2017年5月19日金曜日

エリスロース?エリトロース?

蛋白質の芳香環のダイナミクスが解析できると、その蛋白質の大きめの運動、例えば breathing motion 等なかなか面白い現象につなげることができます。ところが、芳香環の中の 13C-13C 結合にある 1J-coupling が強く、これがしばしば 13C-spin の R2 緩和解析を邪魔してしまいます(横緩和測定のための CPMG 時間の間に cos[πJt] が2重にかかってきます)。そこで、13C を代わる代わる(つまり、1個飛ばしに alternating label)導入することができれば、この 1J-coupling の問題をかなり和らげることができるでしょう。横緩和速度の測定だけではなく、普通の NOESY-13C-HSQC などの測定でも、13C-13C 1J-coupling を無くすことができれば、ピークが多分裂しないのでシャープでかなりきれいになるはずです(二次元スペクトルを 13C constant time で測ったり、今だに natural-abundance 13C で測るのは、この 13C-13C 1J-coupling による split を避けるためです)。

これまでに発表されてきた中でもっとも良い方法は、もちろん SAIL を使うことです。まだ δ1 だけを標識して δ2 は標識しないといった左右非対称の芳香環を作るという究極にまでは至ってはいませんが、δ と ε のどちらかを選択的に標識できる点では最高級です。さらに、13C/1H と 12C/2H など水素核の標識の位置についてもきっちりと区別できます。

次の代替案は [1-13C]-glucose, [2-13C]-glucose を培地に入れることでしょうか?これは、13Ca, 13Cb, 13Co を別々に標識するのにも使われています。しかし、ブドウ糖は解糖系で炭素3つずつに分断されてしまいますので、1 or 2 位の 13C を含んだ方の3炭素骨格は標識された前駆体として有効に使われるものの、残り半分の3炭素骨格は非標識として使われてしまいます。したがって、標識率は 50% を超えることができません。

その他には、4-13C erythrose と重水素化ピルビン酸を使う方法もあるようです。まだ詳細は見ていないのですが、確かにエリトロースはシキミ酸合成経路に入っていくようです。シキミ酸は芳香環の前駆体でして、シキミ酸を使って芳香環だけを標識するという方法も伊藤先生から発表されていました(Rajesh, S. et al. (2003) J. Biomol. NMR 27, 81.)。

Weininger, U. (2017) Site-selective 13C labeling of proteins using erythrose. J. Biomol. NMR 67, 191-200 (doi: 10.1007/s10858-017-0096-7).

さて、この論文では、[13C]-エリトロース(1-2 g/L)と非標識のブドウ糖(2 g/L)を混ぜて芳香環を選択的標識する方法を紹介しています。4つの炭素がそれぞれ 13C で一つずつ標識されているエリトロースを使うのですが、その 13C 標識の位置によって価格がかなり異なるようです。Materials & Methods に単価まで書かれた論文は珍しいですね。もっとも高い [3-13C]-erythrose は 3,400 euro と書かれています。Google に「3400ユーロは何円?」と話し掛けると「42.4... 万円」となんの躊躇もなく冷たい声で返ってきました。これを培地 1L に 1~2g 入れ、他にもさまざまなバリエーションの [1-13C]-, [2-13C]-erythrose, [1-13C]-glucose, [2-13C]-glucose などで培養するとなると、なかなかの経費(云百万円?)になります。もっとも [3-13C]-erythrose を入れると Tyr と Phe の ε の位置に 13C が入るのですが、これは [1-13C]-erythrose(450 ユーロと、先ほどのと比べると安い)でも代用できます。[1-13C]-erythrose と [2-13C]-erythrose は([3-13C]-, [4-13C]-erythrose とは違って)スクランブルも無かったとのことです。[2-13C]-erythrose を使うと ζ の位置が 13C で標識されますので、これは貴重です。ζ の位置は北極星のようなもので、χ2 軸まわりで芳香環が回転しても 13Cζ-1Hζ 軸が動きません(回転軸そのものですので)。よって、ζ と ε 位置の 13C の緩和を比べると、χ1 軸か χ2 軸周りのどちらの回転が関連しているのかを区別できます。なお、このような標識試薬の前駆体は IPTG を入れる直前(1時間程前)に加えることが多いようですが、エリトロースの場合は最初から入れておいてもスクランブルはあまり無かったようです。

[1-13C]-glucose と [2-13C]-erythrose を同じ培地に同時に入れる方法も紹介されています。すると、だいたいの標識箇所は両者の合算となります。[2-13C]-erythrose からは Phe, Tyr の ζ が標識されますが、δ は駄目です。しかし、[1-13C]-glucose が入っているので、そこから δ は標識されます。中には Trp ε3 のように標識の効率が下がってしまう箇所も出てきます。ここは [1-13C]-glucose から erythrose-4-phosphate を経由して標識されるはずなのですが、そこに [2-13C]-erythrose が入り込んできてしまうので、ε3 の 13C が薄まってしまうのでしょう。

[1-13C]-glucose だけを使うと Tyr, Phe の二つの δ はどのように 13C-標識されるのでしょう?1つの芳香環の中の二つの δ は、別々の原料からやってきますので、13C/13C, 13C/12C, 12C/12C が 1:2:1 の比率になるのでしょうか?ところが [4-13C]-erythrose を使うと δ のどちらか一方だけが標識されるように見えます。しかし、実際には [4-13C]-erythrose はスクランブルが起こると書かれています。販売はされてはいないのですが、将来 [1, 4-13C]-erythrose ができてそれを使うとすると、Tyr, Phe の(離れた位置の)δ と ε が標識されて良さそうです。しかし、3, 4 の位置については少しスクランブルが起こるそうで、このような使い方をすると、13Cδ-13Cε が隣り合ってしまう危険性が出て来るそうです。 この辺りは残念ですね。

価格などを総合的に考慮すると、[1-13C]-erythrose を使って片側の ε だけを 13C 標識する、かつ [2-13C]-erythrose(1,250 ユーロと高いが)を使って ζ を標識するのが良いのかな?と思いました。両者を混ぜても 13Cε-13Cζ と隣り合うことは恐らくないのですが、標識率が薄まるでしょう。

また、ε の片側だけを標識するのが良いのか、それとも両方ともを標識するのが良いのか?どちらでしょう?論文には、どっちみち回転により平均化されるのだから同じことと書かれていますが、何かの講演 CPMG? で大きな違いがあると聞いたような気もしており、気になっています。

ところで、ウェブでいろいろと調べていると、「エリスロース」と「エリトロース」の2種類が出てきます。Thr も「スレオニン」と「トレオニン」の2種類があります。他に数え上げればきりがなく、例えば実験でよく使う thrombin 酵素なども。日本人には「ス」に聞こえますが、舌の位置は「タ行」に近いようです。Youtube を見ると、詳しい解説がたくさん見つかりました。

0 件のコメント: