腸菌の成長は遅くなってしまいます。その遅くなる原因は、大腸菌の代謝を触媒している酵素の反応速度が単純に低温では遅くなるためだと思っていたのですが、実は他にも理由がある(どころか、否ちがう)と主張する論文がありました。

Manuel Ferrer, Tatyana N Chernikova, Michail M Yakimov, Peter N Golyshin & Kenneth N Timmis (2003) Chaperonins govern growth of Escherichia coli at low temperatures. Nature Biotechnology 21, 1266 - 1267. doi:10.1038/nbt1103-1266

この論文によると、大腸菌のシャペロニン蛋白質 GroEL, GroES の活性が低温では落ちてしまい、大腸菌で翻訳される細胞内蛋白質の多く(30% 程度)がうまく fold しないためだというのです。本当かな?

そこで著者たちは、南極海に泳いでいる好冷菌からとってきたシャペロニンの遺伝子(cpn60, cpn10)で普通の大腸菌を形質転換しました。すると、低温 15 ℃での生育速度が(形質転換なしの時に比べて)3倍も上がったそうです。では試しに大腸菌に普通の GroES-GroEL を大量発現させてみました。しかし、低温での成長速度は低いままで変わらなかったそうです。これは、南極海のシャペロニンが低温でよく働き、大腸菌の蛋白質をよく fold させ成長速度を上げたことを示しています。

本文には次のように書かれています。

"This, in turn, demonstrates that the chaperones of E. coli are the rate-limiting cellular determinant of growth at lower temperatures."

ここで the が使われていることから「大腸菌のこの2つのシャペロニン GroES-GroEL が低温でうまく働かない(15 ℃以下では活性が急に落ちる)ことが、大腸菌が低温で速く成長できない「唯一の!」要因である」と言い切っているようにも読めます。「a ... determinant」ですと、数ある律速要因のうちの一つであるというニュアンスになるのですが。the にしていいのかな?

まあ、このような論文を思わず引いてしまったということは、何を隠そう今まさにそれで悩んでいるということでして。。。しかし、これなら低温での目的蛋白質の大量発現もうまくいくだろうと思った時点で初めて思い出しました。そうだ以前に使ったことがあったっけ? ArcticExpress です。宣伝するつもりはなかったのですが、ここでブログを削除するのも変ですので、このまま submit することにしましょう。

しかし、この菌を採取するには南極に行かないといけないということですね。トロピカルな無人島の温泉へ好熱菌を採取しに行くのと、ペンギンが見守っている中で凍えながら南極海の水を採取するのとではどちらいいでしょう?

2015年8月27日木曜日

NMR_学会誌のアーカイブ

ネットで NMR のある語をサーチしていると、下記のようなサイトを見つけました。

「日本核磁気共鳴学会誌」のアーカイブ

だそうです。

https://drive.google.com/open?id=1Kx46HOqLO4Fk9Xpii8lXfg7XctFmDHZfk5bSJEdAe9o

学会誌の PDF(高分解能版?)がダウンロードできました。1冊 50 MB ぐらいですので、SIM スマートフォーンの通信量制限にひっかかるような事はないでしょう。

新しい Vol. 6 が追加されています。

(長らくブログを更新していないと、コマーシャルが文章の上に表示されるようになってしまいました。月に一度は何かを書かないといけません 。。。。

それにしても忙し過ぎて体がめちゃめちゃな状態になっていますが、せめてこのブログ書きでも自らに課さないとますます勉強しなくなってしまいます。ちなみについこの前、ある学会誌に「残余双極子相互作用 RDC について」の総説のような短い記事を書きました。まだ電子版はダウンロードできないようなのですが、なんと別冊(リプリント)を山のように頂きました。拙著で恐縮ですが、ご要望いただければ郵送いたします。

この総説には査読制度があったのですが、その査読者はたいへんこの分野に詳しい方のようで、大量のチェックポイントが返ってきました(まだ、どなたか予想がつかない ...)。別の総説書きと重なってあの時は悲惨な状況だったのですが、おかげ様で誤解していた点などを出版する前に直すことができました(危なかった)。どうもありがとうございました。この revise でページ数が一気に増えてしまったのですが、編集では大丈夫だったのでしょうか?

2015年8月10日月曜日

乾かしてもミルクは牛乳

前回「クマムシも絶賛」の続きです。

いつもコーヒーには牛乳を入れるのですが、先週のように牛乳がヨーグルト化してしまった場合などには、代わりにクリープを入れます。他にもこのようなパウダー粉末の製品はいろいろとあるのですが、どうもクリープとは味が違います。森永乳業の肩をもつわけではありませんが、この森永の HP を見てみると「牛乳から作っているのはこの Creap だけ」とのメッセージが強く書かれています(http://www.creap.jp/)。そこまで自信たっぷりと主張されるのであれば、これも高校生実習の中に組み込んでみるかということになり、ちょっと調べてみることになりました。

下がその NMR 1次元と2次元 1H-13C HSQC スペクトルです。たいへん驚きです。牛乳のスペクトルとまったく区別がつきません。脱帽です。



もちろん、各種成分の配合比率などは変わってきますので、Creap そのものを単純に水に溶かしたからといって、それが牛乳そのものに生まれかわるわけではないと思いますが、まあ主要成分についてはほぼ同じと見てよいかもしれません。しかし、やはりコーヒーには牛乳を入れる方が美味しいんですよね。まあ、これは本当のコーヒー好きなのではなく、単に「コーヒー牛乳」が好きなだけなのかもしれません。むかし給食によく出た「ミルメーク」なんて今でも大好物ですし。 缶コーヒーでも BOSS カフェオレが最高だと思っているぐらいですから。

ところで、NMR スペクトルの帰属では BioMagResBank にたいへんお世話になりました。このようなデータベースがちゃんと管理されていると本当に有難いです。これで何ヶ月分を得したことか。それから、意外にも牛乳の NMR に関する論文がちゃんと出ており、それをかなり参考にさせていただきましたので、ここに紹介させていただきます。

Hu, F., Furihata, K., Ito-Ishida, M., Kaminogawa, S., and Tanokura, M. (2004) Nondestructive observation of bovine milk by NMR spectroscopy: analysis of existing states of compounds and detection of new compounds. J. Agric. Food Chem. 52, 4969-4974.

なんと東大の田之倉先生の論文でした。

そういえば、別の実習(市民対象の NMR 講習会)で、日本酒のスペクトルをいろいろと調べたことがありました。今回の牛乳よりももっと複雑なスペクトルになります。とても1次元ではダメで、1H-13C HSQC スペクトルがないと解析が不可です。これが日本酒の味を決めているわけですが、この時も田之倉研の博士論文を参考にさせていただきました。簡単ながらここにお礼申し上げます。

実はお酒の NMR は非常に難しいのです。それはお酒には大量のエタノールが含まれているためです。このエタノールの量に対して微妙な味を決める代謝産物はほんのちょっとしか含まれておりません。この芸術作品に昇華させている原因をスペクトルで観るためには、エタノールの巨大なピークを抑えないといけないのです。ところが、二次元を測ってみて初めて分かるのですが、ここに1次元の落とし穴があります。なんとエタノールの -CH3, -CH2 ピークと同じ 1H 化学シフトの位置に、いっぱい代謝産物のピークが存在するのです。したがって、エタノールのピークを抑えるということは、それら微量の代謝産物のピークを見逃してしまうことになるのです。さらに、ロックの問題もあります。このように、いろいろと注意すべき点がたくさんあるエタノール飲料の NMR ですが、これについてはまた別の機会で触れることにしましょう。まずは、高校生実習を成功させなければ。

クマムシも絶賛

ヒョンな事から高校生に NMR を教えることになりました。ここに限らず数年前よりこのような公開行事が年に何回か行われるようになってきています。昔は何処でも応募が少なかったのですが、だんだんとこのような行事が知れ渡るようになりました。今回は定員 40 名のところにすでに応募数が 60 名を超えてしまい、急いで締め切らないといけないような人気です。

いちおう半年ほど前からいろいろと対策は組んではいたものの、だんだんと期日が近づくにつれて具体的な分刻みのスケジュールを検討しはじめました。最初は「見かけは同じ「コカ・コーラ」と「コカ・コーラ ゼロ」を NMR で区別してみよう!」などというテーマを考えていました(これで実習全体の 1/9 量に相当)。前者には蔗糖(いわゆるお砂糖)が大量に入っているのに対して、後者では人工甘味料「アルパルテーム」が入っているはずだと考えたのです。アスパルテームは、Asp-Phe-methyl という構造ですので、いわゆるお得意のペプチドです。一方、蔗糖は糖類ですので、両者の NMR スペクトルは大きく違うはずで「見かけは似ていても NMR スペクトルではこんなにも違う!」というところを自慢したかったわけです。

ところが、「コカ・コーラ ゼロ」の HP を見てみますと、アスパルテームは入っておらず、代わりに「スクラロース」という物質が入っています(スクロースに「ラ」が入っただけ?)。これは蔗糖のある -OH 基3つを -Cl に換えただけなのです。しかし、砂糖の 600 倍も甘く、体内に吸収されない(なので、カロリー0)なのだとか。また機会と機械があれば測ってみたいところなのですが、とりあえず「これでは区別があまり付かないだろう」とのことで、せっかく土日を潰してまで立てた計画は却下に。

コーヒーでも飲みながら、これは困ったものだといろいろ考えていたところ、ふと「コーヒーに入れる牛乳と「コーヒーフレッシュ」は同じなのだろうか?それともかなり違うのだろうか?見かけは同じだけど」という事になりました。

さっそく、それぞれにロック用の D2O を少し加え、1次元スペクトルを測定。結果「ん?パッとスペクトルを見た感じでは、さほど変わらない?これでは高校生対象の実習に使えないではないか」と焦りが出始めました。他の3人はもう3週間も前から仕事そっちのけで実習の予行を夜中まで試しており、光る大腸菌まで出来上がってもうカリキュラムもかなり充実してきています。それに比べて私の方はまだ試料選定の段階でもたついている ... 。仕方がないので、1H-13C 二次元 HSQC スペクトルを測ってみました。濃度が濃いだけあって 13C natural abundance であっても結構みえます。

1次元スペクトルではあまり区別がつかなかったのですが、さすがに2次元に展開すると、ちょっと差が見えてきました。「これなら使えるかも」とちょっと胸をなでおろす ... 。嬉しいことに BMRB にはさまざまな糖の化学シフト値も登録されています(蛋白質だけかと思っていました。スペクトルまで載っていてまことに感謝)。これと見比べていくと、牛乳には当然のことながら「乳糖(ラクトース)」が含まれていることが分かりました(下痢の原因ですね)。ラクトースは「ガラクトース」と「グルコース」がくっついた2糖ですので、2次元スペクトルにピークがたくさん(2種類の糖分)出てきます。一方、職場内のコンビニで急いで買ってきた「コーヒーフレッシュ」のスペクトルではピークの数がちょっと少なめです。BMRB で調べていくと、これは「トレハロース」のピークとぴったり一致しました。ためしに某社の HP をみてみると、確かにトレハロースが載っていました。トレハロースって、もしかしてあの「クマムシ」も持っている糖?浄水場でも大活躍しているのだとか。このトレハロースを体内に蓄えて、乾いた地でも(いつか水がやってくるまで)睡眠するのだそうです。



トレハロースはグルコース2つが対称的にくっついて出来ていますので、NMR ではピークがぴったりと重なり単純になります(1種類の糖分)。この後で1次元スペクトルに戻ってよく見てみると、1次元でもある程度は区別がつくことが分かりました。しかし、2次元は文句なしに強力です。

一方、乳脂肪のピークを見てみますと、ここはほとんど同じでした。非常に乱暴な言い方をしますと「コーヒーフレッシュ」は牛乳から作られているわけではなく、サラダ油に洗剤を加えて攪拌した製品なのです。ですので、冷蔵庫に入れなくてもすぐには腐りません(先週、コーヒーに牛乳を入れようと、1L パックを傾けると、中からヨーグルトがドサッと出てきて、コーヒーがバシャッと全部こぼれてしまいました。もちろん、悪玉菌が作成したヨーグルトです)。しかし、その割にはよく似たスペクトルだと感心してしまいました。また、面白いことに「コーヒーフレッシュ」のスペクトルの敷居値を下げていくと、乳糖のピークが少し見えてくるのです(ここの図ではあまり見えませんが)。つまり、ほんの微量ですが乳糖が含まれています。工場でちょっとだけ牛乳成分を加えた時に、いっしょに混入してしまったのでしょうか?もちろん、超微量ですので、これで下痢をすることはあり得ません。

2015年7月12日日曜日

なぜわざわざ鈍らせるのか_その1

代謝過程を制御するのに「フィードバック阻害」という機構があり、これが教科書などによく紹介されています。これは、ある酵素反応の生産物 P が、その酵素反応そのものを阻害することによって制御するような仕組みです(P の作り過ぎや足りなさ過ぎを防ぐ)。この酵素がしばしば同種多量体(homomultimer)になっている場合があります。そして、このそれぞれのサブユニットに阻害剤 inhibitor が付いていく時、1個目、2個目、3個目と阻害剤が順に付いていくにつれてその親和性がどんどん高くなっていくような現象があり、これを正の協同性(homotropic positive cooperativity)と呼びます。代謝過程は一連の酵素反応からなりますので、しばしば最終生産物 end-product が最初の方の酵素反応を阻害するといった例が見られます。なぜ、正の協同性が良いのか?これは教科書に詳しく説明されていますが、一言で言いますと、阻害剤の濃度がちょっと変わっただけで、その阻害効果(レスポンス)をすばやく変えることができる、まるでスイッチを on/off したかのように切り替えることができるためと言えるでしょう(このどれだけすばやく反応できるかを示す数値が Hill 係数ともいえます)。この仕組みは協奏的モデル(MWC-model)できれいに説明できます。また、このモデルでは同種多量体は常に対称形をとりますので、構造の点からも美しいと言えます。実は、2014 年 1 月 15 日「皆で一斉に移ろう」で紹介しておりました。

ところが自然界には負の協同性(homotropic negative cooperativity)も存在します。これを説明するのに協奏的モデルは使えず、別の逐次モデル(KNF-model)が使われます。MWCモデルですと、どうしても正の協同性になってしまうのです。これもどこかで書いたような気がするのですが ... 。どのような物性的な仕組みで負の協同性が引き起こされるのかは置いておくとして、問題は生物にとって何の意味があるのか?です。下記の論文と次のブログでの論文に面白い推測?が書かれていますので、それを紹介したいと思います。

Bush, E.C., Clark, A.E., DeBoever, C.M., Haynes, L.E., Hussain, S., Ma, S., McDermott, M.B., Novak, A.M., and Wentworth, J.S. (2012) Modeling the role of negative cooperativity in metabolic regulation and homeostasis. PLoS One 7 (11), e48920.

上記のように、生産物 P が前方の最初の酵素反応を阻害するとします。すると、その阻害剤が酵素につく形式は Hill 係数が大きいほど(つまり、正の協同性であればあるほど)生産物 P は定常状態におさまります。フィードバック阻害がうまく働いている例ですね。そこで、この反応に枝分かれがある場合を想定します。例えば A → B → P の他に B → C も存在するとします。B 地点で枝分かれが起きているわけです。シミュレーションによると、生産物 P が酵素反応「B → P」を阻害する時は Hill 係数が大きいほど効率が高くなります。これは最初の単純な一直線だけの連鎖反応の場合と同じです。ところが、生産物 P が酵素反応「A → B」を阻害する時には、必ずしも大きい Hill 係数がよいとは限らないようです。確かにこの反応を阻害しすぎると、その影響は及んでほしくない C にも行ってしまいます。C にあまり影響を与えずに P を定常状態に保とうとすると、酵素反応「A → B」はやんわりと(あまり即効性をださずに)阻害しないといけないのです。

では、枝分かれはなく、A → B → C → D → P のように一直線ではあるが長い連鎖反応の場合はどうなるのでしょうか?生産物 P がかなり前方の酵素反応「A → B」を阻害する時を想定しましょう。単に生産物 P だけが恒常性 homeostasis を保つようにするためには Hill 係数は高い方がよいそうです。一方、P だけではなく A, B, C, D 全ての量に恒常性を保たせるにはちょっと低めの Hill 係数がよいのだそうです。

どうしてそうなるのかは、なんとか想像できそうです。例えば P が余り始めたとしましょう。すると、この P は酵素反応「A → B」を阻害し始めます。ところが、C と D はまったく阻害されてはいませんので、まだ P が C と D から多めにでき続けてしまうのです。そして、余った P はさらに酵素反応「A → B」を阻害しますので、少し遅れて中間体である C と D が(質量作用の法則により)定常状態になった頃には、今度は逆に「A → B」を阻害し過ぎてしまっており、その結果 P が少なくなり過ぎてしまうのです。このような遅延が起こってしまうために、P はあまり高い Hill 係数で酵素反応「A → B」を阻害しない方がよいのです。

では、この長い連鎖反応と枝分かれを組み合わせるとどうなるのでしょう。つまり、最終生産物 P が最初の酵素反応を阻害する。途中には中間体が複数個あり、そして枝分かれしていく反応もある。このような系は、生物の代謝経路の制御で実際によくみられます。面白いことに、そのような中では P が最初の反応(これは枝分かれの前にある)にくっつく親和性で負の協同性 negative cooperativity になるのがよいのです。そのとき、全ての物質が恒常性をもっともよく保つことができるのだそうです。

2015年6月24日水曜日

ブルの前でネズミを滑らせる

「熱くなったら右に行く」の記事にめずらしく質問がきましたので、お答えいたします。

Bruker 社の NMR マシンで測定し、これを Topspin, Xwinnmr などでフーリエ変換する場合には、下記の要領で補正するとよいでしょう。

なお、下記は D2O にロックをかけることを想定していますが、d-DMSO などにロックをかける場合でも同じ要領です。

まず、ロックを掛けた後でもよいと思いますが、ロックの位相をできるだけきれいに合わせます。位相がベストの時にロック信号が最高となります。

1H の一次元スペクトルをできるだけ高分解能で測ります。そして、DSS のピークの中心を測ります。仮にそれが x Hz に観られたとしましょう(ppm ではなく Hz 単位です)。

EDP の SR というパラメータに x の値を入れます。そして、スペクトルを見直した時に、DSS のピークがちゃんと 0 ppm に来ていれば、1H の補正は成功です。

13C の補正については、DSS, TMS の 13C 直接測定で上記と同じように行う場合もありますが、ここでは計算による方法をご紹介します。

1H の基準周波数を調べます。BF1 と呼ばれるパラメータで、例えば 500.13 MHz のような値がセットされています。同様に、13C の基準周波数は BF2 に、15N の基準周波数は BF3 に保存されています。もちろん、BF1, BF2 は二次元や三次元測定のパラメータでないとセットされていないかもしれません。また、下記で SR(1H) とはパラメータ x のことです。

SR(13C) = (0.25144953 * BF1 - BF2) * 1000000 + SR(1H) * 0.25144953

この値を EDP での 13C の SR に入れます。

SR (15N) = (0.101329118 * BF1 - BF3) * 1000000 + SR(1H) * 0.101329118

この値を EDP での 15N の SR に入れます。

上記で SR(1H) が0であったと仮定します。すると、13C では -2.6668 ppm, 15N では -0.023467 ppm もずれていることが分かります。つまり、13C では真の化学シフト値よりも 2.7 ppm も小さい値が表示されてしまうのです。

BioMagResBank に登録する際には、もし上記の方法で補正したならば「1H については DSS を用い、13C, 15N については磁気回転比の値から補正した」とコメントすることになります。

もちろん、上記のずれが生じている事実を Br 社はよく認識しています。しかし、企業によっては何かしらの解析ツールを古い値を使ってすでに開発してしまっている場合もあり、バージョンの途中で正しい補正にしてしまうと、逆にさまざまな障害が予想されるのだそうです。

なお、毎回このような補正をするのは面倒だという場合には、マシンごとに、かつ、ロック溶媒ごとに、温度を変えた時の変換表を作っておくとよいでしょう。温度を変えながら DSS のピークを辿っていくと、非常にきれいな直線に乗ります。急いでいる場合には2点(5度と 40 度など)を測り、後は比例計算から補間してもよいでしょう。そして、1H, 15N, 13C の SR 値の式をエクセルに書いておけば、後はネズミを滑らせるだけで全て OK です。

2015年6月22日月曜日

熱くなったら右に行く

暑くなりました。ひょんな事から次のようなことを調べることになりました。ある蛋白質の NMR スペクトルを 30 度と5度で測定し、その 2D 1H-15N HSQC スペクトルを重ね合わせると、ピークの位置がかなりずれてしまっていたのです。最初は「あっしまった!温度を変えるとロックをかけている D2O の信号もずれてしまうので、基準周波数を変えないといけない。なのに、それを忘れてしまった。しかも、30 度と5度のスペクトルはまったく異なる NMR マシンで測っていたではないか!ならば、ずれて当然か?」と思いました。本当は蛋白質試料にちゃんと DSS を入れておいて、測定のたびに(ロックをかけるたびに)1H の 0 ppm の位置を調べておくべきだったのです。ところが、これを怠ってしまいました。滅多に起こることではないのですが、DSS はケイ素を含んでおり、このケイ素が蛋白質を沈殿させてしまうことがあるそうなのです。

悩んでいても仕方がありませんので、同じ NMR マシンで 30 度と5度とで、DSS, 蛋白質の 1H-13C HSQC, 1H-15N HSQC を測ってみることにしました。

実は、例えば某 Br 社のマシンを使っている場合、どのような温度であっても測定の最中には水の中心は 4.7 ppm であると仮定しないといけません。本当は温度によって水のピークの位置は変わるのですが、NMR マシンはそのような事は微塵も知りません。マシンが知っているのは、ただ軽水のピークが重水のピークと比べて、どれだけ比率の上でずれているかだけです。温度を変えると重水の 2H のピークがずれます。そして、それと同じ ppm 値分だけ観測している軽水の 1H のピークもずれます(同位体 1H, 2H の化学シフト値の変化は ppm 値で表している限りは同じ)。ロックの D がいくらずれても NMR マシンはそこが 4.7 ppm(2H)であると思い込んでいるので、観測される軽水の 1H のピークも常に 4.7 ppm(1H)で見かけ上あり続けるのです。

DSS の 1H のピークは温度によってあまり動きません。しかし、ロックの D のピークが温度によって大きく動きますので、それを基準にして DSS をみると、逆向きにおおいに動いていくように見えるのです。温度を下げると水の 1H の化学シフト値は本来は大きくなります。しかし、これを常に 4.7 ppm だと仮定してしまうので、DSS の 1H の化学シフト値は小さくなるように(マイナスの向きにどんどん進んでいくように)見えるはずです。したがって、某 Br 社のマシンを使っている場合「今日の試料の温度は低いから中心周波数 o1p を 4.8 ppm ぐらいにしなきゃ」というのは間違いです。

なお、軽水の中心周波数を精密に測定すると 4.7 ppm から少しずれている場合があります。これは Br 社に直してもらわないといけないところです。これが何故起こるかという理由はちょっと複雑です。おそらくですが、登録されている 1H と 2H の基準周波数の比が少し間違えているのでしょうか?例えば、1H と 13C の比はとんでもない値に間違えて登録されています。たしか、真の値から 2.666 ppm ほど小さい値が表示されたように思います。ですので、蛋白質の主鎖の 13Co の中心は本来は 176 ppm ぐらいのはずですが、Br 社のマシンでは 173 ppm と入れます。同様に、13Ca は 56 から 54 ppm に置き直します。なお、上記はロックの位相がちゃんと合っている場合に言えることです。位相をずらすと D2O のピークトップの位置もずれますので、周波数もずれてきます。そのため、本当はロックをかけるたびにその試料に混入させた DSS でキャリブレーションをしないといけないのです。

さて、結果は次の図のようになりました。これらは DSS のピーク位置をもとにフーリエ変換の後にスペクトルを平行移動させてあります。これによると、1H-13C HSQC ではメチル基領域でも Ca 領域でもあまり動いていないことが分かります。また、動いていたとしてもあっちこっちに動いているので、ある決まった向きに平行移動している(下駄を履いている)ようには見えません。一方、1H-15N HSQC では、明らかに水のピークと同じ向きに移動しています。つまり、温度を下げるとアミド 1H のピークは左向き(低磁場側)に動いているようです。

1枚目はメチル基領域の 1H-13C 相関スペクトルです。オレンジ色が5度、青色が 30 度で測定した時のピークです。



2枚目は 13Ca 領域の 1H-13C 相関スペクトルです。軽水のピークが5度では左側にずれているのが分かります。5度のオレンジのピークが薄いのは、低温で横緩和が速くなっているためです。


3枚目が 1H-15N HSQC です。軽水と同じ向きにアミド基のピークも動いています。



軽水のずれ幅を計算してみたところ、-0.0120 ppm/deg でした。しかし、 むかし別の NMR マシンで、温度を変えながら DSS のピークを追いかけたことがありました。その時は、-0.0111 ppm/deg で変化しました。何故このように違うのでしょう?もしかして、radiation damping によってピークが動く?しかし、あっても軽水の 1H のピークが少し動くぐらいで、DSS や D2O のピークまでいっしょに動いてしまうものでしょうか?それとも、なにか試料の磁化率が違うなど????マシンの温度は校正しているはずですし、試料も一応は Br 社の標準蔗糖溶液を使っている(はず?)です。

実は、NMRPipe には水のピークの位置を自動補正してフーリエ変換する機能がついているのです。そこで早速、上記のスペクトルを NMRPipe でフーリエ変換してみました。ですので、DSS のピークの位置はまったく考慮されていないことに注意してください。おかしなことに、NMRPipe では -0.00956 ppm/deg として補正されているようです(5度:4.964 ppm, 30 度:4.725 ppm)。ですので、今回の測定データを NMRPipe で処理すると、メチル領域でも少しずれて見えてしまいます。これはまずいですね。


それでは、なぜ amide 1H-15N のピークが温度によって動いたかです。1HN の化学シフトについては水と同じ向きに動いていることから、水素結合の強さに関連があるのかな?と思います。それはそうなのですが、

Tomlinson, J.H. & Williamson, M.P. (2012) J. Biomol. NMR 52, 57-64.

に興味深い結果が出ていました。原因は、水素結合に加えて、二次構造などの瞬間的な膨張によるのではないかとのことです。分子内で水素結合を組んでいるアミド基のうち、二次構造の中にあるアミド基の水素結合は強く、その二次構造が温度の上昇とともに瞬間でも全体的に緩むと、1H の化学シフト値の温度による変化も大きくなります。しかし、分子内で水素結合を組んでいるアミド基よりも、組んでいないアミド基の方がよく動くそうです(-0.0045 ppm/deg よりもさらに絶対値が大きくなる)。その理由は、後者は水と弱く水素結合を組んでおり、温めると容易に水素結合の長さが長くなってしまうためなのだそうです。最後に、15N の化学シフト値の温度による変化が何かしらの要因と相関があるかどうかについては、よく分からなかったそうです。

2015年5月18日月曜日

メチル基はすごい

とある製薬会社の研究者の方から下の論文を紹介されました。モノクローナル抗体 mAb を(切断せずに)インタクトの状態で NMR で観たという内容です。プロテアーゼで切断した後の Fab, Fc だけを X 線で結晶構造解析した例はかなりありますので、インタクトを NMR で観れると、これら Fab, Fc の構造データをさらに活かすことができるでしょう。具体的には 13C の natural-abundace でメチル基を観ています。

Arbogast, L.W., Brinson, R.G., and Marino, J.P. (2015) Mapping monoclonal antibody structure by 2D 13C NMR at natural abundance. Anal. Chem. 87, 3556–3561.

分子量はインタクトですので 150 kDa 程になります。確かに NMR にとっては難しい分子量です。1H-15N TROSY 効果を使っての測定ですと、これもまた別の製薬会社の方がされているように3次元スペクトルでもかなりきれいに見えます。ただし、mAb を完全重水素化する必要がありますので、抗体のように大腸菌での発現が難しい場合は、別の発現系にもっていく必要があり非常にコストが高くついてしまいます。また、大腸菌発現系では翻訳後修飾としての糖鎖は付きません。

著者らは 13C の natural-abundace でメチル基を観ています。15N は natural-abundace が 0.37% と低過ぎますし、また、1H-15N アミド基をしっかりと観るためには試料を完全重水素化してTROSY を使う必要がでてきます。一方、メチル基を観るのでしたら、13C の natural-abundace, 1.1% をなんとか活用できます。それにメチル基はその付け根の結合が軸周りに高速回転しますので、少し低分子-like となり、横緩和が遅くなります(したがって信号がシャープになる)。さらに 1H が3つ付いており3つとも同じ共鳴値ですので、単純計算で3倍の強度となります。

さて、当然のように感度は悪いですので、著者らは最近の NMR 手法をいろいろと活用しています。その一つめは「メチル TROSY」への挑戦でした。しかし、これは思った程の効果を出さなかったようです。その理由はこの試料が完全重水素化されていないためでしょう。普通は、メチル基だけを 13C-1H3 とし、それ以外の箇所は 12C-2H となるように標識します。このように標識するためには、大腸菌発現系の M9 最少培地に各種 2-ケト酸(α-ケト酸)を Leu, Val, Ile の前駆体として入れてやる必要があります。そして、M9 培地そのものは重水溶媒です。しかし、今回の試料は何も標識されていない mAb ですので、メチル基以外にも側鎖に大量の 1H が存在します。すると「メチル TROSY」があまり効かなくなってしまうのです。なぜ効かなくなるかの説明はまた別のところに書きますが、非常に簡単に書きますと次のようになります。

TROSY では(1H-15N TROSY でもそうですが)13C-1H の 1H のスピンがずっと α-状態(上向き)か β-状態(下向き)に維持されていることが前提となります。パルスプログラム HMQC の途中でこれがランダムに逆転してしまってはなりません(HMQC のど真ん中の 180 度パルスによって同時に逆転させるのはよい)。ところが近くに別の 1H があると、それと呼応し合ってアルファとベータがお互いに交換してしまうのです。これを spin-diffusion と呼びます。Spin-difusion は別の 1H が近くにあると起こりますので、メチル基以外を 2H にしないと TROSY 効果が減ってしまうのです。なお、この spin-diffusion を積極的に利用したのが NOE です。

また、methyl-trosy は普通の HMQC で達成されてしまいますが、この HMQC では、13C の化学シフトの展開時間の間も 1H が横磁化状態にあります。すると、周りの 1H との間に双極子双極子相互作用による横緩和が起こってしまいます。HSQC でも周りの 1H との間に双極子相互作用による緩和が起こりますが、この場合は anti-phase の 1H の縦緩和です。縦緩和は上記の横緩和と比べるとかなり遅いです。以上のような理由により、HMQC による methyl-TROSY 系列はあまりうまく行かなかったのでしょう。

二つめの工夫は non-uniform-sampling (NUS) です。t1 時間軸において 50% ぐらいの間引き率でサンプリングしますと、それほどアーティファクトも出ずに、まずまずのデータが再現できるようです。これを使うかどうかについては、どの程度の化学シフト値の正確さが必要かといった状況にもよるでしょう。

試料調製については読んで頂く方が確実ですが、簡単に記しますと、まず NISTmAb を使っています。Fc を観る時にはレジンに固定化したパパインで酵素切断しています。精製はおそらく遠心限外濾過器(アミコンウルトラなど)(と protein A カラム)でしょうか?最終的な濃度は 0.25~0.30 mM で、25 mM 重水素化イミダゾール(あるいは d-bis-Tris)緩衝液などを使っています。ここで重水素化バッファ成分を使うことは重要です。なにしろ 13C の natural-abundace による HSQC を観ようとしていますので、普通のバッファ成分を使うとそのピークが縦に線を引いてしまい(t1-ridge)もう終わりです。また、論文には書かれておりませんが、アミコンウルトラなどの限外濾過器は必ず一晩 1L の水に漬けてください。仕様書には5回ほど水で濯げばよいなどと書かれていますが、フィルターの表面についているグリセロールは意外にも残っておりスペクトルが台無しになってしまいます。そして、アミコンウルトラなどで濃縮するのであれば、重水に溶かした重水素化バッファ成分で5回ほど溶媒を交換してください。これで軽水成分はほとんどなくなります(凍結乾燥までは不要です)。もちろん、軽水の水消しは NMR で簡単に実行できる場合もありますが(それに水を励起しない SOFAST を使えば)、簡単な努力で絶大な効果が得られるという時にそれをわざわざしないという理由はありません。まず二次元をとる前に普通のプロトン一次元スペクトルを測定してみてください。もちろん、水気しはなるべく無しです。もし、何か巨大な 1H のピークが出たとしたら、それを同定して試料調製の段階で除く努力をすれば、それはその後の苦労を嘘のように消してくれることでしょう(と Bax さんも力説されていました)。

さて、著者らは 600 と 900 MHz を使っています。プローブは TCI-プローブです。これは 13C のプリアンプも冷やされているタイプですが、実際には HSQC を測りますので、1H のプリアンプさえ冷やされていればよく、必ずしも TCI でなければならないということはありません。驚きはグラジエントが3軸も付いていることです。そのようなプローブが販売されているのでしょうか?3軸グラジエントは大好きなのですが、最近はお目にかからず残念です。昔は magic-angle-gradient などで遊んだものなのですが。

感度よくとるためには、データポイント数などにも気を配らないといけません。記載されているように 1H (t2, FID) で 65-80 ms, 13C (t1) で 8 ms, ちょうどよいですね。感度を上げるにはもう少し短めでもよいかもしれません。測定温度は 45~50 ℃でした。積算回数は 128 回で、測定時間は 12 hr ぐらいだそうです。なるほど抗体は蛋白 NMR 屋さんから見ると非常に安定な蛋白質ですので、このような高温での測定が可能なのでしょう。ここまで高温にすれば、実際の 150 kDa でも確かに見えてしまうかもしれません。アミド基を観る場合には、あまり高温にし過ぎるとアミド基 1HN が水の 1H と高速に交換してしまいかえって感度を落としてしまいますが、メチル基ですとその心配がありません。

SOFAST も使ってみたそうですが、普通の gradient-echo タイプの方がすこし良かったようです。SOFAST でメチル基だけを選択的に励起しようとしても、書かれているパラメータ(1.5 +- 2.5 ppm bandwidth)では aliphatic のかなり多くの 1H も同時に励起されてしまいます。これでは SOFAST の効果があまり出てきません。ここでは軽水系の溶媒を使って 1H の密度を少しでも上げたかもしれませんが、やはりアミド基の 1H は数が少なく効果が薄いのでしょう。ここで、普通の gradient-echo タイプがうまく行ったと書かれていますが、そこには receiver-gain というある重要なパラメータも関連しています。Natural-abundance で HSQC を測定する際には個々の FID の段階で 13C-selective な coherence のみを検出しておく必要があります。つまり、位相サイクルを通して初めて 12C-1H からの信号を打ち消していたのでは receiver-gain が間に合わないことを意味しています。最近の NMR は感度が良すぎて、それでも見えてしまうこともあるのですが、感度をもっとあげたい時にはそれはあまり得策ではありません。

ただ、SOFAST の方が本当に劣ってしまうのかどうかなどについては、分子量や溶液の粘性も含めさまざまな条件が関連してきますので、即断するのは難しいです。個々の条件で変わってきますので、いちど試してみるのがよいでしょう。例えば、SOFAST では水の信号に触れないようにパルスを設計しますので、水消しが意外にもうまく働き、receiver-gain を増やせるかもしれません。また、gradient-echo でも sensitivity-enhancement をここでは使っていますが、高分子の場合は rINEPT が一個しかない(よって、理論上は感度が 1/√2 倍に落ちてしまうはずの)gradient-echo を使った方が結果としてはよいでしょう。メチル基には 1H が3つも付いていますので、13C が横軸の時には 1J-coupling が3つとも効いてきます。ですので、INEPT, rINEPT の箇所の delay に気をつけないといけません。

なお、Fab, Fc の測定はもっと速く 4~5 hr ぐらいで十分だそうです。これらのスペクトルを重ね合わせるとインタクトのスペクトルとほとんど重なるそうですので、ヒンジ領域は非常にフレキシブルで、Fab と Fc はお互いに繋がれながらもかなり独立に泳いでいるのでしょう。それぞれの部分の回転相関時間を測れば、お互いがどのように運動しているかが分かりますが、このような研究がとうとう可能になってきました。

2015年4月24日金曜日

スピンはスピンする?


書きかけのブログ文章がどんどん溜まってきました。面白い論文を見つけてはブログに紹介していたのですが、雑務に追われて停滞している間にすぐに次の論文に目移りしてしまいます。このままではブログのアカウントも消されかねないと危惧し、なんとかもう少し基礎的な分野で細々とでも続けていくことにしました。それでは、まずは核磁気共鳴の基礎の基礎から入ることにしましょう。本当は難しいのですが。

大半の原子核(nuclear)電子(electron)素粒子はスピン(spin)と呼ばれる物理的性質を持っています。このスピンの説明は量子力学的な知識を必要とし難しいものなのですが、簡単に「自転」のようなイメージで掴むことができます。

蛋白質は、例えば水素(1H)原子をもち、そして、この原子は陽子(proton)に相当する原子核を持っています(以降は説明を簡単にするため、スピン量子数(spin quantum number)が 1/2 の核種に話を絞ります)。この蛋白質を NMR の磁石の中に入れると、磁石の静磁場 B0 の向きに沿って、上向きの軸のスピン(α-spin)と下向きの軸のスピン(β-spin)とに分かれ、これをゼーマン(Zeeman)分裂と呼びます(図 核スピンのゼーマン分裂)。



最近の NMR の超伝導磁石では、上下方向に静磁場 B0 が向いているので、上向きと下向きのスピンが生じますが、もし、NMR 磁石の静磁場が、電子スピン共鳴装置(electron spin resonance, ESR)電子常磁性共鳴装置(electron paramagnetic resonance, EPR)の磁石に見られるように横向きであったならば、スピンの方向もその静磁場の方向に沿うため、上向き、下向きとは描像が異なってきます。

さて、ここで 500MHz の静磁場強度(11.7 テスラ)の NMR 磁石の中に蛋白質試料があり、その中のある 1H 原子核を想定します。この 1H 核スピンは自転しています(と考えることにします)。そして、その軸には上向きと下向きの二通りがありますが、実は上向きの α-スピンの方が若干多いのです。このように α-スピンの数が多いということをエネルギーが小さく安定であるといいます。

逆に β-スピンのエネルギーは大きく不安定ですので、その数も α-スピンの数よりかは少なくなります。この上向き α-スピンの数を Nα、下向き β-スピンの数を Nβ とすると、Nα/Nβ の比は、両者の間のエネルギー差 ∆E を使って(k はボルツマン定数)で表すことができます。このようにエネルギー差と population 比は、ボルツマンの式を使ってお互いに相互変換できます。ここで両者のエネルギー差 ∆E は hν に等しく(h はプランク定数)、この時の振動数 ν はちょうど 500MHz に相当します。そして、温度 T が 303K(30℃)とすると、実際には Nα/Nβ=1.0000789 となります。つまり、上のエネルギーの β-スピンが 10 万個あったとすると、下のエネルギーの α-スピンは 10万+8個程度となります。このように、500MHz-NMR の磁石は、水素核の α-スピンと β-スピンとのエネルギーの差 ∆E が、これを周波数で表した時に 500MHz に相当するような磁石のことです。このスピンにエネルギー差 ∆E に相当する電磁波、つまり、500MHz の周波数をもつ電磁波を照射すると、α-スピンは電磁波のエネルギーを吸収して β-スピンとなり、一方、β-スピンはエネルギーを電磁波の形で放出して α-スピンとなります。このような現象を核磁気の共鳴(nuclear magnetic resonance)と呼びます。そして、吸収(放出)された電磁波の量を検出してデータとします。