2017年8月16日水曜日

1,200,000,000 Hz 磁石

論文ではないのですが、下記のニュースが先日伝えられました。

Schwalbe, H. (2017) New 1.2 GHz NMR spectrometers- new horizons? Angew. Chem. Int. Ed. Engl. doi: 10.1002/anie.201705936.

超高磁場 1.2 GHz NMR の磁石は、地磁気の 50 万倍(28.2 テスラ)のお大きさとなります。まずこの静磁場の大きさに驚きですが、単に大きいだけではダメでして、試料が入るサイコロほどの空間のどこを測っても静磁場強度が同じでないといけません。この均一性の誤差は 99.999....% 以内(書き間違えますので、"9" が 10 個も並ぶ精度だと覚えておくことにしましょう)。

超電導技術もこれまでとはちょっと違うそうです。これまではコイルの材質にニオブスズ (Nb3Sn) を使っていました。しかし、超電導は自分で作った磁場に弱いという悲しい性質がありまして、1.2 GHz レベルになると自滅してしまいます。そこで、イットリウム・バリウム・銅酸化物のようなレアメタルの合金も同時に(ハイブリッドとして)使うそうです。しかし、上記のような均一な磁場を作るのは技術的にたいへん難しいとのことです。

それで数年前までちょっと無理とも言われていたのですが、どうもこの記事によると、2017 年中に 1.1 GHz を、そして来年 2018 年には 1.2 GHz を納めると書いています。文章をそのまま載せますと、Bruker plans to deliver the first 1.2 GHz magnets next year. 「magnets」と複数形になっています。すでにフィレンツェ、フランクフルト、ゲッティンゲン、ユーリッヒ、リール、ミュンヘン、ユトレヒトが発注済みとのことです。それぞれのラボの先生の顔が浮かんできます。それにしても、何故ヨーロッパだけこれほど進んでいるのでしょう?

なぜ大きな磁石の方がよいのかという点を説明するのは大変です。もちろん最大の理由は感度が上がるため、そして、分解能も上がるためです。すると、薄い濃度の試料でも、ピークが全て解れて観えるということになるのですが、これは静的な状態での話です。

NMR はそこで終わるともったいなく、実際には動的な状態での「分解能」と「感度」もアップすることにも注目しないといけません。「動的な」とはまさに「ダイナミクス」を観ようとしている場合のことです。昔は蛋白質は固定されたある一つの形を保っているものと仮定して、その一つの形を解いてきました。しかし、この考え方だけでは「ただ単にある安定な構造を決めただけ」となり、その後が続きません。構造はいつも動いていて、酵素などが機能を発揮するときには遷移構造に移ります。しかし、この遷移構造にははかなくも一瞬の寿命しかなく、この構造をじっくり「静的に」解こうというわけにはいきません(遷移状態を模倣したアナログ基質を入れた実験、NMR-CPMG 動的実験、自由電子レーザ実験などにより可能)。ということは複数の構造が高速で入れ替わっているような混ぜ混ぜ回転状態を観察しないと、生命機能や最先端創薬に迫ることが難しい時代になってきたのです。

これを交換状態と呼びますが、NMR で交換状態を観測した時、静磁場が大きい程より分かれた形での情報を得ることができます(ダイナミクスの分解能が上がる)。もし NMR の教科書をお持ちであれば、slow-exchange などの項目を読んでみてください。小さい磁場では一本に観えるピークでも、高磁場で測ると2本に観えると、よく説明されています。NMR のダイナミクスの実験は CPMG などなかなか理解するのが難しいのですが、基本的にはこの2本と1本のピークの話に集約させることができます。たとえ slow-exchange とみなせないほど速い fast-exchange の系であっても、その検出感度は静磁場の2乗に比例してアップします。このような fast-, intermediate-, slow-exchange の関係があるので高磁場の方がよいのですよと NMR の専門外の方に説明するのは、私のプレゼン技量ではちょっと無理かもしれません。まとめると「静的状態ばかりでなく動的状態においても感度と分解能が上がる」と言えます。

さらに、細胞内の蛋白質をそのまま観たりなど、観測したい蛋白質の周りの環境も、これまでのちゃんと精製されたきれいな緩衝液ではなく、実際の細胞、血液のような何が入っているのか分からないような混ぜ混ぜ状態になってきました。このようなヘテロな系を観るには「分解能」と「感度」が、成功するか失敗するかの境界線を決める要素になってくるのです。

では「分解能」の次に「感度」の話に移りましょう。ここで測定時間について考えると面白いことが分かります。よく「感度が2倍に上がった」などと言いますが、この場合、測定時間は 1/4 でよいことを意味します。感度は静磁場強度の 3/2 乗に比例しますので、これを測定時間に換算すると、静磁場強度が上がるごとに極端に短い測定時間で済ませられることになります。日頃このような事をあまり意識しないので(というより、大きな NMR にはさらに難しい試料をこれでもかと突っ込んでしまうので)これを証明するようなデータをとっていませんでした。しかし、あらためて考えなおすと 600 MHz を 1.2 GHz に変えた(買えた、替えた?)場合、8時間かかる実験が1時間でよいことになります。本当は昔のようにもっとのんびりと測りたいものです。しかし、それは世界中皆が同じスピードの時にはよいものの、8倍はやくデータを出してくるようなグループが地球の裏側に一杯いるような状況になると、やはり焦ってしまうものです(悲しいかな2番手には何も残りませんので)。

いまフーリエ変換待ちのデータが山ほどあることに気づきました。フーリエ変換そのものではなく、NUS プロセスなのでちょっとややこしいのです。明朝にはまた次のデータが入ってくるので、今年もお盆なしです。

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