2017年8月18日金曜日

もうすぐ動画「酵素の旅」ができるかも

先日の2つ前の記事では、超高磁場 NMR を使うと、いわゆるスペクトルにおける分解能と感度が上がる(静的な分解能と感度の上昇)だけでなく、CPMG 実験などダイナミクスの観測においても分解能と感度が上がる(動的な分解能と感度の上昇)ことを書きました。静的な方はイメージとして掴みやすいのですが、これだけですと X-ray 結晶構造解析でよいではないかという議論になってしまいます。しかし、超高磁場 NMR における静的な特徴はそのまま動的な特徴にもつながりますので、むしろ NMR で得意とする動的(ダイナミクス)観測においても、分解能と感度が上昇するという点が重要です。

ある方から下記の出来立てほやほやの論文を紹介していただきました。なるほど読んでみると大変面白かったので、是非一読をお勧めいたします。

Oyen D., Fenwick R.B., Aoto P.C., Stanfield R.L., Wilson I.A., Dyson H.J., and Wright P.E. (2017) Defining the structural basis for allosteric product release from E. coli dihydrofolate reductase using NMR relaxation dispersion. J. Am. Chem. Soc. 139 (32), 11233–11240. doi: 10.1021/jacs.7b05958.

DHFR(ジヒドロ葉酸還元酵素)の遷移状態での構造を NMR の CPMG 実験を通して解析しています。遷移状態のモル比は非常に小さい(数パーセント程度)ですので、結晶もなかなか出ませんし、また NMR の二次元スペクトルでも現れてきません。

しかし、基底状態で CPMG 実験を行うと、基底状態と遷移状態の間の交換現象を観ることができ、さらにデータに理論式などをフィティングすることにより「遷移状態での二次元スペクトル」を(もちろん完璧にではないですが)予測することもできます。実際は見ることのできない架空の遷移状態でのスペクトルを CPMG では見積もれる点がたいへん強力です。

さらに、これまではアミド基の 15N の CPMG がよく利用されていたのですが、今回はメチル基の 1H の CPMG が観測されています。これは高分子での感度を上げるためです。特に今回の補酵素 NADP+ や生成物 THF は芳香環を含んでいます。芳香環にはπ電子が回っていますので、その近くにある 1H の化学シフト値がπ電子に強く影響されます(環電流効果)。その結果、NADP+ や THF の向きが変わると、その近くにある 1H の化学シフト値が大きく変わり、しいては CPMG にも大きな変化となって現れてきます。基底状態と遷移状態とでは、NADPH, THF の向きが変わっており、これが最終生成物である THF が効率よく酵素から放出される仕組みであることが、今回の実験から分かりました。

DHFR: THF: NADPH 複合体が不安定であるため、結晶構造解析が成功しなかったようです(NADPH がすぐに酸化してしまうため)。NADPH の代わりに酸化型の NADP+ で、かつ、生成物 THF の代わりに安定化アナログ ddTHF で複合体の結晶は解析されていますが、NMR の化学シフト値を解析してみると、結晶内での ddTHF 部分の構造は歪められてしまっていたことが分かったようです。創薬ではこのようなアーティファクトに気を付けないといけないですね。そこで、実際の遷移状態の構造を解析するために、NMR の CPMG 実験が利用されました。

図1の3つのモデル図に対応しています。

構造1:occluded(閉鎖)型 基底状態 DHFR: THF: NADPH 複合体
構造2:closed 型 遷移状態 DHFR: THF: NADPH 複合体(小さいモル比のため「見えない」はずの構造を「観た」のが今回の実験の成果)
構造3:closed 型 基底状態 DHFR: NADPH 複合体

以前の 1H/15N-CPMG 実験から、構造1と構造2の間で交換が起こっていることまでは分かりました。しかし、メチル基の 1H は近くにある芳香環の環電流効果の影響を受けやすく、構造変化に対して非常に敏感ですので、メチル基の 1H の CPMG が測られました。メチル基の 13C の CPMG を測定してもよいと思いますが、論文によると、試料が不安定なため短時間で測定を終えなければならず、メチル基の 1H だけしか十分な感度に達しなかったと書かれています。

そして(構造1と構造3それぞれの二次元スペクトルの化学シフト値の差)=(メチル基 1H の CPMG 実験から見積もられた構造1と構造2の化学シフト値の差)という結果になりました。

ここで、遷移構造である構造2はモル比も小さいので、NMR で直接二次元スペクトルを観ることができません。また、結晶構造もありません。しかし、CPMG 実験から「もし遷移構造2のスペクトルが観えたとすれば、きっと取るであろう化学シフト値」を見積もることができます。

以上の結果から、構造2と構造3は非常に似ていることが分かりました。つまり、両方とも NADPH のニコチンアミド部分が活性部位の cavity に入り込んでいます。さらに、構造2では、ニコチンアミド部分の瞬間的な侵入により THF のプテリン環が押し出されています。このようなアロステリック効果により、THF が効率よく放出されて酵素反応が終了して回転 turn-over することを見つけました(THF が勝手に離れていく現象もありますが、これはもっと遅い)。

試料調製の項をみると、酸素による酸化を避けるためにアルゴンガスの中で調製しています。同じ溶液内に NADPH を還元状態にできるだけ保つための酵素系も入れてあります。NADP+ のニコチンアミド部分は周りの 1H に環電流効果を及ぼしますが、NADPH のニコチンアミド部分は二重結合はあるものの環電流効果をもちませんので、周りの 1H の化学シフトにはそれほど大きな変化を与えません。そのような違いから、NADPH が酸化していないかどうかを判定したそうです。そのような試料調製の困難さも高い評価に繋がっているように思います。

それにしてもお見事な英文ですね。最近は L. E. Kay さんの文章をお手本にしていますが、今回も流れるようなほれぼれした文章で、ちょっと酔ってしまいました。

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